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ZIPANG-8 TOKIO 2020本日から新Webサイト OPEN!トップ画像は、日本建築史上特に貴重な‼「高欄上の五色(青・黄・赤・白・黒)の座玉(すえたま)」~元伊勢~

2023.12.16 15:15


    高欄上の五色(青、黄、赤、白、黒、)の座玉(すえたま)


元伊勢「五色の座玉」


籠神社の本殿は伊勢神宮と同様の神明造りで、勝男木は十本、千木は内そぎになっています。

心御柱や棟持柱があり、特に高欄上の五色(青、黄、赤、白、黒、)の座玉(すえたま)は、陰陽五行説を表しており、この座玉は伊勢神宮御正殿と籠神社以外には拝せられないものだそうでで、神社建築史上特に貴重なものとされています。

これは山陰道一之大社として、古来の御神徳・社格を象徴するものであります。

神明造りのお社は他にもありますが、規模・様式とも伊勢神宮御正殿の様式に近似しているお社は籠神社以外にはなく、伊勢神宮と籠神社が古代から深い繋がりにあったことを物語っています。


アーカイブリンク記事にて詳しくご紹介しております。ご覧ください。


元伊勢 籠神宮 参道と大鳥居


元伊勢とは

伊勢神宮は大小のお社を併せて125社から構成されていますが、 その中心となるのは天照大神をお祀りする皇大神宮(内宮)と豊受大神をお祀りする豊受大神宮です。


両大神は初めから伊勢の地でお祀りされていた神ではなく、他の場所から伊勢へお遷しされました。


その起源を繙くと、天照大神は第十代崇神天皇六年の八月まで宮中でお祀りされていましたが、同年九月に皇女豊鋤入姫命によって初めて宮中の外でお祀りされることになりました。


その後豊鋤入姫命は天照大神の御心に叶う御鎮座地を求め各地を御巡幸されましたが、途中で第十一代垂仁天皇の皇女倭姫命にその任務をお引き継ぎになり、最終的には倭姫命が伊勢の地に皇大神宮を創祀されました。 


「元伊勢」とは、天照大神が宮中を出られてから伊勢の五十鈴川の河上に御鎮座されるまで皇女が天照大神の籠もられた御神鏡をお持ちになって各地を御巡幸になり、一時的に天照大神をお祀りした二十数カ所の宮々のことを云います。 


また、それとは別に雄略天皇の御代に天照大神のお告げによって丹波国(現在の丹後)の与佐(よさ)の小見(おみ)の比沼(ひぬ)の魚井原(まないはら)にいる丹波道主(たにわのみちぬし)の娘・八乎止女(やおとめ)のお祀りする豊受大神が天照大神の食事を司る神として伊勢に迎えられました。この丹波の魚井原で豊受大神をお祀りしていたお宮のことも「元伊勢」と云います。


「海部家は豊受大神を祀った彦火明命の血脈であり、丹波道主の子孫にも当たり、また海部家の直系の女性が「八乎止女」を襲名し、豊受大神をお祀りしていたことが伝えられています。」


つまり、雄略天皇の御代、「丹波国の丹波道主の娘の八乎止女が祀っていた豊受大神」とは、奥宮真名井神社(古称 吉佐宮)の豊受大神であり、「元伊勢」としての由緒が明らかとなっています。


 他にも「元伊勢」伝承を有する神社はありますが、天照大神・豊受大神をその血脈の子孫が宮司家となって一緒にお祀りしたのは籠神社だけで、特別の「元伊勢」として崇敬され続けています。


元伊勢 籠神社 本殿


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


伊勢へ詣らば 元伊勢詣れ 元伊勢お伊勢の故郷じゃ 伊勢の神風海山越えて 天橋立吹き渡る

ZIPANG TOKIO 2020「元伊勢『籠神社』は 伊勢神宮のふるさと(その壱)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3402346



奥宮 真名井神社


奥宮 真名井神社本殿


【別称】

豊受大神宮・比沼真名井(ひぬまない)・外宮元宮・元伊勢大元宮 【古称】 匏宮(よさのみや)・吉佐宮(よさのみや)・与謝宮(よさのみや)・久志濱宮(くしはまのみや)


【御祭神】

豊受大神を主祭神として、天照大神・伊射奈岐大神(いざなぎおおかみ)・伊射奈美大神(いざなみおおかみ)・罔象女命(みづはのめのみこと)・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・神代五代神(かみよいつつよのかみ)をお祀りしています。


豊受大神は別名を天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)・御饌津神(みけつかみ)とも云い、その御顕現の神を豊宇気毘女神・豊受比売とも云います。


また食物を司るという属性の類似性から、倉稲魂命(うかのみたま)・宇迦之御魂(うかのみたま)・保食神(うけもちのかみ)・大宜津比売命(おおげつひめのみこと)なども同神と考えられています。


『丹後風土記』に収載の「天女伝説」に登場する豊宇賀能売神も豊受大神の属性の神ですが、伊勢神宮外宮の主祭神の豊受大神とは別神で、豊宇賀能売神は御酒殿の守護神である「御酒殿神」として伊勢神宮の所管社に祀られています。


【磐座(いわくら)】

真名井神社本殿の裏手には、古代からの祭祀場である磐座が三カ所あります。磐座とは、簡単に云うと神の降臨場所或いは神の鎮座場所のことで、神を祀るための神聖な石や岩のことを云います。


奥宮 天照大神 磐座(いわくら) 


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「奥宮 眞名井神社は パワースポットの源(元伊勢 籠神社その弐)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3411722



天橋立


神代の昔、国生みをなさった男神伊射奈岐命(いざなぎのみこと)が、地上の真名井原(奥宮真名井神社の鎮座地)の磐座(いわくら)に祀られていた女神伊射奈美命(いざなみのみこと)のもとに通うため、天から大きな梯子(はしご)を地上に立て懸け通われました。ところが、伊射奈岐命が寝ていらっしゃる間に、一夜にして梯子が倒れてしまい、それが天橋立となったと伝えられています。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「元伊勢 天照大神 ~ 伝説と神話 ~(籠神社 その参)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3422087



元伊勢葵祭り 御神幸(御陰祭)神門を出発する神輿


籠神社の例祭「葵祭」とは

籠神社の例祭は明治以降四月二十四日に行われる。
然し往古は四月の二の午の日に行われる古例であった。そして之の神事を葵祭又は葵神事を云い、又之の御神幸を御陰祭とも呼ぶ。


之は山城の一之宮である賀茂別雷神社並びに賀茂御祖神社で古来四月の二の午の日に御陰祭が行われ、又同月二の酉の日に葵祭が行われたのと軌を一にし、欽明天皇の御代に始まったと伝えられる。


當宮祭神を葵大神、又は青位大神とも申す古記も存する。之は御祭神の再誕に関する、所謂御生れの神事であるが、當神社に於ては更にその淵源をたどると、人皇四代懿徳天皇の御代四年甲午年に始まったと伝えられ、之の祭儀には豊受大神及び、彦火明命・彦火火出見命・丹波道主命に関する深秘がある。


賀茂社と異る所は、賀茂の祭礼では祭員が葵の葉を付けるが、當社では祭員等が冠に藤の花を挿すことが古来の例になっている点である。


このように籠神神社では藤の花が御祭神に深い由縁を持ち、その始めは藤祭と稱していたのであるが、欽明天皇の御代に始まった賀茂祭が葵祭と稱せられるに及んで、當神社でも葵祭と稱されるに至ったと伝えられる。 


これは籠神社の元初の祭神豊受大神が水徳の大神であらせられ、与謝郡真名井原の天の真名井の水に因んだ本来の故事であったからである。


伊勢の祠官度会元長の神祇百首と云う和歌に、「藤花 花開ハ真名井ノ水ヲ結ブトテ藤岡山ハアカラメナセソ」とあり、註に「件ノ真名井ノ水ハ自天上降坐ス始ハ日向ノ高千穂ノ山ニ居置給フ其後、丹波与佐之宮ニ移シ居置タマフ、豊受大神勢州山田原ニ御遷幸仍彼水ヲ藤岡山ノ麓ニ居祝奉リ朝夕ノ大御饌料トナス」と見える。


これは藤の花と真名井の水のことを詠じた歌であるが、外に當神社の祭に藤の花を用いたことは、後拾遺和歌集に良暹法師の詠める歌に、「千歳経ん君が頭挿せる藤の花、松に懸れる心地こそすれ」とあるに依って知られている。


本宮に対して奥宮である真名井神社の例祭は、豊受大神が御鎮座された日の九月十五日であったが、明治以後新暦を用いるようになってからは十月十五日となった。


豊受大神はその御神格の中に月神としての一面も持っておられ、真名井神社の昔の例祭が、九月十五日と云う満月の日に行われた事もその反映と思われる。又その御神徳が数字の奇数に関わりがあり、一年の五節句(一月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日)、殊に後の七七・九九の二節句とは最も深い結びつきの神秘がある。


古来中国に於いて、奇数が陽とされ、偶数は、陰を表した事と照應する数字が、籠神社祭神秘伝の中に存するようである。


籠神社の藤祭りが始まったのは、懿徳天皇四年(皇紀一五四年)と伝えられるが、平成六年は皇紀二六五四年となり、数えて藤祭り発祥満二五〇〇年目に當り、五月二十二日を吉日と卜して、藤祭葵祭発祥二千五百年祭を氏子中の奉仕により、盛大に行った。


元伊勢籠神社神宝・宝物

籠神社宮司家に伝わる神宝や籠神社に伝わる宝物を御紹介致します。

神宝

海部直伝世鏡 約2000年前の前漠鏡と後漠鏡が伝世されています。


息津鏡(学名 内行花文長宜子孫八葉鏡)


神宝 海部氏伝世鏡


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「二千五百年の歴史を伝える 丹後最古の祭『葵祭』と 元伊勢 籠神社の神宝・宝物(その四)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3459834



三輪山は古来、大物主大神が鎮(しずまる)神の山として信仰され、一木一草に至るまで神宿るものとして尊ばれています。


⚫電撃が走った参道 

私が奈良県桜井市、大和一宮である大神神社(おおみわじんじゃ)に御縁を戴いて以来、いつの間にか45年目を迎えておりました。この間、前半は東京在住。後半は仕事の関係で山形にもねぐらを持ち、大半は山形で過ごしております。 


大神神社 御神木と拝殿 


山形から大神神社へのご参拝は以前と違って時間的にも距離的にも、日帰りは困難となり、なかなかの不便さが伴いますが、学会開催等が関西近辺の折には逃さず、チャンスをフル活用するのです。


若かりしころには神社仏閣の故事来歴や歴史には疎く、とんと無関心な私でしたが、何故か寺社参りだけは好きな質で、出張の度に色々と巡っておりました。


そんな中、初めて大神神社の二の鳥居をくぐったときです。参道へと足を踏み入れた途端、いきなり電撃が走りました。本当に髪の毛根が逆立ったと申しますか…此れぞ私が心から求めていた神様だ〜と思ってしまったのですね。異様でした。あの杉木立ちは当にミステリーゾーンです。


関西ではその存在を知らぬ者はいないとされるほど、古くから親しみを込めて「お三輪さん」と呼び、庶民に愛されてきた神様だと申されます。それは、東北でも原始から神は不可視の存在であり、美しい山に籠られるものという考え方が共通してあったようですが、そんな遺伝子を現代人の私達の中にも残っているのでしょうか。遠い祖先から受け継いだ原始の潜在意識が目覚めたようでした。ここで、大神神社公式サイトによる御由緒をご紹介致しましょう。


ー・ー当社の創祀(そうし)に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとあります。


また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』も同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂(みたま)として顕現(けんげん)され、三輪山に鎮しずまられたということです。(中略)


 ・・・ そして、ご祭神(さいじん)がお山に鎮(しず)まるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初(げんしょ)の神祀りの様を今に伝えており、その祭祀(さいし)の姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神(すじん)天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤(あつ)く祀まつられました。ー・ー


何故、私が大神神社に惹かれたかは、今更思い返せば、このご由緒にある三輪山を御神体と崇めた太古の人々のまっさらな魂に感応したからでした。つまり、そのアニミズム的精神に同期したのですね? 


そんな中で、今回、最近の本サイト一連のシリーズ記事から特に、眼に焼き付いたキーワードがありました。それが「元伊勢」だったのです。


その話は本サイト編集長思い入れのある地、対馬の古神道や寺社建築にも詳しい(一社)対馬観光物産協会の西氏によるご寄稿がきっかけでした。 


対馬はその位置関係から、古より文化の十字路です。日本側からは九州経由で、中国や朝鮮からは半島経由で多角的な交流がおこなわれ、日本への物資や技術、医術、書や美術品に至るあらゆる事柄において中継点でもあったので、古い源流の形が見られるところでもあります。


大神神社「三ツ鳥居(みつとりい)」

国重要文化財。神の山・三輪山と拝殿を区切る場所に立つ。本殿にかわるものとして神聖視されてきた。拝観は参集殿で申し込みを。(祭典及び神社諸行事にて拝観いただけない場合がございます。)


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「二つの『元伊勢』さま 【 寄稿文 】まんだら塾長 日原もとこ」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3430816



伊勢神宮内宮 宇治橋


三重県には、日本人の心のふるさとである伊勢神宮や斎王の斎宮、世界遺産の熊野古道がありますが、 実はそのほかにも行っておきたい「知られざるパワースポット」も多くあります。


女性は特に訪れておきたい鳥羽三女神など、初詣や年始の旅行にぴったりの三重県の魅力的なパワースポットをご紹介。また、年始から冬にかけて三重旅行を楽しめるよう、注目のスポットの情報もご案内します。


やっぱり行きたい!日本人の心のふるさと


「伊勢神宮」&「斎王と斎宮」&「熊野古道 伊勢路」


伊勢神宮

日本人の御祖神(みおやがみ)で、現在でも内宮・外宮合わせて年間約 1000 万人が訪れる「日本の聖地」。
内宮・外宮を中心に125 の社で成り立ち、外宮から内宮へ参拝するのが古くからの習わし。


伊勢神宮 外宮


伊勢神宮外宮 正宮

天照大御神様のお食事を司り、産業の守り神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る。衣食住をはじめあらゆる産業の守り神で、お参りの際は、日々の恵みに感謝を伝えたい。(三重県伊勢市豊川町 279)


伊勢神宮内宮 正宮

内宮は皇室の御祖先であり、太陽にも例えられる天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る。広大な古代から守り続けられてきた深い森に包まれながら参拝ができる。

(三重県伊勢市宇治館町1)


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-5 TOKIO 2020やっぱり行きたい!日本人の心のふるさと「三重県の~多様な魅力~ご存知ですか⁈」

https://tokyo2020-5.themedia.jp/posts/12311322



夫婦岩の注連縄架け替え神事は先日行われました。
夫婦岩の間から朝日が昇る。かぐや姫伝説の地、富士(不二)山が見える。(夏至の頃)


二見からはじまる昔ながらの伊勢参り

古くから伊勢神宮に参拝する人は二見浦で禊(みそぎ)をし、その後、外宮、内宮の順番に参拝していたと言われていました。また、伊勢音頭の一節に「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と唄われたとも言われているように、朝熊山の金剛證寺にも参詣するのが習わしでした。 地元民オススメの”昔ながらの伊勢参り”をしてみませんか。

二見興玉神社(夫婦岩)→ 豊受大神宮 外宮(伊勢神宮 )→ 皇大神宮 内宮(伊勢神宮)

→ おはらい町 → おかげ横丁 → 朝熊岳金剛證寺→ 朝熊山頂展望足湯

→ 斎王の斎宮(明和町)


朝熊岳金剛證寺 朱の橋


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~昔ながらの伊勢参りとは~「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り(1)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5732084



おすすめ 江戸の情緒を味わいたい方のための宿!

江戸の面影が残る老舗旅館

麻吉旅館 (あさきちりょかん)


伊勢 麻吉旅館


創業200年の老舗旅館「麻吉」。歴史のある日本の木造の宿に泊まれます。伊勢神宮外宮と内宮の間にあるので、徒歩でのんびりゆったり参拝や観光するのにおすすめです。隣接の麻吉歴史館(古市街道資料館)には当時の資料や調度品が展示してあり、ご覧いただくことができます。

住所 〒516-0034 三重県伊勢市中之町109 電話番号 0596-22-4101

公共交通機関でのアクセス

近鉄「宇治山田駅」下車し、三交バス「中之町」からすぐ

車でのアクセス

伊勢自動車道伊勢西ICより約2分


伊勢 おはらい町で「大田楽」         制作:赤坂明子 写真撮影:赤坂久美


田楽について

稲作農耕文化の日本人にとって、稲作は生きる事の最も根源的な作業でした。とりわけ田植えという作業は重視され、歌や囃子を奏して大掛かりに行なわれました。


これは、稲作の中の激務である田植えを少しでもはかどらせることが目的でしたが、やがて田植えにかかせない儀礼となり、芸能の一ジャンルとして成立してくると、田楽という職業が生まれ,平安時代半ばには、田楽法師というプロ集団によって演じられるものになっていきました。


身につけた楽器を囃しながら躍る田楽躍のほか、中国から伝わった散楽系の曲芸も取り入れて田楽を盛り上げていきました。


「栄華物語」には平安の殿上人も田楽にひきつけられていた様子が記されています。当時の京都では、貴族から庶民まで身分の差別なくその姿を真似て昼夜練り歩くという現象も見られるほど異常な盛り上がりを見せたのでした。


これだけ隆盛を極めた田楽も室町中期のころには猿楽という新しい芸能に取って代わられてしまいます。リオのカーニバルのような参加型の田楽も楽しいが、人は座ってじっくり観劇も楽しみたい。


田楽に取って変った猿楽は、観客の前で演じられる仮面を用いたストーリー性のある劇でした。田楽は滅びたのではなく、時代の要求に即したものに変わっていったと考えるのが自然でしょう。


斎宮


斎宮


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)



ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~昔ながらの伊勢参りとは~「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り(2) おはらい町~伊勢神宮の鬼門を守る名刹~斎王の斎宮」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5736043



多賀大社参詣曼荼羅


多賀大社

御祭神

伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)

伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)


由来

古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。 日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。


生命(いのち)の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数える。


多賀大社万灯祭

平成29年8月3日、4日、5日万灯祭(まんとうさい)

8月3日の薄暮、杉坂山(ご祭神降臨の地)で御神火祭が行われ、浄火が古式により切り出される。麓の調宮(ととのみや)神社を経てご本社に運ばれると、1万灯を超える提灯に明かりが灯されます。 伊邪那岐(いざなぎ) 伊邪那美(いざなみ)の大神様は、数々の尊いご神蹟をあらわされたのち、女神さまは黄泉の国(死後の世界)の大神となられました。万灯祭は私共の祖先の御霊をお護りくださる女神様に感謝を捧げるお祭りで、湖国の夏の風物詩としても有名である。


多賀大社 神門越しに社殿を望む


多賀大社 社殿正面


お多賀さんとは

延命長寿・縁結びの神として古くから全国的な信仰を集め、豊臣秀吉の厚い信仰もありました。祭神として天照大神(あまてらすのおおみかみ)の両親の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀っている旧官弊大社である。「お多賀さん」の名で親しまれ、駅前の大鳥居から神社までの参道の両わきにみやげ店などが並ぶ。


神社を清流が囲み、太閤橋(たいこうばし)と呼ばれる石の反り橋を渡って門をくぐると、玉砂利を敷いた境内の向こうによく茂った木立を背に堂々とした風格を持つ本殿が建っている。厳かな雰囲気が漂う境内には、本殿右に能舞台、左に絵馬殿がある。


また、東廻廊の横にある石は、61歳の重源(ちょうげん)が東大寺を再建するために延命を祈願し、無事願いが叶ったたことを記念したもので、延命石と呼ばれている。


拝殿などの格天井が、大変に美しいと評判である。社殿は何度かの倒壊や火災により建て替えられ、現在の社殿は昭和7年(1932)に再建されたものである。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「お伊勢参らば お多賀へまいれ お伊勢お多賀の 子でござる 多賀大社」

https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/2993655



伊勢神宮社殿の建築



正宮は正殿を中心にして、瑞垣(みずがき)・内玉垣(うちたまがき)・外玉垣(とのたまがき)・板垣(いたがき)の四重の垣根がめぐらされ、その建築様式は、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と呼ばれます。


唯一神明造は、日本古来の建築様式を伝え、ヒノキの素木しらきを用い、切妻(きりつま)、平入(ひらいり)の高床式の穀倉(こくそう)の形式から宮殿形式に発展したものです。屋根は萱葺(かやぶき)、柱は掘立(ほったて)など、その姿は簡素にして直線的で、素木の美しさを最も輝かせる建築様式と言えます。


唯一神明造りの特徴について

1.ヒノキの素木造りであること

2.丸柱の掘立式で礎石を使用しないこと

3.切妻・平入の高床式で棟木(むなぎ)の両端を支える 棟持柱(むなもちばしら)があること

4.萱葺の屋根の上には鰹木(かつおぎ)が置かれていること

5.千木は屋根の搏風(はふ)が伸びた形状であること


内宮と外宮の違いについて

神宮の社殿の中でも両正宮の正殿は、その規模が格別に大きいことや、外に高欄(こうらん)※が廻らされ居玉(すえだま)※が飾られていることなど、別宮以下の社殿とは特徴が異なります。また内宮と外宮の正宮は、殿舎の配置、構造など、ほとんど変わりませんが、細部には相違点があります。


※高欄(こうらん) 建物の外縁などに縦横に材をわたした、人の墜落を防ぐ手すりです。

※居玉(すえだま) 内宮(ないくう)と外宮(げくうの)正殿(しょうでん)の高欄(こうらん)に取り付けられた玉。青、黄、赤、白、黒と5色があります。


「内宮」「外宮」の相違点

内宮の正殿の構造は京呂組(きょうろぐみ)、外宮は 折置組(おりおきぐみ)。

内宮の正殿の鰹木は 10本(偶数)、外宮は 9本(奇数)。

内宮の千木は 内削(うちそぎ )、外宮は外削(そとそぎ)。

内宮の東・西宝殿は正殿後方の左右、外宮は正殿前方の左右。



妻側から見た図(説明上棟持ち柱を除いています)


左:内宮正殿 右:外宮正殿

その他にも内宮のみあるものとして、中重鳥居(なかのえとりい)の八重榊(やえさかき)、内玉垣の東腋門(ひがしわきもん)、瑞垣と内玉垣の間の蕃垣(ばんがき)、外宮のみにあるものとして、御饌殿、外幣殿(げへいでん)が挙げられます。(内宮の外幣殿は御垣の外にあります。)


伊勢神宮について

「お伊勢さん」「大神宮さん」と親しみを込めて呼ばれる伊勢神宮は、正式には「神 宮」とお呼びします。


神宮には、私たち国民の大御祖神(おおみおやがみ)として崇敬を集める天照大御神をお祀りする内宮と、衣食住を始め産業の守り神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祀りする外宮を中心に、14ヶ所の別宮、43ヶ所の摂社、24ヶ所の末社、42ヶ所の所管社があり、全125ヶ所の宮社をふくめて神宮と総称しています。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~平成最後のお伊勢参り~「『平成』から次の時代へ 感謝と祈りのお伊勢参は 『常若』の精神に通ずる!」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5673545


淡路・小豆島、宮崎・高千穂、大分・国東、壱岐・対馬編は別の機会に・・・


鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使


(協力・敬称略)

紅山子(こうざんし)


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。



※現在、2200件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/


新サイトの記事をご覧いただけます。

ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/