1898年10月15日
2018.10.14 21:12
1898年10月15日 明治31年
【内 閣】
総理 大隈重信/外務 大隈重信(兼任)/内務 板垣退助/大蔵 松田正久/陸軍 桂太郎/海軍 西郷従道/司法 大東義徹/文部 尾崎行雄/農商務 大石正巳/逓信 林有造
内閣書記官長 武富時敏
法制局長官 神鞭知常
【元 老】
黒田清隆 伊藤博文 山県有朋
【東 京】
府知事 岡部長職/東京市長 松田秀雄
岡倉天心・横山大観らが日本美術院を創立。
1898年(明治31年)、岡倉覚三(天心)が東京美術学校を排斥されて辞職した際に、自主的に連座して辞職した美術家達(橋本雅邦、六角紫水、横山大観、下村観山、寺崎広業、小堀鞆音、菱田春草、西郷孤月)がいた。彼らは岡倉の計画する美術研究の構想に賛同し、岡倉がそれをまとめる形で美術研究団体としての日本美術院を谷中大泉寺にて結成した。以後、日本絵画協会と合同で春秋2回、絵画展覧会を開催するが、1900年(明治33年)秋季の展覧会が最盛期で、以後資金の欠乏、院の内紛、綱紀の乱れなどが原因で徐々に沈滞するようになる。