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5)日本は国際協力の元に快諾していた。

2018.10.14 22:15

5)日本は国際協力の元に快諾していた。

―話を戻すー

日本なんて国は、世界の地図の何処にあるかも知らない、単細胞のアメリカンボーイが、「そんな悪い、ジャップなんて遣っ付けてしまえ!」と、参戦する。

先ず、武器、弾薬の供与、兵士の訓練要員の派遣し、訓練に当る。

その他のあらゆる援助を初めた。

★だが、腐敗しきったチャイナの軍閥の軍隊では、蒋介石が日本の陸軍士官学校を卒業、陸軍砲兵隊長を勤務した位の実力者が率いて日本と戦っても、規律正しく、訓練も行き届いた日本軍に、如何とも対抗し難く、敗戦続きである。

★そこで、蒋介石婦人の宗美麗は考えた。

★日支の対立がシナ事変に発展、南京を落とされた期会に、アメリカに参戦させ、日、米を戦わすのだ。

これは、孫子依頼の伝統的手法の『異をもって異を制す!』(異民族をもって異民族を撃たす)である。

元々アメリカは、日露戦争に勝利した日本が、農民、諸々の職人は、勤勉で働き者でアメリカ市民の評判はよく、その勢力の拡大を心良く思わず、日本人の『土地の保有を禁止』する等、何かと邪魔をしていた。

★そこで日本はアメリカ大陸への移民は控え、シナ大陸に地盤を求めた。

一方のアメリカは、日本の大陸進出を心よく思っていなかったので、アメリカはこれに乗った。

★しかし、この時期は直接参戦ではなく、蒋介石の国民党の支援の為に供給する武器、弾薬を積んだ輸送船が日本軍の海上封鎖で渡す事ができず、困ってまっていた。

そこで英領ビルマ雲南に通じる援蒋ルートを建設し援助を続けた。

しかし、これを察知した日本の航空隊の爆激で、破壊され、修復の鼬(イタチ)ごっこの繰り返しであった。

それに対して結成された、『フライイング・タガ―という名の戦闘機部隊』(アメリカ空軍のOBで結成されている)も、日本の新鋭機、ゼロ式戦闘機の初陣の餌食となって、バタバタと撃ち落とされた。

★これに自信を付けた日本の軍部が、妥協しないアメリカとの戦争に踏み切った、という説もある。

―日米の直接対決―

初期は、宋美齢の「日本の暴虐から助けてくれ!」と泣き付きに応じたのだが、最早この領域を越え、蒋介石の国民党軍を戦に勝たさねば、アメリカの面子に関わるのだ。

★先ず、A(アメリカ)B(ブリテン英国)C(チャイナ)D(オランダ)包囲網を組んで、日本に対し、石油を始め戦略物資の禁輸をして日本を追い詰めて入った。

日米開戦を避けたい日本は譲歩するが、最終的には、『問答無用の最後通牒の、『ハル・ノート』を突き付け、戦争への誘導をしているのだ。

★ハル・ノートの言葉知っているが、全文は読んでいない方の為に全文を記載する。