苦難と恵
2018年10月14日
伊藤大輔牧師
使徒言行録14章21―28節
旧約聖書、新約聖書、成立の年代は異なるが、
共通の社会的状況のもとでまとめられた書物。
帝国との戦争、敗戦。
夢も希望も見えない、未来が閉ざされた闇の中でまとめられたのが聖書の一つの背景。
その現実の中で人はどのように進むのか、進められるのか。
パウロたち、使徒の歩みと重ねて、聖書は世界の進み方を語っていく。
パウロたちは異邦人世界という未知なる世界へと歩み始める。
ユダヤ社会からは闇と思われていた所。
そこでパウロは異邦人が信仰を持つ有様を目にする。
パウロはどのように伝道をしていったのか。
闇と思えた世界で希望を見出したのか。
パウロの言葉に
「異邦人教会で長老を任命し彼らに任せた」
との言葉がある。
キリスト教については未熟な者たち、
この者たちに任せるとはどういうことか。
それはパウロの現実認識と結びついているものと思われる。
パウロは教会に対して語る。
「私たちは多くの苦しみを経なければならない」と。
パウロは苦しみは避けられない、仕方ないと言う。
それが彼の信仰、現実認識。
この直前リストラの人々が持った信仰は、奇跡を見たから、
すなわち、良いことがあったから信じるというもの。
いつの時代も、これを信仰とする考えはあるがパウロはこれを否定する。
極端な表現を用いるなら神は苦しみを与える。
聖書の登場人物は楽をしていない、
神に愛されれば愛されるほど苦しんでいる。
なぜか。
人は予定調和に固執する。
頭で作った「成功」「幸せ」「正義」それに固執する。
人の頭、それが果たして本当のものを把握していうるのか。
作りものを真実と勘違いしているだけではないか。
人の予定調和を壊す。
苦難は壊してくれる。
「キリストは神の身分に固執していない」と古代の讃歌は告げている。
神がご自分を壊し外に出ている。
それが世界の作り方。
だから私の予定も崩れる、
苦難にあう。
パウロは教会を異邦人に任せる。
自らの方法に固執していないから任せることがができる。
夢も希望もない現実。
それは神なき世界ではない。
神の備えが実現している世界。
私の思いの先に、
想像もできない広々としたまことの世界が広がっている。