Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

善立寺ホームページ 5分間法話 R⑫ R5.12.15日更新

2023.12.15 03:08

  「しあわせって」なんだろう―その⑤

 「しあわせって」なんだろう、というテーマについての最終回をお届けします。

「苦悩の人生から抜け出し、幸せを感じつつ暮らす」ための一方法は日々の暮らしの中で「和顔愛語・わげんあいご」に努めるところにあるということについて述べたいと思います。

浄土真宗の根本経典はお釈迦様が説かれた『仏説無量寿経』・『仏説観無量寿経』・『仏説阿弥陀経』です。この経典は俗に「仏説三部経」と言われています。この経典の中の『仏説無量寿経』は僧侶の間では略して「大経」と呼ばれています。「大経」の中で、お釈迦様は、私たちに、我執、我欲に捉われた苦悩の人生から救われる生き方として「阿弥陀如来のみ教えに導かれ、自分本位にしか生きられない無明の存在であることに気づかされ、できる限り身を慎み、言葉を慎んで、少しずつでも煩悩を克服しましょう」と諭しておられます。そして、その方法として、自身に対しては、欲を少なくして足ることを知る「少欲知足」の生き方を身につけ、他者に対しては「穏やかな顔と優しい言葉で接する「和顔愛語」(わげんあいご)の生き方が大切であると説いておられます。

「大経」の中の原文の一部を抜粋紹介します。

「和顔愛語にして、意(こころ)を先(さき)にして承問(じょうもん)す」

意訳しますと「他人に対してつねに笑顔とやさしい言葉で接し、相手の人の心を汲みとってよく受け入れる」

こうした行為をとれる人は大きな幸せを手にいれることができる、という意です。

他者に対して「和顔愛語」で接することについては、『雑宝蔵経』(ぞうほうぞうきょう)という経典の中に次の言葉が記されていますので意訳して紹介します。

「仏さまは説かれました。七種の布施があります。その布施をする人は、財物を失うことなくして、大きな果報が得られます。」―金銭や品物などを失うことなくして、

大きな幸せを手にすることができるとい意です。

では、その七種の布施はどんな内容の布施なんでしょうか。次に記します。

① 眼施(げんせ)―やさしい眼差しで接する

② 和顔悦色施(わげんえつじきせ)―にこやかな笑顔で接する

③ 言辞施(ごんじせ)―おもいやりの言葉で接する

➃ 身施(しんせ)―自分の身体でできることをしてさしあげる

⑤ 心施(しんせ)―あたたかな心くばりで接する

⑥ 床座施(しょうざせ)―席や場所をゆずる

⑦ 房舎施(ぼうしゃせ)―やすらぎ・休息の場を提供する

 ここで「慈悲」という言葉についてその意について記します。

 仏教は慈悲の教えを説く宗教です。「慈悲」とはどんな心を示す言葉でしょうか。私は法座の席では四字熟語で「抜苦与楽」の心を身に付けることと話しています。

「慈」は「与楽・よらく」の意です。接する人に、自分の楽しみや喜びは後回ししても、接する人の心を汲んで喜びや楽しみをわけ与えてあげることです。

 「悲」は、「抜苦・ばっく」の意です。接する人が、悲しんだり、苦しみや嘆きを感じておられたら、いたわったり、慰めの言葉を掛けてあげたり、励ましのことばを掛けてあげるなど寄り添う行為をしてさしあげることです。そうすれば、その人の悲しみや苦しみは和らぐことに繋がるのです。抜苦与楽の行為をした人は、何かを失うでしょうか。財物が無くなるでしょうか。お金や品物など何一つ失うことなくして、相手の人には喜びの心を感じて貰えて、その喜びの心は施をした人の上に返ってくるものです。

「和顔愛語」は無財の七施の「眼施」「和顔悦色施」「言辞施」の実践にほかなりません。それらの実践で大切なことはわが身勝手の施しではなく「承問す」とあるように、相手の人のこころに寄り添う施をすることが大切なことです。つまり、「施」は押しつけがましいものであってはいけません。見返りを期待するものであってもなりません。

仏教語の「施」は「喜捨」という意味の語で、自分が持っているものを喜んでさしあげるという意味です。受け取る側が喜んで受け取ってくれるものでなくてはなりません。そしてさらに大切なことは、「私が」・施者、「誰に」・受者、「何を」・施物 にこだわらす忘れるということです。「私が」「誰に」「何を」あげたかに拘っていると、誰に、何を、あげた……のに、お返しや感謝のことばもないというように不浄な心が生じてくるからです。

そもそも布施の行為で忘れがちのことは、「施」は、受け取ってくれる相手がいてこそ成り立つという認識が欠けてしまいがちだからです。施者と受者の関係は全くの平等です。

童謡詩人の金子みすゞさんの詩を紹介します。

 「こだま」

  「遊ぼう」っていうと   「遊ぼう」っていう

  「馬鹿」っていうと    「馬鹿」っていう

  「もう遊ばない」っていうと「遊ばない」っていう

そうして、あとで さみしくなって

  「ごめんね」っていうと  「ごめんね」っていう

  こだまでしょうか、いいえ誰れでも

  詩人、柴田トヨさんが百歳の年に読まれた詩も紹介します。

「貯金」

  私ね、人から

  やさしさを貰ったら

  心に貯金をしておくの

  さびしくなったら、それを引き出して

  元気になる

  あなたも 今から

  積んでおきなさい

  年金より  いいわよ  詩集『くじけないで』より

 インフルエンザが流行っています。寒暖の差も激しい年末です。どうぞご自愛いただいて、よきお正月をお迎えください。次回のホームページは2月15日に更新予定です。