不安なら愛を真剣に望む
秋めいてきました。
ご縁のある鎮守の杜では、楠のさざめきと鳥の声が癒してくれます。
ここ数日、そんな環境にいます。
こんなに、楠のさざめきが気持ちいいなんて。
こんなに鳥が美しい声なんて。
こんなにじっくりと今を生きているという感覚。
もう、プレアデスに思いを馳せたり、日本の過去世だったり、エジプトだったり、縄文だったり、クレタ島だったり、ギリシャ神話だったり、自分の中、かなりめちゃくちゃ散らかり放題。
その中で、大天使たちはちょっと今の私に正気に戻してくれる、有難い存在だなぁと(それも意味不明だよね、あはは)。
だからかな、余計に、今を感じるとホッとするのかもしれません。
ただ、そんな充実感の裏からひょいと出てくる恐怖に苦しんでました。
カルマ解消とか、カルマなんて無意味だなぁなんて思った数日前でしたが…
ぐちゃぐちゃに散らかってきてるし、その分、手放しを促されてるんでしょうね。
要らないもの捨てろよ〜みたいな。
手放せる時だからこそかな。
うわぁーっと広がった見たくない現実を、すぐに、まるっと受け入れるのって、ものすごく苦しい。受け入れたくないよね、普通。
しまったー、見ちゃった!
聞いちゃった!わかっちゃった!やだ〜と思っても遅い。
でも、必要があるから、見ちゃうんだし聞いちゃうんだと思うのです。
もートラウマ!やめて〜って自分が悪くなくても、なぜか自己嫌悪になったりして。
でも、深呼吸して。
ちょっと好きなものを思い浮かべて。
自己嫌悪じゃなくて、自分をいい子いい子してあげる。
嫌だったね、怖かったね、やだったよね、って。
で、まるっと受け入れる。
じゃあ、この先、私はどうしたい?って、
今欲しい癒しと喜びを望んでみる。
書いていて気付きましたが、完全にインナーチャイルドかなー
宇宙に、自分の関わる高次元の存在たちにもサポートを仰いで。
自分のために、自分の世界の平和のために。
自分の中で絶望が愛に昇華できたなら、世界が変わる。
まさに、そんな体験をしました。
たまたま見かけた、全然知らない人の幸せを心から望んでしまった。もう、自分のために、そうせざるを得なかった。そうしたら、風の便りで、無事を知りました。
こういうカタチの愛もあるんだなと学びました。
自分の中の一つとシンクロしていて、自分ではないのに、絶望に突き落とされた気がして。過去世とのシンクロだなと思いながら。
真剣に祈ってしまった。
宇宙と調和した願いなら天に届き、愛を持って未来は作られていくのだと、感動してしまった。
目の前の起こるべき出来事は、自分が引き寄せたもの。
愛を持って乗り越えていけるもの。
不安で仕方なくて考えたくなくても浮かぶなら、
不安でも、自分が、今を生きている事、望むことが出来ることに感謝する。
自分の望む未来を引き寄せるという事に意識を置くと、未来は変わるのかもしれない。
望む、という行為って、慣れてないから、あまり的確な望みは持てないんだけど。
そもそも、何かを望むために生まれてきたんじゃない?私たちって。
自分の世界のみんなが愛に満ちて幸せに、という望みは、たぶん最強かもしれない。
望むたびに、目に映る世界がキラキラしてくるから。
私の請願って、皆を喜びで繋いでいく事だと感じてます。
人間の生きる喜びのリアルグリッドみたいな感じが浮かびました〜
喜びで繋がりたい人は是非!
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