オンライン読書会 シーズン6 第1回の報告と第2回の予告
こんにちは。
オンライン読書会 シーズン6『言葉とは何か』第1回(2023年12月14日@Google Meet)の報告をします。
メンターは、東京大学人文社会系研究科基礎文化専攻言語学研究室 博士課程の佐藤らな さんです。
今回読むのは、『言葉とは何か』(丸山圭三郎著、ちくま学芸文庫)の9ページ~18ページ。
参加者の中の希望者が交代で音読していきました。
まず、いきなり冒頭で、
「言葉とは物や概念の呼び名である」という常識は間違っている
と書いてあって、びっくりします。
旧約聖書の創世記に、神が最初につくった人間であるアダムが、生き物たちに名前をつけた、と書かれていますが、そんなふうに、先に物や概念があって、人間が名前をつけた、とかつては考えられていました。
それで別にいいんじゃない? それじゃ、ダメなんでしょうか?
しかし、続いて、言葉とは事物の名称のリストではない、既存の事物や概念と一対一の対応をしているわけではない、と書かれていて、少しわかった気がしてきました。
例えば、英語の beef(牛肉)はフランス語では bœuf ですが、 bœuf には牛という意味もあります。
しかし英語で牛は cow です。
イギリスを支配したノルマン人(フランス語を使っていた)が牛肉を食べるので、食材としての牛肉は bœuf 由来の beef と呼んだ、支配されたアングロサクソン人は、自らは牛肉など食べられず、支配階級のために生きている牛を扱ったため、生きている牛はもともとの英語のcow というように、英語では、牛肉と牛(という日本語では同じ漢字を使うもの)にまったく異なる言葉が当てられた、という話を思い出しました。
たしかに、一対一の対応ではありませんね。英語を学びはじめたころ、単語をおぼえながら、めんどくさいけど面白いなあ、と感じたことを思い出しました。
また虹は、日本語では七色ですが、英語では六色に区切り、バッサ語という言語では二色にしか区切らないのだそうです。
「バッサ語を使う人たちは、例えば緑色と黄色の区別ができないのでしょうか?」
という質問に、メンターは「そうではないと考えられています」と答えました。
そして言語による違いに関連して、『もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待』(井上京子著、大修館書店刊)という本を紹介してくれました。
なんでも、「右」や「左」といった概念も、それを表すことばもない人たちがいるそうです。
言語が異なると、ものの見方や考え方が異なってくるのですね。
「いってまいります」「ただいま」「いただきます」という日本語は翻訳ができない、と聞いたことがあります。
「たとえばフランス語を学ぶということはとりもなおさず、まったく新しいものの見方を身につけること、すでに私たちが日本語を通して知っている世界を別の観点から読解・把握すること」
と本文にありましたが、外国の人は、日本語を学ぶことによって、世界を別の観点からも見られるようになるのかもしれません。
ただ、それは簡単なことではありません。
本文によると、日本を含むアジアの学生たちがそれぞれの国のポップスを翻訳しあって、お互いの文化を理解しあおうとしましたが、その翻訳はとても大変だったそうです。
「こういう歌詞の翻訳は、まだAIにもできないでしょうね」
とメンターが言っていましたが、まったく同感です。
最後にまとめです。
世界は海辺の砂地のようなもの、そこに言葉の網を広げ、区切っていく。
それぞれの言語社会で、区切り方が異なる。
そうやって、新しい区切り線が重なっていく。
「確かに一対一というより区切り方を知るというほうがしっくりくるなと思いました」
という感想が出ました。
第2回(12月21日20:00-21:00)は、Ⅱ言葉とは何か 3言語能力・社会制度・個人の言葉(ちくま学芸文庫でp64-72)を読みます。
申込みは、メール( info@thinkers.jp )、Facebook( @jp.thinkers )のメッセージ、X(旧Twitter)( @jp_thinkers )のDM、いずれでもOKです。
参加費は無料、事前に本を読んでおく必要はありませんので、お気軽にご参加ください。