飼うも殺すも あなた(飼い主)次第…
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可哀想に
こんなふうにニュースになって…
騒がせたいわけでもないのに
騒がれたいわけでもないのに
飼い主と行く場を失っただけ
こんなところに暮らしたいわけがない
なのに
ペットとして大量に輸入したんだよ
大量に売り買いして捨てられたんだよ
北米原産のアライグマ
哀れだよね、帰る国もない外来種
法律でペットとして飼うことが禁じられているアライグマ
誰よ、
逃したの
捨てたの
逃した人なら分かるよね?
捨てた人なら分かるよね?
逃したり捨てたり身勝手すぎるのよ。
買ったひとも
売ったひとも
責任をもって、責任をとってほしい。
飼った人は、生涯を終えるまで大切に飼育してあげてください。
自分と同じだよ、
このアライグマだって、産んでもらったんだよ、命があるんだよ。
元々アライグマが生息していない日本
飼うべきか考えれば
買うべきでは『なかった』はずです。
手に負えず責任が負えないなら
私。個人的には外来種、野生動物をペットにすることに否定的な人間です。理由はいくつもあるけれど、ペットとして考えるべきじゃないと思っているからです。
大量に輸入され、大量に捨てられ、生き延びられた個体が繁殖をする。今回、出没したのは野生の個体だと思われていますが、ペットとして飼うことはおろか、駆除される対象、害獣としてしまったわけです。ペットにしなければ、こんな事にならなかったのに。
可愛がるために大切にできるように「勉強」する必要がある
そしてもう一つは、根本原因にある問題です。
- 飼い主となる人間
- 飼い主教育
飼い主となる人間をはじめ、ペットに携わるすべての人、それぞれに教育が必要です。
ペットにまつわる問題、ペットのトラブルの多くは、その動物ではなく、飼う人のモラルや知識不足、保護責任者であり所有者の自覚の無さに原因があると考えられます。
飼養放棄や虐待や遺棄は犯罪であっても結果的に当事者が厳罰となることはなく、曖昧な法の改正も待たれるわけですが、そもそも義務も条例も飼育法も管理や対策、それらを守らない人間が飼い主となること自体に問題があるわけです。
ペットの飼養環境、飼い主の意識も改善されてきたと一部では言われてはいますが、迷子のペットの多くは未だに「所有者明示措置」のされてない犬や猫ばかり。これでは(飼い主のせいで)殺処分も不幸な動物も減りません。
どんな動物を選び飼おうと、飼育する人間の飼い主教育の場やシステムが確立すること、その必要性が日本が抱える重大な課題であり、これが原因の解決となる大きな一歩になるのだと思っています。
明確なルールや飼い主にはライセンスが必要だとさえ言われている今、無責任な飼い主によって飼育や管理されるペットの殺処分となる現状を知れば、尚のことです。
上のブログに苦言を書かせていただきました。この犬は結果的には家に帰ることができた朗報ではありますが、それは保護してくれた方や近隣の方の協力によってのこと。どんなに可愛がっていても、この飼い主さん至らなさのせいで殺処分になる可能性もあったことは紛れもない事実であることも忘れてはないないと思って書かせていただいたのです。
飼い主家族や子どもの健康状態や病気などについて一生懸命勉強しますよね。ペットも同じ、ただ可愛がるだけなら動物を飼わない方が良いのです。
本当に可愛がり大切に育てたいなら、ペットのための正しい飼い方、法律、動物の体の仕組みや習性、病気などについて勉強しなければいけません。それが愛情であり、ペットのため、自分のため、そして地域や社会、人に迷惑をかけない適正飼養につながるんじゃないのでしょうか。
終生飼育の覚悟と殺す覚悟
飼うペットの飼育方法や必要なものを学び考える人はいても、その動物の寿命を知り、病気を知り、さらには死ぬときを想像するひとはいるのかな。
外来種のペットを故意であろうが不注意であろうが逃がしてしまったということが起きれば、それがどんなことになるのか、ここをキッチリと飼った者が知るべきです。
もし野生化したら生態系を狂わせますし、人や暮らしに危害を加えることもあります。「罪深いこと」として書かれてる方がいたけれど、本当そうです。けれど、問題は周りは理解できても飼い主となる当事者の理解が足りないことなんですよね。
犬や猫も保健所の職員さんが苦しい思いを抱えて処分と向き合うことだって、そんなことをさせてる飼い主の人たち、よく知りもしないで批判されてる人たちも大きな罪だと思ってますが、この方のように外来種を駆除する人たちの身になって考えてみてほしいです。これが命と向き合ってる方々の生の声です。
私は魚を捌く時にも、命を奪いいただくわけですから、心から手を合わせる気持ちで感謝して丁寧に料理をしていただくことを考えます。すでに代わりにしてくれた過程を終えたものでも同様です。
老衰であれ病気であれ、腕の中で亡くなるペットである家族の命が消えるときには、言葉にならない無力さに襲われます。何度でも襲われます。
下の連続投稿には『駆除』の現実と現場の動画を合わせて説明されています。出来るだけ多くの人に知ってほしいので貼りますが、閲覧には注意が必要ですので個人で考えて判断なさってくださいね。
私は今まで以上に残酷で悪趣味なペットブームに対して強く反発をする声をあげようと思いました。
この事実を知ることから、少しでも買うことや飼うことを踏み止まり躊躇してくれる人たちが増えてほしいし、動物を飼う人、飼おうとする人たちの意識が変わってほしいです。このアライグマの命を感じることができた皆様、何かを心のなかに残してくれたものを啓発に繋げていきませんか。
あなたが買えば、彼らは死ぬ
昨日Twitterで見かけた「あなたが買えば、彼らは死ぬ」という投稿です。ここ最近で一番と言えるほどストレートに突き刺さり抜けなくなりました。
いつもなら課題ともなるような悩み考えるメッセージを感じる投稿も多い中で、あっさりと腑に落ちた言葉でした。
今朝はゴミの日でしたので、昨夜はゴミ出しの準備をして、早朝にウーさんと散歩をあわせて捨てに行くのが我が家のゴミの日です。
毎回のことですが、曜日も時間も守らない人たちがいます。ゴミの日以外にもネットにはゴミ袋が入っている。後の人たちがゴミを置けるような工夫もしません。近くの自販機の横のゴミ箱には、家庭ゴミが詰め込まれて溢れて落ちている。
あちこち何処でも捨てられるゴミや動物たち。本当のゴミは人間なんだなぁとつくづく思い知る自戒の瞬間です。
人間は、ズルくて野蛮で残酷なことができる生き物です。嫌になるほどです。そんな人間の1人が私でもあるのです。
私は共に暮らす動物を殺すということはできません。その命を預かり健康に気をつけて生涯の責任を持って、大切に愛情を注いで飼うことを決意して飼育をしています。
生活と人生を共にする動物は私にとって大切な存在です。そこには動物も人間も同じという気持ちも無くはないけれど、どこまでいっても彼らは動物です。
だから脱走なんてさせない、迷子になどできないし、それでも絶対なんてないから所有者の明示の義務の有り難みを感じながら、彼らと私を繋ぐ公的なものであることを理解し利用して守っています。
犬や猫の殺処分が減らないのには理由があります。飼い主が飼い主として不適切であり、だらしないからです。
殺処分は飼い主が招いている不幸なんです。
以前からの繰り返しですが、特に外来種を買う人、逃がしたり捨てたりするような人がいるからこそ、動物が殺されるということになっているんです。
手を出した飼い主が、動物を不幸な生き方に追いやり、人や地域社会に迷惑をかけて、あるべき種を絶滅に追いやり自然や生態系までを狂わせ、動物を迷惑な害獣や悪者にして、駆除させてることを認識して飼ってもらいたいんです。
日本にいない動物を飼うということは、そういうことなのです。
Lovely days CHIKA'S MIND TRIP
関連ブログ
どんな動物も買う前に、飼う前に何度でも考えてほしいです。特に野生動物を飼うことについては躊躇ってほしいです。
野生動物の暮らしや生態を知って、自然から切り離された野生動物がペットとなること、野生動物が脅かされている現実を調べて知って良く考えてからにしてほしいです。
恥ずかしながら、大好きな動物のことなのに、はじめて、多くの時間をかけて外来種について調べてみました。
動物にはじまり見分けがつかない自然界に存在する植物まで……
世界に点在する多くの動物や植物が日本に存在している事実、目にしないだけで意識しないだけで、こんなにも身近な存在だなんて。正直、複雑な気持ちです。
いるはずがない、
あるはずがない、
そんな動物や植物が日本にいるのは、無責任な感覚を口にするなら嬉しいような気持ちもするけれど、今回いろんな方のブログやニュースの記事などを読み知った上で、環境省のリストを見たときに思ったのは、紛れもなく深い悲しさでした。
悲しいんです。
こんなにも多くの動物が人間の勝手で持ち込まれて、幸せに暮らすどころか、人間以外の野生動物や植物に迷惑をかけていることも、こんなふうに、こんなにも多くの動物たちが外来種のレッテルを貼られ犠牲となっていること。密輸入の被害者となってること。絶滅の危機にあること。
子どもの頃
夏祭りで「金魚すくい」をしたいと言ったときの事を思い出しました。
生き物だよ、面白そうだからって遊ぶのは良くない、良く知りもしないのに金魚なんて育てられるのかと何度も「ダメだ」と言われて泣いたことを思い出しました。その後、金魚の本を買ってもらい、金魚のことを勉強して準備をして、育てられそうな金魚を買ってもらい飼育をさせてもらいました。
あの時、親が教えてくれた事を今また大切さを感じることができました。
このブログを読んでくださる皆さんが、どう感じて、どう考えられるのか、それはそれぞれであるけれど、少なくとも私は私で感じたこと、考えるキッカケになれたことに向き合ってブログにしました。(ブログより抜粋)