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植民地化を防いだ豊臣秀吉

2018.10.18 01:51

植民地化を防いだ豊臣秀吉

しかし、耶蘇を信じた者達が、知らぬ間にいなくなっている。

★信者に「神のお告げと偽り、船に乗せ連れ去って、海外で奴隷として売り渡していた」のが発覚した。

スペインの船員が、「我が国の植民地にされるのも知らないで、・・・僅かな陳品を貰って喜んでいる馬鹿な奴らだ!」と、スペイン語で、笑いながら話し合っていたのを、彼等と交流している内に、片言で覚えた日本人が聞き咎め、上役に密告した。

★それを聞いた秀吉は、伴天連の野心が、スペインの世界征服の先兵だ、気が付いていので、主君の信長に伴天連の動きに気を付ける、と上申していた。 

だが、伴天連の持ち込む文化化を取り入れに熱心な信長は、スペインは遠隔地だ、そんな遠方から軍隊を送って戦争を仕掛けてきても、日本の武士が負ける筈はない。と、相手にされず、一蹴に伏された。

★事実、信長の死後、天下を取った秀吉が、伴天連に、

「奴隷として連れ去った日本人を、代金は自分が払う。元の地に連れ戻せ!」と命じた。 

伴天連は「最早売った先から、また売られているので、居所は判らいので不可能です、」の、返答に怒った秀吉が布教を禁じた。

だが、伴天連は秘密裏で布教を続けたのが、発覚した。

激怒した秀吉は、関与した伴天連を捕らえ、『群衆の前で罪状を示した高札を掲げ』、に示し、磔の刑に処し、関与しなかった者は国外に追放した。

★これを聞いて、マカオにある耶蘇の本部は、「神父を虐殺した!」と、怒った。

★スペインのマカオ政庁、が本国の応援を求め、日本を攻略しようと動き出した。

しかし、戦国時代の戦争で鍛え上げた日本の戦力は、武士の強さ、鉄砲の保有数、生産技術、戦術、戦略、どれを取っても世界一で、とても攻め入る空きはなく、諦めたのだ。

★江戸時代の260年続いた、平和で繁栄した事は、武力の裏打ちがあって始めて、初めて江戸文化の華が開いたのである。

もし、この時に日本が軍事的に弱かったら、スペインに侵略され植民地となって、木造文化の日本など、地上に存在した事実などは一切残っていないだろう。

―世界一の武力による築いた平和と繁栄―

★江戸時代の繁栄は世界最強の、武力の裏打ちがあって始めて、初めて江戸文化の華が開いたのである。

「福島ミズホ、田島陽子、鳥越慎太郎に代表される似非・平和主義者皆さん、それを宣伝するマスコミの関係者諸君、一国平和主義の虚構である事を。お解りか!?」

―徳川幕府の誕生と『元和偃武』―

★家康が豊臣を滅ぼし、天下を取り、江戸に幕府を開いた。

同時に家康は、『元和偃武』を、天下に宣言する。

意味は、

『元和』(平和になった)』『偃武(武器を伏せて武器庫に収める)』。

『平和になった、武器は武器庫に収めよう』と、宣言した、稀有の権力者であった。 

―江戸文化は庶民文化だー

★幕末の日本を旅行したイギリス人が、

「あまり豊かとは思えない下町の路地、傘をさしては行き違いもできない、細い路地の軒先に朝顔の花を咲き競わせ、愛でる。

台所を含め、二間しかない長屋に、美人画を懸けて楽しむ。

東海道の名所、旧跡の風景を浮世絵にして楽しむ、等はヨーッパの貴族並の美意識だ、と幕末に、日本を訪れた旅行者の記述がある。

しかも、その価格は掛けソバ二杯分という安価なものであったのは驚きである。 

さらに芸術性に至ってはルネッサンの巨匠に多大な影響を与えている等は、二重の驚きである。

―日本が平和の繁栄を謳歌している間も、軍備の増強する欧米ー

★しかし、日本が平和を謳歌している間に、欧米諸国は近隣諸国と領土争いの戦を繰り返し、武器、戦闘技術の進化を遂げた。

日本では、徳川幕府の260年を、為政者、一般大衆を含めて、太平を楽しみ、江戸文化の華を咲かせて。

ヨーロッパ文明もルネッサンで豪華賢覧に花は開いたが、貴族が中心の貴族文化で、庶民は蚊帳の外であった。 

★一方の日本の江戸文化は、『河原乞食』と呼ばれた貧乏役者が、河原に足場丸太で骨格を組み立て、ムシロを貼って小屋を立てた。そこで歌って、踊る。

自分も楽しんで、見物客を喜ばす。現代の名門、『歌舞伎』となり、現在も続く、『歌舞伎座』の元祖である。

『繁栄は侵略者の餌食になる』。

『知にあって乱を忘れるな』。薀蓄のある言葉だ。  了) 豊永高明 拝、