ライカ
せっかく手に入れたものの、皆が言うところライカの素晴らしさがいっこうに理解できない。張り付くように見えるファインダーマスクとか、ズミクロンの描写の素晴らしさだとか、まったくといって分からない。
ファインダーは一眼レフのほうがちゃんと見えるし、レンズの善し悪しも六つ切りに伸ばしても他のレンズとの優劣がつかない。唯一、周りのカメラ好きに自慢したのはデュアルズミクロンの造りの精度だ。通称「メガネ」と呼ばれるアタッチメントは寸分の隙もなくレンズ本体にはめ込むことができる。その「カチリ」感がたまらない。」
何度か売り飛ばそうとしたが思いとどまった。皆があれほど絶賛するのには訳があるはずだ。手に入れたM3は、トップカバーにメーターを取り付けたと思われるキズがあるほかは、オーバーホールしてあるためか動作は完璧で満足のいくものだった。
ある日これを売り物にできないようにトップカバーを耐水ペーパーとコンパウンドで梨地を削り、真鍮を出してしまった。これでもう売り物にはならない。使い込むしかなくなった。無茶なことをしたわりにはけっこうきれいで気に入っている。「銀一カメラ」で手に入れた厚く編んだ布製のストラップとハーフカバーを着け、いつも持ち歩くことにした。
(2003年『旅するカメラ』「東京1997」より抜粋)
31歳の時に手に入れたライカM3には、その後ズマロン35ミリf3.5をつけ毎日のように持ち歩いた。デジタルカメラやスマホの無い時代だ、ライカは高級コンパクトカメラだったのだ。仕事の行き帰り、保育園の送り迎え、ライカはいつも鞄の中にあった。
『旅するカメラ』のコラム「東京1997」にも書いてあるが、ズマロンとコダックのT-MAXそれにコダックのエクタルアという印画紙の相性が抜群で、もうこれ以上の組み合わせはないと思っていたほどだ。
しかし『旅するカメラ』を出版した直後の2003年秋、突然両目から眼底出血をし、手術を余儀なくされた。その後一年ほど視力が安定しなかった時期があった。仕事の撮影はAFに頼ることでなんとかしのいでいたが、オーバーホールをしたばかりにも関わらず、ライカの二重像は見えづらくなり、ファインダーを見るのが辛くなった。
そして翌年、10年使ったライカを人手に渡し、以降ライカからは離れてしまったのだった。視力が回復すると、ライカが気になるのだが、M3に義理立てしたわけでも無いのだが、もう一度買うというまでにはいたらなかった。それには何かのきっかけが必要だった。
ライカを手放してから12年、またしても右目の調子が悪くなって手術をすることになってしまった。入院するまでの数日間、家にいても気が重い。何かパッと気が晴れることはないものか。
中野駅近くに中古カメラの聖地とまで言われる「フジヤカメラ」がある。店頭に並ぶカメラを見ているだけでなんだか安心するというか。別に何かを買うわけでもないのについ足が向く。そうだこのモヤモヤした気持ちを落ち着かせるためにフジヤカメラに行こう。
1階でキヤノンやソニーのレンズを見た後、2階奥のライカブースへ向かう。ちょっと前なら目はM9を探していたのだが、近頃は大幅に安くなってきたM2、M3、M4が気になる。すると棚の中の一台に黒光りするものを見つけた。何か神々しいばかりの存在感を放っているではないか(大げさだな)。それには「ライカM2(後塗り)AB+118000 円」とプライスタグがついていた。後塗りとは、もともとはシルバーボディだったのをブラックに塗り替えてしまったもののことだ。
ショーケースから出して見せてもらうとかなり程度がいい。シャッターを切って巻上げレバーを回すとメリハリがある。おっ、これはオーバーホールしてあるぞ。ファインダーは、と覗いてみると曇りひとつない。二重像もクリア。裏蓋の圧板もピカピカ。これはいい状態だ。程度から考えればかなり安い。しかし入院前の物入りで、しかもフィルムの大幅値上げ直後のこの時期に買うのはさすがにためらわれる。
まぁ、ちょうど中野駅近くの病院に入院するから無事退院したらもう一度考えようとライカを棚に戻した。しかし、それ以来ずっとM2が気になってしょうがない。あれはこれまで見たライカの中でも極上品だと思えてくる。退院するまで残っているだろうか? そんな話を明日入院という日曜日の夜、事務所に遊びに来ていた数人にしていた。
するとその中のひとりが「もし退院してM2を買いに行って、無かったらショックですよねえ。そんなにいいのなら売れちゃうんじゃないですか」と脅かす。そう言われるとそんな気になってくる。そこへ「フジヤカメラは夜8時までやってますよ」とまで言う。
もういてもたってもいられなくなって、その場にいた数人と中野までタクシーを飛ばした。フジヤカメラの階段を一気に駆け上がり2階奥に向かうと、ショーケースの中には果たしてM2黒塗りがまだ残っていた。
すぐさま「これ見せてください」と店員に告げ、M2を出してもらうと手に取り、シャッターを切り、ファインダーを覗き、店に入って5分ももたたないうちに「これ買います」。実に12年ぶりのM型ライカとなった。
家に戻るとチタン外装のズミルックス35ミリをつけてみた。思ったとおり黒塗りボディにチタン色がよく似合う。フィルムを装填する前に空シャッターを切ってみる。ああ指に戻る感触がライカだなあ。これが病院のベッドサイドに置いてあれば、しばしの入院にも耐えられそうだ。時にライカは治療薬にもなりうる。単純な性格というのもたまには便利だ。
ピカピカのブラックライカを使っているかというと、実はあまりにもピカピカすぎて持ち歩くのすら躊躇してしまう。その昔M3のトップカバーをやすりで磨いたというのは実は理にかなっていたようだ。
今はワークショップの実習用に貸し出して、いいようにやれてくるのを待っている。そしてたまにフィルムの入っていないM2の空シャッターを切っては「ライカだなあ」などとつぶやいている。