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如何にして我々は先天的認識が可能であるのか その可能性と根拠について

2018.10.18 13:10

いわゆる超越論的哲学というものに捕らわれていると、人は前に進めないなどと言われたりするが、「前」とはいったい何を指すのだろうか。


空間的な「前」であれば顔を前面に出せば「前」に進み、時間的な「前」であれば生きていればみな等しく「前」に進む。


であればここで指示される「前」は物理法則とは異なる「今」ではない「前」を認識する超越論的な人間に意識される何かである。


そういった「前」があることを前提にした場合、人は「前」に進む必要があるのだろうか。

いましがた「必要」という言葉を使ったが、人にとって「必要」とは何を意味するのだろうか。


人は肉体的には細胞を働かせる「栄養」があれば楽しく愉快に生きていける。

それ以上に人に「必要」なものとは何だろうか。


そんなことを考えながら電車に揺られていると、降車予定の駅はとっくに通過していた。

就業時間もとうに過ぎている。

だが、私の生活とアプリオリな疑問はどちらが大事かといえば、どちらもたいして重要ではない。

こうして私が雑文を書いている間にも、世界では数万の命が失われていく。

ある日誰かが私のこの文を読んで世界平和を実現する、なんてことは起こり難いだろう。

であれば私が今すべきことは何だろうか。

電車内の広告が目に映る。

『あなたの200円が少女を1人救います』


電車に乗る前、私はコンビニでお茶と鮭のおにぎりを買い、お釣りを募金箱に入れてきた。

私の行為で1人の少女が救われる。

だが、私の財布にはあと105円しか入っていないので、2人目の少女は救うことができなかった。この現実は本当だろうか。


自身に湧いた欺瞞を振り払うため、私は鞄から携帯電話を取り出す。

ラインアプリで会社にメッセージを送る。

メールに届いていた資料の修正指示と、打ち合わせに必要な準備を促し、何かをした気分に浸っている。

耳にイヤホンをあて、アプリが紹介するお勧めの曲を流す。

『心配なんて ずっと しないで 似てる誰かを愛せるから』

30年前にヒットした歌謡曲が聴こえてくる。

思わず胸が熱くなる。

目を瞑る。

意識は生きることに先んじて生じているのか。

訂正する。

この問いは、今を生きること以上に私にとって大事である。

かつてみた映像が脳裏に浮かぶ。

それは現実であったか、幻だったか。そんなことはどうでもいい。

感覚は確かにリアルに残っている。

私は私である以前に、ある意識の中に生じた私であった。

何百何千と繰り返す私は今こうして稚拙な人の言葉を発し、ときどき人の成す行いにひどく戸惑い、ときには人の行いに深く感心を抱く「私」もまた私である。

この世界に人として形を成した「私」という存在には、きっと何か意味があるのだろう。

私は再び携帯電話を取り出しメッセージを送る。

遅刻を詫びて、私は下りの電車に乗り換えた。

電車は前に進む。

今から向かえばきっと、会議に間に合うだろう。