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《トキワコラムvol.7》脚本家になるには?【脚本家になるための5つの道】独学でなれる?

2023.12.18 13:22

ドラマや映画、アニメ、舞台などのエンターテイメントが好きな方のなかには、それらのコンテンツの設計図とも言える「脚本」に興味がある方もいらっしゃるでしょう。

今回は、「脚本を書く仕事に興味がある」「脚本家になりたいけれど、どうやってなれるのかわからない」という方向けに、脚本家になるための方法を解説していきます。専門の大学に行くべきか、40代からでも目指せるのか、独学でも可能か……など、気になる情報もお伝えしますので、ぜひ参考にしてみてください。


脚本家(シナリオライター)になるための5つの道

脚本家には資格は必要ありません。脚本家への道は「これしかない」という絶対的なものはなく、複数あります。ここでは代表的な脚本家のなり方を5つご紹介します。

脚本家になるための道1 コンクールで入賞する

脚本家になる道として、誰にでも開かれており、もっとも王道だと言えるのが、脚本コンクールでの受賞です。

2022年現在、メジャーな脚本コンクールとえば、フジテレビヤングシナリオ大賞、テレビ朝日新人シナリオ大賞、創作テレビドラマ大賞(NHK)、城戸賞、新人シナリオコンクール、橋田賞あたりでしょう。なかでも、プロの脚本家を多く輩出しているのがフジテレビのヤングシナリオ大賞で、これまでに、坂元祐二や野木亜紀子などの売れっ子脚本家を排出しています。

これらのコンクールは年齢や経歴問わず応募することが可能であり、門戸が広く開かれています。最終選考に残った段階で、勉強会と呼ばれるプロデューサーとの顔合わせの機会などが設けられるコンクールもあるので、仕事につながる人脈を広げるのにも最適です。

しかし、コンクールで受賞したからといって、その先の仕事が保障されているわけでは決してありません。受賞後、デビューできずに終わるケースも多々あるので、プロを目指している方は、受賞をゴールだと考えず、その先を見据える必要があるでしょう。


脚本家になるための道2 専門のスクール・大学に通う

脚本家として仕事をするためには、脚本が書けるようになる必要があります。

そのために、学校に通うというのもひとつの手です。大学進学を考えている方は、映像学部や芸術学部がある大学をチェックしてみましょう。関東エリアですと、日本映画大学(日本で唯一の映画専門の四年制大学)や日本大学などが有名です。

すでに社会人の方は、会社と並行して学べるスクールを選ぶとよいでしょう。映画美学校やシナリオ・センター、日本シナリオ作家協会シナリオ講座などでは、脚本を専門に学ぶことができます。

スクールに通うことで、同じ志を持つ人々に出会え、切磋琢磨することができます。また、映画監督や脚本家とのコネクションができて仕事につながる場合や、スクール経由で仕事を斡旋してもらえる可能性もあります。

たとえば、シナリオ・センターで一定のコースを修了すると、作家集団というコースに入ることができます。作家集団に入り、データベースに登録されると、シナリオ・センターが請け負った仕事のコンペの情報を受け取ることが可能です。そういったコンペに勝ち、映画やゲームの脚本家としてデビューするケースもあります。

ただし、ほとんどのスクールはあくまでスキルを磨くことに特化しており、仕事の斡旋を目的とはしていません。ですから当然、スクールに通ったからといって即プロになれるわけではない、という点には留意が必要でしょう。


脚本家になるための道3 テレビ局や制作会社に就職する

いくら面白い脚本が書けても、机のなかで眠らせていては、ドラマや映画、アニメの脚本として採用されることはありません。面白い脚本が書けたら、実写化またはアニメ化するために、プロデューサーや監督に企画書や脚本を読んでもらう必要があります。

映像に関係のない仕事をしている場合、プロデューサーや監督と知り合う機会はあまりないでしょう。その点、テレビ局や制作会社に就職すれば、企画書や脚本を売り込めるチャンスはぐんと増えます。

実際、映像関連の会社で働きながら脚本家でデビューをした人は、珍しくありません。


脚本家になるための道4 自主制作映画を作る

「自信がある脚本が書けたけれど、映像化してくれる人がいない」という場合は、自分で映画やドラマ、アニメを作ってしまうというのも手です。

自らが監督や演出、プロデューサーを兼務するのもありですし、自主制作映画を撮っている監督と組んで作るのもよいでしょう。

自主制作映画を作って公開することで、関係者の目にとまり、商業デビューできる可能性があります。

ただし、自主制作の場合、制作にかかる費用は自分持ちになりますから、資金集めの方法(クラウドファンディングなど)など、脚本以外の知識もつけておく必要があるのでしょう。


脚本家になるための道5 劇作家・小説家・俳優・芸人として頭角を現す

映像の脚本家のなかには、宮藤官九郎や三谷幸喜など、もともとは演劇の脚本を書く劇作家だったという人も少なくありません。劇作家として人気が出れば、映像の関係者から声がかかる場合があります。また、小説家の出した本が映像化される場合、原作者が脚本も担当するケースもあります。

さらには、俳優や芸人として成功したのち、自身で脚本を書いたり、プロデュースに回ったりするパターンもあります。

映像業界に近いところで一定の成果を挙げれば、脚本家になることはそう難しいことではないと言えるでしょう。


脚本家になるには……必要なのは若さ? 学歴? 独学でもなれる?

次に、脚本家志望の方が気になる疑問にお答えしていきます。

脚本家になるには若い方が有利? 40代からでも目指せる?

脚本家は監督やプロデューサーとともに仕事をしていくため、脚本家が年上だとやりにくいと考える人もいます。また、若い方が将来性を見込まれ、コンクール受賞後に仕事につながる可能性が高いという風潮は否定できません。

30代後半でのデビューは遅咲きと言われる世界ではありますが、実際には、40代でドラマや映画、アニメの脚本家としてデビューしている人もいます。そもそも、体力が必要という仕事でもありませんから、40代から目指すことも可能だと言えるでしょう。


脚本家になるには専門の大学を出ないとダメ? 独学でもなれる?

前述したように、脚本家へのルートは色々ありますから、必ずしも大学やスクールに通わなければいけないというわけではありません。脚本家の仕事を理解し、一定のスキルがあれば学歴は全く関係ない世界なのです。

独学で脚本を書いてみたい、勉強したい、という方は、脚本の書き方指南本を読んで、まずは一本書いてみましょう。


脚本家になる方法はたくさんある

今回、ここで挙げさせていただいたのは、「今までよくあった脚本家になるための道」です。ここ数年、YouTubeアニメなどの脚本を描く仕事などが出てきていますが、今後も、脚本家が必要とされる場面は変わっていき、それにともなって、脚本家になるための道も変わってくるでしょう。

脚本家になる道は、ひとつではありません。これから脚本家になりたいという方は、時代を見極め、トライ&エラーを繰り返しながら、自分にあった道を探していきましょう。


おまけ。「シナリオ作家集団トキワ」に所属する脚本家は、どうやって脚本家になった?

「脚本を書き始めたきっかけは、小劇場やショートフィルムに俳優として出演していた時期に、自分で書いた方が面白いものが作れるんじゃないかという勘違いを起こしたことです。その後、戯曲を書いていくなかで映像分野の人と関わり、さまざまな媒体で構成や脚本を任せていただくことになりました」(中堂大嘉


「自分は5つの場所(大学や脚本教室)で計17年、シナリオの勉強をしてきました。その中でコンペがあったり、プロデューサーを紹介されたり、逆にゲストに来たプロデューサーに持ち込みでプロットを送ったりしているうちに執筆依頼が来て、プロットライター、そしてVシネの脚本家としてデビューすることができました」(高橋祐太


「テレンス・マリック監督の『ツリーオブライフ』を鑑賞したのが、創作の道に進む大きなきっかけです。私も監督のように美しく深みのあるストーリーを描くクリエイターになろう! と決意しました。当時はサラリーマンで人脈はない…と思いきや、私の思いを知った知人のカメラマンが、クリエイターとの交流会を開いてくれたんです。そこでベテランクリエイターから、「自分の作品を届けたいなら、まずは脚本からだね」「自分ひとりでできると慢心せず、他のプロフェッショナルの力を借りることも忘れずに」というアドバイスを貰いました。数日後、タイミングよく映画美学校の脚本コースの募集があり、受講し、修了後は、「わたしの魔境」の監督助手をやらせていただいたりして、クリエイターとのご縁を広げていきました。そういったご縁から、脚本家として、小舞台のシナリオを書くお仕事をいただくようになりました」(斉川実未


「映画に携わるためにアシスタントプロデューサーとして制作会社に入社しましたが、すぐに会社が消滅してしまいました。その後、社員時代のご縁で企画書やプロットを書かせてもらうようになりました。しばらくして映画の脚本を書かせていただきましたが、撮影まであと一歩というところで製作中止に。その後は、脚本家事務所に所属してプロットライターして経験を積みました。体調をくずして、しばらく脚本から離れていた時にピンチヒッターとして急遽劇場映画の脚本を書かせていただくことに。脚本のお仕事を始めてからデビューまでは10年くらいかかりましたが、当時は遠回りと思っていたことが後々すべて繋がっていきました」(難波望)