05:続・クリスマス
「冬休みなんだ」
彼はそう言って朝一番、背中に大きなリュックを背負って明智のマンションにやってきた。冬は特に寝起きのよくない明智が叩き起こされてぶすくれているのでコーヒーを入れてやり、勝手に明智の洗濯をまわす。
リビングのソファで膝を抱えてちびちびとマグカップをかたむけ彼にひとしきり文句を言い、起きてしまったものはしかたなく明智はソファの前のガラステーブルにノートパソコンをひろげて仕事をする。
彼はかたわらでハンディ掃除機をかけたり棚のほこりを落としたりして、洗濯機に呼ばれると廊下の洗面所に歩いて行って、明智の衣服をベランダに干した。
(これはけっこう、便利かもな)
じょじょに回りはじめた頭でメールを打ちながら明智はぼんやりとそう思った。家にメイドが来たみたいだ。警察の担当者は明智にズケズケといくらでも仕事を押しつけてくるのでなんだかんだ年末近くなっても明智は忙しく仕事をしていたし、全自動で部屋が片づいて洗濯が終わるのはなかなか悪い話ではないかもしれない。
そんなことを考えていたときだ。
ひととおりの家事を終えた彼は手を洗って自分のコーヒーを入れると、ソファに座ってぴたりとくっついてきた。明智はさすがにおどろいてオイ、と声をかける。
「ちょっと、じゃまなんだけど?」
「掃除と洗濯、終わった」
「あ、ありが……いやそうじゃなくて! なにフツーにくっついてきてんだよって言ってんの!」
気づいたときにはいつのまにか腰まで抱かれているではないか。手が早すぎる。明智がもうすこしぼうっとしていたら今ごろベッドに引きずられていたかもしれない。渋い顔でため息をつき、ソファの背もたれに背中をあずけると明智は彼にきいた。
「キミさぁ……いっつもこんななの?」
「?」
「女の子に対してもこうなのかってハナシ」
彼はつかの間考えるように黙りこみ、それからゆるく手を振った。
「さすがに女子の下着は勝手に洗わない」
「〜〜〜〜〜ッバカ! バカバカバカバカバカ!」
まさか女に対してもこんなふうにデリカシーのない距離の詰め方をするのか不安になって聞いたのだ。言い直せば彼はああ、とうなずいて首を振る。
「今は、明智にしかしない」
今はってなんだ、今はって。言葉の前半が引っかかるような、後半で口もとがゆるむような、明智は複雑な顔をする。彼は片眉を持ち上げた。
「明智、妬いてるのか」
「! なっ、な、なわけないだろ!?」
「かわいい」
「話聞けよ!?!?」
これ以上この男のペースに呑まれてはダメだ。明智はなんとか頭を切り替えてカタカタと文章を打つ。明智のことをクッションか抱き枕とでも思っているらしく、彼は明智の腰を抱いたり尻を揉んだりして終始明智をイライラさせた。
「いやもう帰れよ!? じゃまだよ!?」
「もう昼だな。昼飯作る」
明智は拳で机をたたいてギャンと吠えた。
「作ったら帰れよ!? 絶対だぞ!!!!」
彼は手早くパスタをゆでて、冷蔵庫になんとかあったものでサラダとスープをつけ合わせた。しっかり完食して明智はふうっと息を吐く。
食後のコーヒーはクリスマスに彼が明智に贈ったカップに入れられて出てきて、ソファに座った明地はまんざらでもない気分でそれを口にかたむける。
彼は片づけを終えるとやっぱりベタベタとくっついてくるので、明地はしっしっと手を振った。
「おい、作ったら帰れって言っただろ」
「夕飯も作ってやる」
「む……」
「明智の好きなハンバーグだ」
「うっ……」
卑劣な男だ。明智が黙ったのをみて頬をよせてくる。恋人にするようなやり方に明智はいやいやと首を振った。
「あのさあ、なんか勘違いしてるのかもしれないけど、僕たちべつに付き合ってるわけじゃないんだからね?」
「わかってる」
「いや、わかってるならベタベタするなよ」
「付き合いたい」
「イヤだって何回も言ってんだろうが」
「好きだ」
「ッ〜〜〜〜!」
お母さんの胎内からやり直して日本語をただしく勉強してきてほしい。明智は赤い頬をついとそらしてパソコンに向き直る。ひとまず彼を無視することにして頼まれていた資料をつくる。
長い脚をゆったりと組んだ彼は明智がクリスマスに贈ったインポートのカップでコーヒーを飲んで、気が向くと明智の横顔をながめたり、不埒な手つきで腰にさわったりした。そのたび叩かれて引き下がり、ちょっと間をおくと懲りない子どもみたいにまたやってくる。
明智はブチキレてシャーッと牙を剥いた。
「もうっ、いいかげんにしろ! ホントに仕事のジャマなんだよ!」
明智が怒鳴ると彼はめずらしくわずかにしょぼくれた顔をして、すごすごととなりの寝室に歩いていく。ひとりリビングに残され、なんだよ、と明智はたじろいだ。
(いつもはあれくらい言っても全然気にしないのに……)
仕事はおちついてできるようになったがどうにも気がそぞろだ。事件の概要をまとめようとして手が止まって、被告のプロフィールに頭が回らず、しかたなくハアッとため息をついて立ち上がる。
寝室にようすを見に行って、明智は信じられない思いで目を見はった。
(ね、寝てる……!!!!!!)
落ちこんで出ていったものと思えば彼はただ昼寝をしにきただけだったのだ。明智はワナワナと震え、こめかみに怒りを浮かべて大股でベッドに歩みよる。
(もう、ホントにこの、クソ野郎……!)
寝込みでも襲ってやれと思って明智は彼の腹の上に馬乗りになった。厚手のセーターの胸に手をつき、タートルネックを引き下ろして首筋に噛みつこうとすると、しかし不意に彼の手がうごいてギョッとする。
「ひゃあッ……!?」
「ん…………あけち……」
寝ぼけた彼の手が明智の部屋着の尻を揉んでいた。明智は背をそらせて飛び上がる。
「ちょっ、な、なに、……あっ!」
ぐにぐにと無遠慮にやられて明智は膝を震わせた。
「あっ……や、ゃだ……あ、ぁ……!」
しょっちゅうさわられているからすっかり感じやすくなっていて、明智は彼の胸にネコみたいにすがってふうふうと乱れた息を吐いた。あけち、あけち、寝言でうれしげにくりかえして彼がふれてくる。
明智は震える腰をなんとか持ち上げて身体を逃がして、ドス、と彼の腹に一発ブチこんだ。ぐふ、とうめいた男がようやく目をあける。
「うぅ……あれ? 明智……?」
なにしてるんだとたずねる声すら憎たらしい。明智はキッと彼をにらんだ。
「なにしてるんだじゃないよ! 寝ぼけたお前に襲われそうになったの! わかる!?」
彼は何度かまばたきして、小さくうなずいた。
「そうか。……襲っていいのか?」
「なんでこの流れでいいと思ったの????」
世界は自分を中心に回っているとでも思っているのかもしれない。おそろしい男だ。今だって名残惜しく明智の尻を撫でている。明智はげんなりとため息をついた。
午後はそれ以上ジャマされなかったのでなんとか夕方には仕事がひと息ついて、彼はスーパーに行くと言うから明智も気晴らしについていった。家賃の高い都心からすこし外れたエリアに住んでいるから五分も歩けば大きめの庶民的なスーパーがある。よく来るのでどこに何があるのか詳しく知っていて、彼は片手にさげたカゴにポンポンと食材を放り込んでいく。
あんまり勢いがいいので明智はちょっとと声をかけた。
「うちの冷蔵庫、一人用だし、そんなに入らないんじゃないの。ていうかそんなにいらないし」
「一週間分だ」
「……………ん?」
「一週間分買おうと思ってる」
「ん? ん、ん?????」
聞き直したのに答えが変わらないのが怖い。明智はめまいを覚えながら彼の顔をのぞきこんだ。
「ねえ、何言ってんの?」
精肉コーナーでひき肉を選びながら、彼は先日の話をした。数日前のクリスマス、明智に寂しい思いをさせてしまったので冬休みはなるべく明智の家にいることにしたのだという。明智はいやいやとつっこんだ。
「いやいやいやいや、なんでそれを勝手に決めてるの? キミが??」
二割引のパックを手にとり、彼はしゅんと傷ついた顔をする。
「明智、…………ダメか?」
明智はバシッと癖っ毛を叩いた。
「演技すんな!」
「む……」
バレたんだからもっと肩身の狭そうな顔をしろ。プリプリと怒る明智に彼はしかたなく三日分くらいの食材とゴムの箱を二、三個買って部屋に帰る。
クリスマスの詫びだと言ったとおり、夕飯は明智の好きなメニューばかりだった。
デミグラスソースのハンバーグとオムライスがワンプレートに並び、オムライスの上にはご丁寧に国旗が飾られている。マッシュポテトとバターコーンが皿の隅に添えられて、一見ファミレスのセットのようだが名店の洋食屋も顔負けなくらいにおいしい。
食卓で向かい合って手を合わせると、明智は元気に夕食をとった。ハンバーグはソースが濃厚で肉汁がジュワッと広がり、玉ねぎの甘みがほのかにする。オムライスはグリーンピースや細切れのニンジンの歯ごたえがよく、ハンバーグがしっかりした味なのでこちらはあっさりめに仕上げられていた。副菜とあわせて飽きずに食がすすむ。
明智は食事という行為にはあまり興味がなかったが、彼のつくる料理はおいしいので食べるのは前よりすこし好きになった。色んな店のものを食べたが彼の手料理のときだけおかわりをする。悔しいからもちろん教えたことはない。
明智が空になった皿を差し出すと彼は満足げにフライパンに残ったチキンライスをよそってきて、明智の頭をよしよしと撫でる。明智はガラの悪い目つきで彼をにらんだ。
「おい、僕のほうが年上なんだぞ、わかってんのか」
「わかってるわかってる」
「舐めてるだろ!?」
「あとで好きなだけ舐めてやる」
「ッ……この……!」
涼しい顔して最低のゲス野郎だ。おそらく仲間内ではこんな面を見せないだろうところもまた腹が立つ。明智はイライラしながらチキンライスを頬張った。ムカつくくらいにうまかった。
風呂を浴びてベッドに入り、いつものようにならんで横になると、しかし明智は違和感に顔を上げた。おやすみと言ったぎり彼が黙っている。昼間はあれだけくっついてきたし、さっきはあんなことを言っていたから当然のように抱かれるものと思っていたのに意外とそうでもない。毒気を抜かれた気分で明智はまじまじと彼の顔をみた。
サイドボードに眼鏡を置いた顔はいくぶん幼く、窓辺で青白い月明かりに照らされて男っぽい輪郭が浮き彫りになっている。普段着で寝ようとするから明智が気になって買い与えたストライプのパジャマを着て、胸元が軽くあいている。しろい鎖骨が色っぽくて、明智はわずかにドキドキした。
今日はしないのだろうかと思いながらながめていると、暗闇の中でふと目を開けた彼と目が合ってハッとする。
明智のスケベ、ゆっくりと唇をうごかして彼が言った。見つめていたのがバレた明智は真っ赤になって彼を殴る。慣れた手つきで彼はその手首をつかまえ身を寄せる。
「明智」
低い声が名前を呼んだ。明智はぞくりと背を震わせる。目と目を合わせると、彼はぼそりとたずねた。
「……いいのか?」
「ッ……!」
まじまじ聞かれると返答に困る。だめではない、けれどいいとは言いづらい。
しかたなく明智がパジャマの裾を引けば彼はやんわりのしかかってきて、そうしていつになく明智を甘やかした。明智、好きだ、かわいい、好きだ。両手で大切に抱かれてそればかり言われて頭も身体もバカになる。
死にそうになりながら行為を終えて、明智はげっそりとシーツに沈み込んだ。彼はまだ懐いていて、汗で濡れた明智の背中をちゅうちゅうと吸っている。
明智は疲れ切った顔で振り返った。
「お前、ホントに……三日したら帰れよ」
「? わかった」
こんなの毎日毎日やられたらおかしくなる。彼なしではいられなくなりそうでそらおそろしい。明智が絶対だぞ、と念を押すと、たぶん帰るとのらくら彼は言う。
(こいつ、帰らない気だな……)
ホントにそうなったらルブランまで直接送ってやるのだと思って明智は目をつむった。彼はまた好きだとつぶやいて、明智のお腹を撫でていた。