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何もかも中途半端だった高校時代が、今の誠鏡会実行委員会での活動に繋がっています。

2018.10.25 23:00

これまで福山智子さん、松岡佳子さんが関東で取材してくれていた「Closeup同級生」ですが、ようやく北九州でも取材を行うことができました。記念すべき初回の取材を快く引き受けてくれたのは、高校時代と変わらない笑顔が素敵な横尾和貴くん。私達42期が担当する第98回誠鏡会総会の実行委員会で事務局長を務めてくれています。横尾くんの製麺所へ職場訪問した後、取引先でもある近くの雰囲気の良い居酒屋で、美味しいお酒とちゃんぽん麺を頂きながら、楽しく取材は進みました。

 ※もちろん取材はため口で行われましたが、記事にするにあたって口調を変更しています。ご了承ください。


横尾和貴くん

八高時代は1年9組、2年11組、3年8組、剣道部。専修大学(商学部会計学科)に進学後、建設機械販売会社に就職。5年後に離職し、家業の製麺所を継いで20年。妻は3年8組の池松くんの実妹。小5の娘と小2の息子がいる。 八幡西区在住。


達成感のなかった高校時代

-今日は取材資料まで準備してくれた頼れる横尾くんですが、どんな高校時代でしたか。

全てにおいて「中途半端」でしたね(笑)。特に勉強を頑張ったわけでもなく、文系に進んだのも、受験に必要ない理系科目を勉強したくないが為でした。剣道部でも公式戦出場は2年生の数回だけ、3年生ではずっと補欠でした。3年8組で取り組んだ文化祭の「空き缶アート」制作にも、中途半端にしか関われませんでしたし。

-えっ?空き缶アートは、横尾くんが引っ張ってくれたからこそ完成したというイメージでしたが… 

それは勘違いです(笑)。確かに僕は、なかなか皆の手が進まなかった時期に「このままじゃまずいよ!」とは言ったかもしれませんが、結局はしょっちゅう部活で抜けて、あまり皆と一緒に作業できなかったんです。上掛先生は未だに「空き缶アートはお前が言い出しっぺだ」と言ってくださいますが、実際は松原くんでしたしね。しかも文化祭当日は剣道部の試合があって、完成品をこの目で見ていないんです。その試合も補欠で…。だから、高校時代で何かをやり遂げたという思い出はないんです。

公認会計士を目指したはずの大学時代

-常にクラスでリーダーシップを取ってくれていた印象があったので、そんな思いがあったとは意外でした。では、卒業後の進路について聞かせてください。

親の仕事を手伝ううちに、会社に出入りする会計士さんを見て、公認会計士を目指すようになりました。実家の製麺所はとてもハードな仕事で、母から「継がなくて良い」と言われていたんです。会計学科は全国に横浜国立大、滋賀大、専修大の3大学しかなかったのですが、センター試験でミスをして、横浜国立大と滋賀大の線はなくなりました。後でわかったのですが、公認会計士になるのに必ずしも会計学科に進学する必要はありませんでした。が、当時は調べる術もなくて…。

一つ下に弟がいて、スポーツ推薦で翌年度に現役で進学する見込みがあったので、浪人だけはしたくないと、とにかくたくさん受験しました。最終的に福岡大と専修大の選択となり、家庭の事情もあって父には「地元に残ってほしい」と言われましたが、やっぱり会計士の夢が捨て切れず、専修大学商学部会計学科に進みました

 -なるほど。それで、会計士の資格は取得したのですか。

それが取れなかったんです(笑)。学科には真面目に会計士を目指す学生が多くいましたが、僕は親の目から離れたことで、のびのびとしてしまって…。50人中47人が男子というクラスで、野球経験がないのに軟式野球チームを作って、すっかりハマってしまったんです。クラスメートとチームメートがほぼ同じという、女っ気のない濃厚な人間関係の中、アルバイトや麻雀にも明け暮れました。一応、会計士を目指すサークルにも所属しましたが、脱落してしまいました。

-未経験なのに自ら野球チームを作るなんて、大学でもリーダーシップを発揮していたんですね。就職先はどのようにして決めたのですか。

旅行が好きだったので、旅行会社を中心に受けましたが、本命の会社は最終面接でダメでした。違う旅行会社の内定は頂きましたが、結局は建設機械の販売会社に就職しました。

人生の暗黒時代、そして人生の夏休み

-会社時代のことを教えてください。

ここから5年間は、僕の人生の暗黒時代です(笑)。当時、もうバブルは弾けていましたが、建設業界にはまだ影響が及んでいませんでした。入社当時のレクリエーションで、大学時代のユニフォームを着て野球をしたところ、のちの上司が気に入ってくださったんですが、その上司に引っ張られた部署が、建設機械とは無縁の商品を売る社内で唯一のアウトロー的な部署でした。浄水器や広告用の電子パネルなどを扱っていたんですが、世の中はとっくに不景気で、まあ売れない(笑)。成果の出ない部署に居続けるのは辛かったですが、良い経験にはなりました。
3年後にようやく本業の部署に異動しましたが、担当エリアは東京のど真ん中、建設機械を買ってくれるような会社は殆どありませんでした。異動してからの営業成績は全社で最下位。以前より父からは「家業を継いでほしい」と言われていましたし、担当エリアも替わらない状況下で2年を迎え、ついに「やーめた!」と離職を決意しました。

-では、家業を継ぐことに。

はい。でもその前に、一年間だけ違うことをしたくて、帰郷を延ばしてもらいました。ケーキ屋でアルバイトをしながら、大学時代にファンになった当時の横浜ベイスターズの試合観戦に通う日々を送ったんです。1998年、ベイスターズが38年ぶりに日本一になった年です。リーグ優勝が決まった10月8日の甲子園球場に僕もいました。ベイスターズが日本一になった瞬間、僕の人生の夏休みは終わったと思い、11月末に帰郷しました。

帰郷した翌日から即戦力、何でもやってます

-いよいよご実家の製麺所に。どのようなお仕事なのでしょう。

子供のころから手伝っていたので即戦力として期待され、帰郷翌日の1998年12月1日から仕事を始めました。一応、会計学科を出たので、一番に「貸借対照表」に目を通しましたよ(笑)。

初めの2年間は製造のみでしたが、業績が右肩下がりの時期に人員整理をしてからは、経理も担当しています。他にも労務、営業など、何でも。数年後のラーメンブームで会社が持ち直したのはラッキーでした。
会社自体は365日休み無しです(笑)。僕の直近の休日は3月26日でした(取材日は9月上旬)。半日は休めても、一日となるとなかなか…。午前3時半起床、4時始業、14時過ぎに昼食、19時過ぎに帰宅したら風呂、飯、寝るといった生活です。母が反対したのも無理はありません。

それでも独身時代は、妹の職場のテニスサークルに何故か未経験の僕も入り、週一でテニスをして、合コンもよくしました。若かったなぁ(笑)。

-お仕事のハードさには改めて驚かされますね。では次に、皆がとっても気になる池松くんの妹さんとの馴れ初めを聞かせてもらえますか。

何から話せばいいかな(笑)。池松くんとは卒業後もずっと付き合いがあり、結婚式にも出席しました。その時に親しくなったのがきっかけです。池松家のご両親が僕のことをよく知ってくれていて、理解してくれたのはありがたかったです。嫁さんも僕の忙しさを承知してくれ、家族の時間が殆ど取れないにも関わらず協力してくれて、本当に感謝しています。

42期の皆と、これからも

-素敵な奥様に支えられているんですね。そんな忙しい生活の中、第98回誠鏡会総会の実行委員会の立ち上げから関わったきっかけは何でしょう。

卒業後すぐ地元を離れて、同級生との繋がりはありませんでしたが、4年前に会社のホームページを通じて向野くんが連絡をくれ、同窓会などに参加するようになりました。そして去年の8月、上掛先生の退職祝いをした時に、金崎さんや内野くんから、僕達42期が2019年度の誠鏡会総会の当番期らしいこと、なのに活動がまだ何も始まってないことを聞き、そこで初めて「まずいのでは?」と認識しました。その場にいた石松くん、森山くん、山崎くんとも話をし、代表幹事の吉武くんに連絡を取って、9月に第一回の会議をしたのが始まりです。本格的に始動してまだ1年です。

-来年度はできるだけ多くの同級生と総会を成功させたいですね。同級生へのメッセージをお願いします。

いつもFacebookやLINEで発信していることですが、42期皆が実行委員なんだよ、ということですね、やっぱり。他人事と思わず、少しずつで良いので協力して欲しいです…
というのは綺麗事で(笑)、そもそも僕が実行委員会に入ろうと思った理由は、仕事柄、人付き合いがあまりなく、友達が少なかったからなんです。実行委員会を通じて、高校時代に全く接点のなかった同級生とも仲良くなり、利害関係なく酒を酌み交わせて、本当に嬉しいです。だからもっともっと仲間が増えて欲しいですね。
それに何といっても、高校時代を中途半端に終えてしまったという気持ちがありますから、今度こそ同級生と目的を達成したいという思いは強いですね。

今、実行委員会の活動が楽しくて仕方ないです。確かに忙しい毎日ですが、毎回の会議のレジュメ作成なんかも全く苦になりません。製麺の仕事は体が覚えていますから、仕事をしながら頭の中で議題を考え、終業後にアウトプットするだけです。

 「第98回誠鏡会総会」を成功させた後も、42期の皆とは死ぬまで友達でいられる気がします。これから先も皆と一緒に楽しい人生を送りたいですね。 

-今日は横尾くんの高校時代の意外な思い出や、同級生への熱い思いを聞けて、とても楽しかったです。ありがとうございました。 

(取材日2018年9月8日/八幡西区にて) 

取材/吉田ゆき、森山亮一、藤丸里美

写真/森山亮一

文/吉田ゆき