世界の約束 -ハウルの動く城ー
ナウシカと同じときに、「世界の約束」も弾かせていただくことになっていて、こちらは歌の譜面をそのままチェロで弾くので譜面づくりは無かったのですが、この曲は意外と難しいと思いました。
C durで、別に何も難しい技術は無いのですが、でもいつも自分が適当にしていることが露わになる感じで、ああ、なんでこんなに長いことやっているのにこんなに下手なんだろうと思います。
「ハウルの動く城」も観たことないので観てみました。ご想像できるかと思いますが、鉄骨好きにはあの動く城はたまりません。なんか、筋とかよく理解していないですが、あの装置とか、変なキャラがいっぱいでてくるのとか、それだけで私としては二重丸です。
歌は最後に歌われるだけですね。歌詞を見ながらチェロを練習しているから、さすがの私もその歌詞が気になりだしました。というのは、そんなにはっきり映画のお話とは結びついていないし、謎の感じが多い。
「世界の約束」って何?「思い出のうちにあなたはいない。」って別れたのか死んじゃったのか?
もちろん、「これです。」という答えがないのはわかっていますが、みんなどう感じているのかなとインターネットを探ると、素敵なものが出てきました。作曲した木村弓さんとそのあと曲に詩をつけた谷川俊太郎さんの対談のなかでの谷川さんの言葉です。(私が見つけたところも出典が書いていなかったのですが、その部分だけお借りします。)
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谷川 別れた後どうするかという気持ちを大切に書きかった。 その考えのきっかけとなったのが「思い出のうちにあなたはいない」という部分。何度も曲を聴いているうちに、すっとこの言葉がはまったんです。 作詞というのは、あれ これ筋立てを考えるより、 うまくはまる一言を探す方が、流れができる。 この部分ができたら自然と「決して終わらない世界の約束」という言葉も生まれました。人と人との別れの後に、人と世界という関係が見えてきたんです。
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これは詩だけじゃなくて、あらゆる創作物に言えるような気がします。お料理とか、ベートーヴェンの曲とか、小説とか、絵画とか、映画とか、いろいろ。
ー うまくはまる一言 or 何か or イメージ or モチーフ -
一から全部説明されて納得するという、ぎっちりつまっている感じではなくて、魅力的なアイテムがあって、それが光るように構成されているというか、そんな感じ。
送り手も受け手も、それに気が付いて、「そうだね。」って言えたら、作品として成功なんじゃないでしょうかね。口では言えても、なかなか難しいことだと思いますが。
それで、これは別の話と言えば別の話ではあるけど、この詩に対しては私としてはとってもすっきりした気持ちになりました。
最近の歌謡曲は、なんか説明的なというか、お説教みたいな歌詞が非常に多いと感じています。「頑張って生きよう」みたいなのは、もはや詩ではないと思います。
だから、この「世界の約束」は訳わからないけど共感を呼ぶ感じが、とってもよいと思います。
ただ弾くことさえままならない自分のことをいったん棚に上げて、思ったことは、楽器で歌のメロディを弾くときにどれほど歌詞を意識すべきかということです。
特に日本語の歌の場合、ちょっと言葉の抑揚を押さえて、子音も少なめにでもかすかに聞こえるような感じで控えめにささやくようなそういう感じってあると思うのですが、それを楽器でやろうとするとというか、言葉を意識しすぎると、何だか楽器を弾いている感じにならない。ただもそもそしているだけで、じゃあ歌ったほうがいいじゃないかということになる。楽器が違う(つまり、歌とチェロは違う)のだから、歌のまねをしなくてもいいんじゃないかという考えになってくる。
でも聴いている人はやはり知っている曲だったら、一緒に歌詞が聴こえてくるわけで、歌詞にそぐわない音が出るとかなり別物になってしまうのかなと思ったりします。
よくクラシックの人がポップスとか弾くと変な感じになるのは、楽譜と自分の楽器の定式にのみあてはめて演奏してしまうからではないかと思います。そうすると楽器は良く鳴るし、音楽としてはきっと一番ゴージャスになるのですが、「なんか違うよな」という違和感が発生してしまうのかもしれません。これは日本の歌を声楽の歌手が歌うときも感じますね。
どこらへんにそのほどよさを設定するかは、その演奏家のセンスで、けっこうそれは難しいんでしょうね。そんなことも思いました。
そんなこんないろいろ思いながら、自分の今までにあった別れのこと思いながら、今度初めてお会いする人たちのことを思いながら、練習しています。