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一般社団法人 江戸町人文化芸術研究所

vol.28『絵島疑獄』を読んで(前編)

2024.01.24 21:41


「文治政治編」に入ってからというもの、大きな戦は無くなったものの、代わりに人と人との対立や、駆け引きの物語が増え、どこを切っても濃いめのキャラが出てきてドラマチックで面白い。特に、次期将軍をめぐる権力闘争が、どんどん派手になってきて、いよいよそのメインステージが「大奥」へと舞台を移すことに。そして、かの有名な「絵島生島事件」なる怒涛のクライマックスを迎えるのである。



● 絵島生島事件(えじま いくしま じけん)は

江戸時代中期に、江戸城大奥御年寄の「絵島」が、歌舞伎役者の「生島新五郎」らを相手に遊興に及んだことが引き金となり、関係者1400名が処罰された綱紀粛正事件。絵島事件ともいう。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/江島生島事件


有名な事件なので言わずもがなだが、これは大奥内の「天英院派」と「月光院派」による次期将軍をめぐる権力闘争であり、6th家宣(いえのぶ)の寵愛を受け、7th家継(いえつぐ)を子に持つ月光院派の絶大な権力を、天英院派がスキャンダルによって失墜させた巧妙なクーデターである。


されど案外その詳細はみな知らない。と言うか、公式にはよく分からないようにされている。ので、この本『絵島疑獄』などを読んで得た知識を並べて、事件の全体像を整理してみよう。



<そもそもの背景>

● まず、子供のいなかった4th家綱が死んだ時、次期将軍は本来、3rd家光の三男「綱重」になるはずだったが死んでしまっていたため、その息子である「綱豊(のちの家宣)」がNO.1候補に。けど、3rd家光の四男「綱吉の方が大人だし血も濃いだろ!ってモメにモメて、結局、綱吉が「じゃ私が中継ぎするけど綱豊(家宣)が成長したらすぐバトンタッチするから」と言って5thに就任。


● ところが、すぐバトンタッチするとか言ったくせに時が経つと自分の子に跡を継がせたくなる綱吉。邪魔な綱豊(家宣)に刺客を送ったり、子に恵まれるよう生類憐みの令出したり、と悪あがきする。おかげで綱豊(家宣)は48歳になるまで甲府藩主として待たされるハメに。その間に綱豊(家宣)は、江戸城下で間部詮房新井白石や、お喜代(のちの月光院)と出会い、交流を深める。



<6th綱豊(家宣)の嫁と子>

● のちに天英院となる「近衛煕子(このえ ひろこ)」が正室になり、2人産むがどちらも早世。公家出身の煕子(天英院)は嫉妬深いので、なかなか側室を取らず過ごす男前で優しい綱豊(家宣)。でもさすがに子無しはマズイので、

①江戸出身の「お古牟(おこめ)」が第一側室に、

②江戸出身の「お喜代(おきよ)」が第二側室に、

③京都出身の「お須免(おすめ)」が第三者側室に、

なる。と同時に、

煕子(天英院)& お須免(おすめ)の 京派閥

お喜代(月光院)& お古牟(おこめ)の 江戸派に別れる。

江戸女は細かいことは気にしない気質だが、京女はネチネチいじわるしてくる嫌な感じ。(土地柄ではなく出自の身分の違いのせいである)


● 最初に、江戸派お古牟(おこめ)が、男児「家千代」を産むが、早世し、もしや京派に呪い殺されたんじゃないか?の噂が出回る。(なんかそれらしき動きがあったので)


● 次に、京派お須免(おすめ)が、男児「大五郎」を産むが、早世し、京派も江戸派も悲しむ。(江戸派も多少はザマアと思ったかもしらん)


● 次に、江戸派お喜代(月光院)が、男児「鍋松(のちの7th家継)」を産むが、なんか京派閥が妊娠中に「女になれ〜の呪い」を呪詛師にかけさせてたらしいぞ?の噂が出回る。(効かなかったが)


● 5th綱吉が没り、綱豊が6th家宣に進化。よって鍋松(家継)が、7th将軍第一候補に。(江戸派さすがに浮かれる)


● 京派お須免(おすめ)が、男児「虎吉」を産むが、わずか70日で早世。(絶望する京派)

鍋松(家継)だけがすくすく育つのは、腕の良い医者を、江戸派の有能な御年寄「絵島」に取られてしまったからだ、と恨む京派。しかし、鍋松だってまだ早世しないとも限らない。いやたぶん早世すると見た。となると、次期将軍は御三家のいずれかからもらうことになるはず。ならば今のうちから推しを作っておこう、と考え出す。



<4歳の7th将軍爆誕>


● インフルに倒れた家宣は「我が子の鍋松はまだ幼いし、御三家のうち尾張藩主の吉道(よしみち)殿に将軍職を譲ろう」と言うが、新井白石が「我らが支えるから鍋松君で行きましょう」と言い、もしも鍋松が早世したら吉道にするってことで承認を得る。


将軍が幼いので側近である、間部詮房、新井白石、そして月光院、が実質の権力者となる。間部詮房に至っては、家継がよく懐き「まるでそちが将軍のようじゃのう」と無邪気に冗談かまされ、周囲の家臣らがピリついた愛想笑いする、ほどの隆盛ぶり。


面白くないのは古参の老中の面々&天英院派。間部も新井も月光院も、みんな江戸庶民の出じゃないか、と。されど、清廉潔白だった家宣の遺志を継ぎ、3人とも奢らず真面目に頑張ってるので、なかなかケチをつけられない。間部も新井もスーパーストイック真面目野郎だし、スキがない。


● そこで目をつけたのが、月光院付きの女中たち。つまりは筆頭の絵島と、その腰元軍団たち。時の権力者である月光院派のもとには、賄賂じゃないけど、ご機嫌伺いの貢物が山ほど届けられ、おべっか使われることこの上なし。それが常態化しており、ちやほやされることに麻痺していた。


そんな奥女中たちの最大の楽しみは、用事で城下へお出かけついでの江戸散策。ふだん奥に閉じ込められてるので、町遊びの魅力にあらがえない。しかも当時は、歌舞伎ブームの真っ只中。最新の娯楽、歌舞伎が観たくて観たくてしかたない。よって、いざ行けるお許しの段取りがつくと、30人から50人からの大所帯でワイワイキャーキャーのはしゃぎよう。


ここにスキを見つけたり!の腹黒勢力。町人らと予め結託して、用意周到なワナを張り巡らし、獲物がそこへ踏み込むようジワジワ布石を打ってゆく。そうとは知らない大雑把な江戸女たち。油断もあってか、ワナの匂いに気づきもせず、もてなされるまま歌舞伎を楽しみ、まんまと術中に落ちてしまうのであった。。



まだまだ長くなるので今回は一度ここで区切り、続きは次回の後編にて。いやはや、女の妬み恨みは怖や怖や。きっと家宣が優しくて男前だから嫁さんら全員マジ惚れしてたんでしょうね。それ故に、お喜代(月光院)が一番愛されてるのが悔しくて悔しくてならないと。。あと、やっぱ大人将軍が不在だと大奥内への睨みが利かなくなってたのかな


結局 ぜーんぶ 家宣のせい!(生き返ってくれ!)