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全線乗車(会津若松⇔小出) 2018年 秋

2018.10.21 12:11

国内屈指の“紅葉の美しい鉄道路線”であるJR只見線。51回目の乗車は、沿線の色づき具合を見ようと、全線に乗車し、初めて“一日往復”した。

 

只見線は「上下分離」(公有民営)方式で復旧区間(27.6km)を所有することになる福島県を中心に利活用事業が進んでいるが、その中で『目指せ!観光鉄道「山の只見線」』が謳われている。只見線にとって紅葉シーズンは、“山の只見線”をアピールする絶好の機会となっていて、例年多くの観光客が訪れている。*参考:福島県生活交通課「只見線の利活用」/「只見線利活用計画」(PDF)

  

現在、福島県内では標高1000m前後の場所まで“紅葉前線”が下りてきている。最高地が500mをわずかに超える只見線沿線の色づき具合が心配だったが、晴れの予報という事もあり、51回目の只見線の旅に向かった。

 

 

今回は、会津若松から小出まで只見線全線に乗車し、初めてその日のうちに往復。陽の当たり具合で変化する、車窓からの風景を堪能した。

*参考:

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日) /「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線全線乗車ー / ー只見線の秋

 

 


 

 

昨夜、会津若松市入り。野口英世青春通りから神明通りを歩いた。

 

そして、市役所通りに入り、居酒屋「升や」さんに向かった。引き戸を開けると、区切られた座敷から笑い声が響き店内は賑わっていた。私はカウンターに通された。さっそく、地酒(末廣)とニシン山椒漬け、鳥刺し、そして厚揚げを注文。

ネギ味噌で頼んだ厚揚げは、絶品だった。カリカリに揚がった外側に箸を入れると、内側からトロりと豆腐があらわれた。触感がたまらなかった。

そして、味噌。これだけで、酒のアテになるほど濃厚で旨かった。他、柚子味噌があったが、次回の楽しみにしたいと思った。

 

地酒は充実していて、メニューは両面すべてが会津地方の地酒だった。“秋の日本酒”面には、全てを呑みたくなるような粋なネーミングが並んでいた。

私は次の一杯に「辰泉 純米秋あがり」を選択。冷酒だったが、香りがしっかり立ち、ほどよい厚みのある甘みを感じさせる酒だった。

一見、目につくメニューに会津以外の日本酒が見当たらなかった事にも感心し、次は全ての日本酒を呑むつもりで訪れたいと思った。

  

「升や」さんを後にして、鶴ヶ城に向かう。土曜日の夜にも関わらず誰も居ない事が残念だったが、秋の夜空を背景にそびえる城を一人静かに見続けた。

その後、城内を抜け宿に向かった。

 

  

 

 

 

 

今朝、始発列車に乗るために早起きし、まだ薄暗い街を歩いた。  

道路整備が終わった七日町通り下の区。車が走っていないせいか、無電柱化電線地中化の効果がはっきりと分かった。素晴らしいと思った。

無電柱化電線地中化が大町四ツ角まで実現するれば、七日町通りは国内屈指の景観通りになることは間違いない。完成が楽しみだ。

  

  

  

七日町通りを進み、七日町駅に入りホームに移動。まもなく、会津若松発・会津川口行の始発列車が入ってきた。

只見線の起点は会津若松だが、6時00分の発車時刻までの到着が見込めず、隣りの七日町になってしまった。今日の往路乗車は、厳密には全線乗車にはならない。


6:03、七日町を出発。切符は日曜日ということで「小さな旅ホリデーパス」を利用。只見までは、この切符で行ける。

  

西若松を経て住宅街が終わり、大川(阿賀川)を渡る。霧が一層深くなってきた。

   

 

列車は、会津本郷を出て会津美里町に入り、会津高田根岸新鶴と進んで行く。その後、会津坂下町に入り、若宮を出るとレールの両側には整然と刈田が広がり、濃霧の中で眠っていた。

 

 

会津坂下に到着。会津若松行きの上り列車とすれ違う。ホームには高校生を中心に多くの乗客の姿が見られた。

  

 

列車は、会津坂下を出発した後、しばらく音もなく静かに走るが、まもなくディーゼルエンジンを豪快に蒸かし、七折峠の登坂を始める。


 

峠途上の塔寺を経て、登坂を終えた後に会津坂本を出たあたりで、霧が晴れ始めた。おそらく、上空から見ると、通ってきた会津盆地は霧の中に沈み、真っ白になっているだろう。

  

その後、奥会津地域の柳津町に入り、会津柳津を経て、郷戸手前で“Myビューポイント”を通過。上空には青空も見え出し、この先は天気予報通り晴れるだろうと思う。

  

 

滝谷を出発した直後に滝谷川橋梁を渡り、三島町に入る。渓谷の色づきは僅かだったが、顔を出した朝日に照らされて美しかった。 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館(http://www.jsce.or.jp/library/archives/index.html)「歴史的鋼橋集覧



 

   

会津桧原を経て桧の原トンネルを出ると「第一只見川橋梁」を渡る。前回(10月5・6日)では“泥の河”になっていたが、今日はいつもの濃い青緑色で、柳津ダム湖(只見川、東北電力㈱柳津発電所の調整池)に水鏡も現れ、冴えていた。

前方の日向倉山(605m)の裾野に広がる、色づき始めの木々が朝日に照らされて、車窓から見える風景の全体の濃淡美を味わうことができた。これが、『いつ乗っても、車窓からの景色を楽しめる只見線』の良さだと思った。


  

 

列車は名入トンネルを抜け、会津西方を経て「第二只見川橋梁」を渡った。

  

 

  

会津宮下では、会津若松行きの上り列車とすれ違い行った。

 

 

会津宮下と出発すると東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を通り過ぎる。

 

只見川(宮下ダム湖)対岸の天狗岩を見る。周囲の木々は、色づき始めていることがはっきり分かった。ただ、太陽が雲に覆われてしまい、残念だった。

  

 

第三只見川橋梁」を渡る。モザイク状に色づき、なかなか綺麗だった。

しかし、正面の“穴”が気になった。国道252号線のスノーシェッド側面を覆っていた木々を伐採し、只見線の列車を撮影する人のために行った景観創出事業の“傷跡”だ。乗客からすると人工物が気にならなかった車窓からの景色が改悪された残念な公共事業だと、改めて思った。

  

 

 

列車は滝谷トンネルと早戸トンネルと抜け、早戸を経て、細越拱橋(めがね橋)を渡る。ツーリングするライダー達が、さっそうと国道を駆け抜けていった。

 

 

金山町に入り、会津水沼を経て「第四只見川橋梁」を渡る。下路式で鋼材があるため解放感に欠ける。タイミングを計り、シャッターを切った。

東北電力㈱上田発電所・上田ダムの直下で、もともと水量は少ないが、今日は一部川床も見えた。

  

 

 

会津中川を経て、大志(オオシ)集落の脇を通りぬけ、列車は只見川(上田ダム湖)に接近し減速し始めた。

   

終点を告げるアナウンスが流れ、町道の上井草橋を潜ると、前方が明るく照らされた広がりある景観で、それが冴えた水鏡に映し出されていた。

 

 

 

 

 

8:01、会津川口に到着。会津川口高校の生徒と観光客がホームに降りた。

 

只見川(上田ダム湖)の上流を見る。ここも淡くモザイク状に色づいていて、“これから”といった感じだったが、水鏡は“当たり”だった。山間の駅のホームから、これほど美しい水辺の景色を見られる場所は、国内にそれほどないだろう。

   

ホームから全ての観光客が、この景色を撮っていた。このご夫婦にとっても、印象深い風景となっただろうと思う。

 

 

  

駅の構内に入り、売店の前にある“Youはどこから?”ボードを見る。

 

台湾からのインバウンドが圧倒的だったが、パキスタンからの男性とイタリアからの女性の訪問が確認できた。

 

 

構内には「秋の乗り放題パス」のポスターもあり、利用日が今日までということで、この切符を利用して只見線に乗車している観光客も何人かいるのだろうかと思った。

 

 

 

駅頭には「平成23年7月新潟福島豪雨」被害の不通区間を走る代行バスが停車していた。さっそく乗り込んだ。

8:15、只見行代行バスが出発。乗客は10名に満たなかったが、いつもよりは多いという印象だった。やはり紅葉のシーズンだからだろうか。

 

 

代行バスは国道252号線を進んで行く。 

西谷地区の坂を下るる、「第五只見川橋梁」が見えた。陽を浴びて、美しく浮かび上がっていた。

   

 

本名駅となっている、本名簡易郵便局前を経て、東北電力㈱本名発電所・本名ダムの天端(本名橋)を通り、眼下に「第六只見川橋梁」があった空間を見下ろす。

橋脚があった根元の河岸では、東北電力によるダム下流減勢工の機能向上対策工事が進められていた。長さ92m、高さ約32mの導流壁が築かれるという。*参考:東北電力㈱「地域の安全確保に向けた取り組みについて」(平成26年7月8日)(PDF)

 

  

建設が進む「国道252号線 本名バイパス」の新本名橋(仮称)工事現場に圧倒されると、只見川の対岸に「地蔵岩」を見る。岩肌と紅葉の組み合わせが見られるのも沿線の特徴だ。

只見線が復旧すれば車窓からこの景色も見られる。

  

代行バスは、会津越川駅、会津横田駅、会津大塩駅、会津塩沢駅、会津蒲生駅それぞれの近くに設けられたバス停で停発車を繰り返してゆく。

 

途中、会津横田を過ぎると、国道の二本木橋上から遠くに橋桁・橋脚撤去中の「第七只見川橋梁」を見ることができた。架橋は来年と言われている。会津塩沢を過ぎ寄岩橋上からは、一見無傷の「第八只見川橋梁」が見られた。

 

 

最後のバス停(駅は無い)である叶津手前で、堅盤橋から叶津川上流を見る。

ここ叶津は新潟(越後)から通じる街道・八十里越の合流点になっていて、旧長岡藩家老・河合継之助が戊辰役・北越戦争で左膝に重傷を負い会津に抜ける際に休憩したと言われている。

彼がここを通ったのが、1867(慶応4)年8月4日。新暦では9月19日ということで、約1か月違うため山肌の色合いは違うが、山の稜線は変わっていないだろう。彼は担架の上から、この風景を見たのだろうか。

 

 

道中、国道から只見線の路盤に向かう仮設道路が数か所に設置されていた。復旧工事は確実に進められていると実感した。

  

 

 

9:05、只見に到着。

 

ホームの背後にそびえる要害山(705m、只見四名山)は全体がうっすらと色づいていた。

 

  

 

駅舎に入り、通り抜けてホームに移動。写真を撮っていると、汽笛が鳴り、まもなく小出からやってきた列車が到着した。ちびっ子がカメラを構える格好で出迎える。

  

扉が開くと、多くの客が降り、ホームはこれから乗る方も含め、混雑した。私は二両目に乗り込んだ。

   

9:30、小出行きの列車が出発。駅員と只見町観光まちづくり協会のスタッフが手を振って見送ってくれた。

  

「小さな旅ホリデーパス」は只見駅まで有効。只見~小出間は別に切符が必要になり、料金は970円。

 

  

列車は山に向かって進んで行く。

左へ分岐した跡のように見える雑草の“道”には、かつて電源開発㈱田子倉発電所専用鉄道のレールが敷かれていた。1957(昭和32)年に田子倉ダム・発電所を建設するために会津川口~宮淵間(32.3km)に敷設され、1959(昭和34)年8月まで運用され、会津川口~只見間(27.6km)は国鉄に売却され、只見~宮淵間は廃止されレールが撤去された。

  

まもなく、列車は登坂をするためにディーゼルエンジンの大きな音を響かせ、スノーシェッドとトンネルを潜り抜けながら進んで行く。

 

 

 

田子倉トンネル(3,712m)を抜けた直後に余韻沢橋梁を渡る。

短い時間ではあるが、橋上からは田子倉(ダム)湖の雄大な景色を見る事ができる。紅葉はまもなく見頃を迎えるような色づき具合だった。

只見町全体は「只見ユネスコエコパーク」に登録されていて、国際的に認められた豊かな自然環境に囲まれている。この明かり区間は、その自然の一部を列車内から見られる貴重な場所になっている。

田子倉(ダム)湖周辺はエコパークの緩衝地域(B)となっていて『生態系の価値を損ねない形での活動を奨励/調査研究・モニタリングが可能/地元住民による伝統的な山菜・キノコ類の採取慣行は可能』という規制がかけられている。

   

渡橋直後にスノーシェッドに入り、田子倉駅跡を通過し潜り抜けると、国道252号線脇に設置された田子倉無料休憩所の駐車場が広がる。ここは浅草岳(1585m、只見四名山)の登山口に近く、今日は多くの登山者が訪れているようだった。天気も良く、登山日和となったのでないだろうか。

  

列車は福島県側最後の橋である只見沢橋梁を渡り、直後に六十里越トンネル(6,359m)入って行く。

 

    

 

 

 

 

 

 

列車は7分程トンネルを駆け抜け、新潟県魚沼市に入る。天候は変わらず、陽差しもあった。紅葉は、福島県側と同じく、まもなく見頃を迎える木々の色づき具合だった。

列車は末沢川を短い間隔で16回渡河し、国道252号線と交差しながら谷間を進んで行く。

  

 

水路式の電源開発㈱末沢発電所(1,500Kw)が見えた。

この先小出まで只見線は末沢川と破間(アブルマ)川沿いを走ってゆくが、福島県側の只見川に設けられたダム式水力発電所は見られず、車窓から見えるのは全てこのような水路式となっている。只見川の水資源(発電)の能力の高さがうかがい知れる。

  

 

 

列車は減速して、末沢川が破間川と合流する橋梁をゆっくり進んだ。

  

 

9:59、大白川に到着。本州で二番目に長い20.8kmの駅間に29分掛かった。

ホームの反対側には臨時列車が停車し、多くの外国人が写真などを撮り賑やかな雰囲気だった。アジア圏の方々だと見られたが、どんな団体で、何の催しかは分からなかった。


 

列車は、大白川を出ると破間川沿いを進み、入広瀬に向かってゆく。

終点まで、破間川は8回渡ることになる。

 

  

国道252号線と最後の交差を終え、上条を過ぎると谷底平野に細長く伸びる田の間を進む。

水が張られた田もあり、季節外れの水鏡が見られた。

 

 

越後須原が近づくと、下権現堂山(897m)の稜線がくっきりと見えた。

  

 

次駅・魚沼田中との間には、新潟県側で唯一車窓から見る事ができるダムである藪神ダムがあり、“不渡河橋”である大倉沢橋梁がら見下ろしながら進む。

   

列車は越後広瀬を経て最後の破間川の渡河を終え、藪神を過ぎると徐々に増える住宅を見ながら進む。  

 

国道17号線の下を潜ると減速し、左に大きく曲がりながら破間川が合流する魚野川を渡ってゆく。この魚野川橋梁は、直線のプレードガーターを10基組み合わせた、珍しい構造となっている。

 

 

  

10:43、只見線の終点である小出に到着。各駅で少しづつ増えた乗客が降りて、連絡橋に向かっていった。

  

 

小出から先、上り方面にはレールがつながっていない。

 

このため、二つ先にある上越新幹線の駅である浦佐駅まで只見線の列車が直接乗り入れる事はない。

1988(昭和63)年までは浦佐~会津若松間に急行「奥只見」号が運行されていたが、“直通”運転はされず、小出駅構内で大きくスイッチバックしていた。

私は只見線全線の利活用に小出駅から浦佐駅に“直通”できるレール・ポイントの新設が必要だと思っている。巨額の費用が掛かり、優先順位は低いが、東京圏から観光客を引き入れるためには、新幹線下車後に只見線の列車(できれば観光列車)に乗車できる仕組みは欠かせない。

 

構内のレールをよく見ると、かつては上越線上り線(浦佐方面)に只見線のレールはつながっていたようだ。

 

現行で観光客を増やし、福島県と新潟県、JR東日本㈱仙台支社と新潟支社が協力し、浦佐駅から只見線に直接乗り入れされるレールとポイントの敷設を目指して欲しい。

 

 

 

改札を抜け、駅舎を出る。只見線が全通40年を迎える前日、2011(平成23)年8月28日に竣工式が行われた、まだ新しい駅舎だ。

残念ながら、当時只見線は豪雨被害で部分運休となっていて、この新しい駅舎に会津若松発着の直通列車はまだ姿を現していない。 

 

当初の予定では、小出駅から路線バス(南越後観光バス)を使い、大白川駅に向かい、駅舎2階にある「そば処 平石亭」で新そばと名物のどぶろくをいただき、再び只見線の列車に乗り、復路の旅を続けようとしていた。

しかし、路線バスは今月1日にダイヤ改正をしていて、大白川行きのバスは無くなっていた。

帰宅後に調べてみると、入広瀬駅近くの穴沢寺前~大白川間は先月9月30日をもって廃止となり、当該区間は魚沼市コミュニティバスが引き継ぎでいるということだった。今回の予定を立てたのが9月初旬だった為、この事実を把握できなかった。人口が少ない地域ではこのような事がある、と勉強になった。

  

気を取り直し、予定を変更する。次の只見行きの列車(13時11分発)まで駅周辺で時間を潰すことにした。

 

 

まず、図書館に向かう。10分ほどで魚沼市立小出郷図書館に到着。

過去の新聞が開架されていなかったため、司書にお願いして「新潟日報」の6月16日(土)を出してもらった。6月15日に福島県金山町で行われた「只見線復旧工事起工式」の模様がどのように伝えられているか確認するためだ。

 

記事は、社会面2面に写真無し図入り二段抜きで掲載されていた。

福島県の地元紙では、一つが一面トップで、もう一紙が社会面で大きく報じられていたが、新潟県側の関心はいま一つのようだと感じた。*記事出処:福島民友新聞 2018年6月16日付け紙面より

只見線の乗客増と沿線への経済効果を上げてゆくためには新潟県と福島県の協力が欠かせない。今から機運を盛り上げ、新潟市や中越地域の住民が只見線に注目し『乗ってみよう』と思えるような仕掛けが必要だと思った。

 

 

 

 

 

図書館を出た後は、近くのスーパーに行き昼食を調達した。

魚野川の河岸で、小出駅を見ながら食パンにチキン南蛮カツを挟み食べた。カツが130円とお買い得だったため、この形にした。旨かった。


 

 

 

 

 

昼食を終え、小出駅に向かう。切符を購入し、無人の改札を抜け只見線のホームに行く。 

まもなく新潟支社色(青)の二両編成の車両が、長岡方面から3つのポイントを通過しながら入線してきた。

ちなみに、只見線には長岡駅発着の臨時列車がよく運行される。このように長岡方面からホームに入ってきて、運転手が移動し進路方向を変え、只見線を進むことになる。

   

13:11、只見行きの列車が出発。私が乗った車内には観光客を中心に10名ほどが乗り込み、大半が降りることなく、只見まで向かう事になった。

  

車窓からは、陽の当たり方が違うこともあって、往路とは違った景色が見られた。

 

 

大白川以後は、午後の陽射しを受けた渓谷の木々を見ることができた。完全に色づけば、美しいだろうと想像した。

 

  

まもなく県境の六十里越峠。上空には綺麗な秋空が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

六十里越トンネルを抜け福島県に入り、只見沢の谷間に広がる田子倉(ダム)湖を見通す。

  

田子倉駅跡を内部に持つスノーシェッドを潜り抜け、余韻沢橋梁を渡る。車窓からの景色は、往路とは違った見え方をしていた。

  

この後、列車は下り坂を軽やかに進んで行く。

  

赤沢トンネルを抜け、スノーシェッドの間の明かり区間から振り返り、只見ダムと田子倉ダムを見る。陽の当たり具合から、遠景は、朝方の列車の方が綺麗に見えるかもしれないと思った。

  

平坦な場所に出ると、前方が大きく開け、只見町の市街地が見えてきた。

  

 

14:28、只見に到着。20名を超える乗客が降り、駅舎までの長い通路を歩いた。

駅舎を抜けると、代行バスは駅頭に付けられていて、列車から降りた客が乗り込んだ。私を含め乗客は10名ほどだった。  

14:32、会津川口行きの代行バスが出発。

  

 

 

往路ではよく見られなかった「第八只見川橋梁」を見る。列車が走れば、“乗ってよし、見てよし、撮ってよし”の景観ポイントが復活する。

 

 

 

15:22、会津川口に到着。駅舎を抜け、まっすぐホームに向かう。停車していた仙台支社色の三両編成の列車に乗り込む。

代行バスの乗客はこの列車に乗車したようで、BOX席には必ず客が居るという車内の様子だった。

 

 

15:27、会津若松行きの列車が出発。車内では、往路とは反対の右側の座席に座り、車窓から景色を見続けた。

 

  

 

「第四只見川橋梁」を渡る。

 

 

会津水沼を経て、“不動沢トンネル上の社”を見る。苔むした石段が落ち葉をに覆われ、情緒ある景色だった。

 

その後、右に緩やかに曲がりながら細越拱橋を渡る。傾いた陽の光が強いようで、影が濃く見えた。

  

早戸手前で、大きな渓谷を大きく蛇行し流れる只見川を見通す。

 

 

 

「第三只見川橋梁」を渡る。こちら(南)側は、人工物をほとんど見る事はない。“撮る人”のための景観創出事業で木々が伐採されないことを願う。

  

 

「第二只見川橋梁」を渡る。橋梁と並行するように電線が架かっているが、スゥっーとのびる只見川が見られる唯一の場所になっている。

 

 

「第一只見川橋梁」を渡る。深く狭隘な谷で影は強くなっていたが、駒啼瀬峠の木々がかえって目立ち、見応えがあった。


 

 

列車は奥会津地域から七折峠を経て、会津盆地に下り、霧のため往路では見通せなかった刈田の中を進んで行く。根岸を過ぎると、太陽は西部山麓に隠れてしまった。

 

 

 

17:19、終点の会津若松に到着。陽は落ち、連絡橋から夕焼け空を見る。旅の終わりに見る茜色の空は、やはり良い。

この後、郡山行きの列車に乗り換え、帰路に就いた。

 

 

今回の旅は、紅葉は緒に就いた色づき具合だったが、「第一只見川橋梁」以後の“景観区間”で天候に恵まれ満足ゆくものになった。また、往路と復路では、同じ景色が陽の当たり方や光量によって色合いが変わり、紅葉時に往復しても十分に楽しめる事が分かり、只見線全線の“実力”を再確認できた。

 

これから紅葉シーズンとなり、只見線は多くの観光客の目を楽しませてくれるだろう。しかし、企画されているツアーは、観光バスで移動し、会津柳津~会津宮下間だけ列車に乗るという旅程を組んでいる事が多い。「第一只見川橋梁」からの景色を楽しむためだ。

これは只見線の一部しか楽しめない残念な現状であるが、仕方ない面もある。観光客を快適に乗せることができる観光列車が只見線には無いからだ。土日限定の企画列車は運行されているが、紅葉シーズンを通して運行される専用車両は無い。

私は改造や新造で新たに調達した専用観光列車が通年運行される事を望むが、その為の実績作りとして紅葉シーズンに、他線の観光列車を走らせるようにすれば良いと思う。もちろん、会津若松~小出間を走らせ、福島県側と新潟県側の違った渓谷美を乗客には楽しんでもらう。

是非、福島県を中心とする「只見線復興推進会議」では予算措置を含め、検討してもらいたい。

 

また、紅葉を楽しんでもらうためには、景観ポイントでの徐行運転やアナウンス(録音でも可能)が必須だ。生活利用する地域住民への周知を徹底し理解を得た上で、来シーズンから実施できるよう、関係者には見当してもらいたい。

 

“観光鉄道「山の只見線」”と国民やインバウンドに認知される可能性を、只見線は十分に秘めている。そのためには“紅葉”を入口とし、乗客に車窓からの景色を快適に楽しんでもらい、口コミやSNSなどで良い思い出を広めてもらう事が良いのではないだろうか。

私は、これから見頃を迎える只見線沿線の紅葉をできるだけ見に行き、発信したいと思う。


 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/


②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。