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じゅんじゅんホームページ

希望を挫くな。

2024.01.19 06:49

自宅へ帰る途中、ご自由にお持ち帰りくださいと、段ボールに服や靴がどっさり入って置いてあった。

白いマフラーを選んで首に巻き、カラフルな傘も手に取った。

うれしい。


「おおやまさん、洋服要りますか?いつもおんなじ服着てますよね。」

前職のとき、後輩の川野ちゃんに言われた一言。

彼女は天然気味で、思ったことは容赦無く口にするタイプの若者だった。

一般のモラル的に最後のひとことは言わなくてもよいのではと思いつつも、"いつもおんなじ服を着ているおおやまさん"というレッテルに傷付くプライドは持ち併せていない。

なによりタダで服をもらえるなんて、願ったり叶ったりである。

ありがてえ欲しいです!と即答。

お姉ちゃんと2人姉妹の川野ちゃんは、それから定期的に私に洋服をもってきてくれた。

お母さん含め、お洋服が大好きでよく購入するらしく、季節毎に着ない服が増えていくのだそう。

「着なかったら捨ててもいいですよ〜!」

と、大きな手提げに、山盛りのレディース服。

捨ててもいいものをくれてやる宣言が、これまた思いやり的にいかがなものなのかとほんの少し思いつつ、私いち個人的にはありがてえ!が圧勝なので、尻尾を振って受け取る。


昔から守銭奴で、いかに節約するかが楽しみな人間だった。

ギブソンのレスポールが欲しいと言っていたと思ったら、ヴィヴィアン・ウエストウッドのペンダントが欲しいと言い出し、次から次へとブランド品を買い集め回る姉とは真逆で、昔から物欲も無く、消極的な人間だった。

消極的過ぎるからなのか、小さい頃から、やたらと人にものをもらう。

幼稚園児の頃は、公園に行けば、しらないおじいさまから、棒付きのあめやおかしを渡されるのが日常茶飯事であった。

姉曰く、

「じゅんは、ものをあげたくなる顔をしている。」

らしい。

逆に、すごい強欲みたいじゃないか。

小学校に上がる前までは、一軒家を買うために一家で倹約していたため、

「数字がみっつならんでいる値段のおかしは、買ってもらえないから駄目だ。」

と、姉から教わった。

姉が好きだった、アクセサリーに申し訳程度の菓子がついているセボンスターは、みっつならんでいるので、なかなか買ってもらえなかったそうだ。

当時私が欲しかったものといえば、オレンジと緑のフィルム状の細長い袋に"にんじん"と書かれたパフ状のポン菓子だった。

30円ほどのそれを欲しいと言い出せず、スーパーで買い物をしてまわる母から離れ、駄菓子売り場にある前述のにんじんを、じーっと、ひたすら見つめ続けた。

願掛けなのか、欲していますというアピールなのかわからないが、

「じゅん!かえるよ!」

というお母さんの声が掛かるまで、ずうっと駄菓子売り場で、直立不動でにんじんをみつめていた。

かえるよと念を押されればそのまま帰り、これが欲しいの?と母に問われれば、ちいさくうなずく、すると、母がにんじんを買ってくれた。

30円のにんじんをにぎりしめ、ほくほくで母についていく私。

我ながら、かわいいがすぎて、もはやあざとささえ感じる。

実際、わりとかわいい顔をしていた。

「男子、みんなじゅんちゃんのことが好きだって!」

と言われたりもした。

これは、自慢ではなく、事実であり、余談である。


当時は、御涙頂戴なんて考える余地はなく、ただただ、自分に赦された所作に則るだけという感覚があった。

一個人の意見を持たず発さずに、常ににこにこ笑顔で、

「うん、うん、そうなんだねえ。」

と言っていると、みんなに好かれるということを学んだのも、この頃だった。

この気付きと癖が後々、NOと言えない性分に昇華し、己を苦しめることになるとは露知らず。

しかしながら、最近の自分の中での研究・検証の大きなひとつ、"この世の大原理は浸透圧ではないか"という議題にも繋がる事象で、なんとも不思議であり、納得な心持ち。



今も昔も、自分の私欲からくる要望とは、駄目で元々、棚からぼたもちだと思っている。

個人のこだわりやご都合が所狭しとひしめき絡まり合う現世で、自分のためだけに道をあけろというのは、それがモーゼでも困難なのでは。

思い通りにいかない事柄や事象に対し感情に飲まれたり躍起になる人というのは、自分の手中にあるはずの思い通りの世界が奪われてしまったとパニックになっているのが大概である。

私は、化け学にも似た論理的且つ自ずと然るべき思考回路が好きなのだが、真反対に位置するであろう、"理に叶わない人間"というのが、案外、好きなのである。

説明のつかない所業には、人間という生き物の愛おしさがぎゅうぎゅう詰めになっていると感じる。

その理不尽さを精査する事無く出力してしまう、エネルギーと愚かさたるや。

感情と感覚の神経がストレートで素直でないと、脳みそよりもはやく身体を動かせないと思う。

ライブ中の私は、もしかしたらこの理不尽さにあたるのかもしれない。

なりふりを構わず、傍若無人、そのもの。

それも、ライブという仕組み、ステージという場ありきの事ではあるが。

こちら、無善寺国際映画祭に出展した、じゅんじゅん最古の大泥酔動画。

YouTubeにアップしました。

ガラケー撮影のため、とても画質がエモーショナル。

動画自体は前々からアップロードしていたのだけれど、わかりやすくテロップをつけてあります。

若かりしじゅんじゅんの酔いの才能を、とくとご覧あれ。

本日は無力無善寺、2024年ビール好きな女の日初め。

もともと、たらちんくんと菩薩と私のスリーマンになる雰囲気だったのだが、ありがたいことに、私のだいすきな演者様が続々と決定。

出演枠オーバーしてしまったので、菩薩が枠を辞退してくださった模様。

ガチ菩薩か。

ありがたい。

大好き。

おつまみになにをつくってゆこうか、わくわく。

前述のレギュラー日、2月3月は特別編ということで、外部から募集ではなく、じゅんじゅんがブッキング&プロデュースさせていただきました。

2月はバレンタイン企画ということで、イチオシのオナゴが揃い踏み。

∞処女のめいちゃんとは、アイドルユニット『全部、運営のせいだ』でたまにライブをしています。

解散の話は出ていないので、またいつかやるのかもしれません。

高橋ひろ美ちゃんは、新宿JAMで働いていて相当昔からの仲。最近再会し、ライブにお誘いしちゃいました。

ちなみに、∞処女めいちゃんも新宿JAMの元店員さん。

石井佑季ちゃんも、かなり昔から仲良しで、じゅんじゅん生誕祭に出演賜ったりしていました。

ゆきちゃんのうたを聴いて、涙腺が無事であった試しがない。

彼女のうたが本当に大好きで、音楽が人の心に必要不可欠なのだと、毎回、気付かせていただいている。

あとひと組は、coming soon。

おたのしみに。

同窓会的な空気もありつつ、たのしみである。

3月はホワイトデーに託けて、じゅんじゅんイチオシすぎるメンズに降臨願いました。

激アツ、すぎませんか。

昨年初めてご一緒し、まだライブをはじめて間もないという、あまは人生くん。

センスの原石のかたまりで、絶望と希望への羨望とあきらめみたいなものがゆらいでいる。

私にはないもので、すごく魅力的で、個人的に期待のルーキーとおもっている。

猫道さんも、去年初めてご一緒した。

ずっとお名前は存じていたし、界隈の知り合いもかなり連動していて、ようやく時が満ちたのかもしれないなとおもう。

ラップとも語りとも言い切れない絶妙なステージ、技術力、構想力ともに、ハンパない。

表現の匠で、プロだとおもう。

阿呆ノ匙は、回文師さとーさんが出会わせてくださり、大好きなおふたり。

ギターのそめさんは、ダムダム団の鈴木さんと古くからの知り合いだそう。

余談だけれど、おうちがご近所である。

ボーカルの谷口さんは、すごく謙虚で優しさに満ちた方で、ステージ上でのパフォーマンスとのギャップに驚く。

かなしくてやさしい、それでいて、強さもある、すごく魅力的な歌声。

田中雅紀くんは、新宿JAM時代から大大大好きである。

ゆきちゃんと同じく、彼の歌を聴くと、涙腺が大崩壊する。

ものすごくお久しぶりなのだが、出演ご快諾いただき、嬉しい限り。

こんな素晴らしい面々、どうなっちゃうんだろうといまから鬼たのしみです。



おつまみつくって、よっしゃ、今夜も、大冒険へ。