45の世界
物件とか見てて、いい物件あるな〜と思ってたら、昔自分が交通事故にあって救急車で病院に運ばれてたところのすぐ近くだったわっていう。
とはいえ、来年度の雇用形態が早くわからないと、どう暮らしていくのかも決まらない…。いまの段階で予想される雇用形態で、それならここに住みたいな…という予想上かつ願望の物件探しでしかない。
ツイッターもといX(←いつまでこの言い方しなあかんのやろな)で、 #自分のお通夜で流して欲しい曲選手権 というのがあった。んでそのツイートの中に「キングクルールの曲」ってのがあった。自分も持っている曲探してみたけど、確かにこの曲より流して欲しい曲がみつからないでござる!もっと言えば、ドンキー1よりドンキー2のほうのアレンジが通夜には良い。
このステージの緑色の海が涅槃っぽい。
まあ、自分のお通夜の時はもう自分は死んでいるので、その様子を自分が観賞できるとは思っていませんが。
とはいえ、死後の世界があるとして、というか、それ自体は実際自分もあると思っているんですが、その時の意識状態が、生前と同じであるということをあまり思っていないわけです。「私は私である」は左脳の機能停止の段階で崩壊するので、「私の葬式である」の「私」がない状態でしかその葬式を見れない気がします。
2022年にノーベル物理学賞にベルの不等式の破れと量子もつれの研究があったわけですが、非局所性が結局物理法則に存在しているのなら、死後の世界があるという考えの方が合理的にも思えます。死後の世界はあるというのは、生か死かはあまり重要ではなく、どちらかといえば意識の存続があるということを意味します。
もちろん、意識という現象の物理法則がどのようなサイズ感を持っているかはまだ謎なのと、何よりも一般的な意味での「死後の世界」ではないことは確かです。
社会一般で宗教とカテゴライズされている何かの宗教を信じている人間ではないですが、非局所性と一部の量子力学に関するモデルは信仰しているかもしれません。