大阪・道修町 神農さん
おはようございます。
大阪の続きです。
道修町は江戸時代以来、薬業界の中心地。
道修町が「くすりの町」となったのは、八代将軍吉宗の時代に、
道修町薬種中買仲間が株仲間として組織されたことがきっかけです。
当時、中国からさまざまな薬種が輸入されていましたが、
それらは長崎を経て、いったん道修町へと運びこまれ、
ここで吟味(検品)され、適正な評価(価格)が付けられた上で、
はじめて全国へ供給されました。
武田薬品工業、塩野義製薬、田辺三菱製薬(世界で二番目に古い)、
大日本住友製薬、アステラス製薬、小野薬品工業、参天製薬、小林製薬などなど、
道修町発祥の製薬企業は多数あります。
こちらは塩野義製薬。
江戸時代の町並み。(@くすりの道修町資料館)
武田長兵衛、塩野義三郎、田辺五兵衛などの名が見えます。
そうした「くすりの町」の護り神が少彦名神社なのです。
小さなお社ですが、参拝客が絶えません。
製薬企業から寄進された提灯。
安永9年(1780)創建。
道修町薬種中買仲間により京都の五條天神社より分祀、
仲間会所に勧請されました。
祭神のスクナビコナと神農炎帝はいずれも医薬・農業を司る神様。
この地にぴったりの神様です。
神虎笹。神農さんの虎です。
こちらは葛根湯に用いる生薬。(@くすりの道修町資料館)
桑根を原料とした丸薬製造機だそうです。
いまだに薬の匂いが強く残っていました。
ちなみに「薬掘る」は秋の季語ですね。
このあたり、以前、古志の大阪句会で吟行しましたので、
なつかしく思われる方も多いのではないかと思います。
相方さんの勤める会社の大阪支社もこのへんにありますので、
わたしも馴染みのある土地です。
旧小西家住宅や適塾など、古い建物とオフィスビルが混在した、
味わい深い町並みがとても魅力的です。
どうぞ良き一日をお過ごしください。