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KANGE's log

映画「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」

2018.10.22 14:05

以前、アトロクで、元SKE48の加藤るみさんが紹介していて、気になっていた「バッド・ジーニアス 危険な天才たち」。

平日の東京では、なかなか仕事終わりに、よい時間帯での上映がなく、やっと埼玉でも上映が始まったので、観て来ました。日曜日のレイトショーで、1人貸切状態。あれ?東京では満席続きではなかったの? 

本作は、外国で先に実施されるSATを時差を利用してカンニングするという、実際に中国で起きた騒動から着想されたそうです。 

カンニングを題材にした映画といえば、私たちの世代にとっては「ザ・カンニング IQ=0」つまりコメディなのですが、この映画は、国際的な大規模なカンニングを、ケイパーもの、コンゲームものとして見せています。

スローモーションや素早い画面の切り替えを多用したり、シャーペンでカツカツ、鉛筆でぐりぐりする音を強調したりして、緊迫感を高めてくれます。 

もちろん、カンニングですから、褒められたことではないのですし、むしろ偽計業務妨害ですから、「みんな、がんばれ!!」という気持ちにはなれません。むしろ、早々に失敗してくれた方が、結局君たちのためになるのでは…とも思いつつ、それでも、カンニングが成功するのか?バレてしまか?のハラハラ・ドキドキは、もう身悶えしてしまいました。  

そして、奨学金で学校に通える優秀な学生がカンニングビジネスに手を染めるようになる過程も、うまく描かれていますね。 まず、数学のクラスの定期テストで、その場の判断で、小さなカンニングに手を出してしまったところ。こういう犯罪ものでは、小さな行為が成功することで、どんどんエスカレートしてしまうのは定番ですね。 

しかも、その不正をしようと決断した背景は、単に「グレースを助けたい」ということだけではないようです。テスト問題は、グレースが事前に勉強していたプリントと同じ問題だった。恐らく補習を担当した教員か誰かが、裏で問題を漏洩しているということ。頭のいいリンにとっては、「なんじゃそれ、バカバカしい。まともにテストを受ける意味ないじゃん?」となったんでしょうね。つまり、学校や教員に対する疑念もあったのでしょう。  

カンニングをビジネスとして始めるきっかけになった、パットのプールのシーンも同じ。グレースとパットから、学校には授業料以外にいろいろな寄付や賄賂が支払われていることを知る。つまり、彼らからカンニングの報酬を受け取らなくても、奨学生であるリンは、この時点で、もう彼らのお金で学校に通っているようなもの。「なんじゃそれ、バカバカしい。そんなのなら、やったるで」となったんでしょうね。 

もちろん、友だちを助けたいとか、お金を儲けて父親に無理をさせずに海外の大学に進みたいとかの理由はあったのでしょうが、どこか、学校や教育システムや学歴社会に対する、不信感、嫌悪感、破壊衝動のようなのがあったのだと感じました。ストーリーが進むにつれ、もっさりとした天才だったリンが、どんどん凛々しく綺麗になっていく姿は、ある意味ピカレスクロマンのようにも感じました。  

何度か鏡を使ったカットが出てきますが、合わせ鏡は自己との対話や、その人の多面性のようなものを表しているのでしょう。予想外のバンクの変化は、リンにとっての「ありえたかもしれない未来の1つ」なのではないでしょうか。つまり、合わせ鏡の鏡像の一つ。  

ラストでの彼女の行動は、この先どうなるのか分からないので、もやっとしたエンディングですが、まあ、すべては「リン次第」ということ。 

そうさせたのは、父親の存在ですね。空港に迎えに行った時点で、彼は、まさか娘が恋人と海外旅行に行っただけとは信じてはいなかったでしょう。 でも、きっと、それを問いただすようなことはせずに、リンが告白するのをじっと待っていたのではないではないかと、全然描写されなかった時間のことを想像していました。 

日本では、SATを受験することにあまりリアリティがないので、リメイクは難しいでしょうが、ついつい、日本版キャストはどうなるだろうと想像してしまいます。

 リン=藤野涼子
 グレース=山本舞香
 バンク=中川大志
 パット=板垣瑞生
 リンの父=八嶋智人

といったところでしょうか。まあ、バンクはサッカーの長谷部そっくりでしたが(笑)