新王朝誕生6-オッカムの剃刀、皇帝を創る
2018.10.23 01:59
ハインリヒ7世のあとの神聖ローマ皇帝は?またもハプスブルク家よりフリードリヒ美王が立ったが、諸侯は1313年対抗馬のヴィッテルスバッハ家のバイエルン公ルートヴィヒ4世を選挙で勝利させた。その後この二人は8年間争い、1322年のミュールドルフ近辺の戦いでルートヴィヒが大勝、その後ルートヴィヒが皇帝兼ローマ王、フリードリヒがドイツ王ということで妥協した。
ところが、それを承認しなかったのが仲の悪いローマ教皇@アヴィニョンのヨハネス22世である。教皇は皇帝を認めず、ローマ王は自分が代行すると言いだしたのだ。そんなところへある男がやってくる、名をウィリアムと言い、人呼んでオッカムのウィリアム。
ウィリアムは、イングランド生まれだが、アリストテレスに凝り過ぎて、異端審問でアヴィニョンに呼び出され、そこでも悶着して飛び出してミュンヘンに来たのだ。彼は、皇帝に会ったとき「陛下、私を剣で守ってくださるなら、私はペンでお守りします」と堂々と述べたという。
彼の援護で、「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に返しなさい」という聖書の言葉を使って、皇帝は教皇の承認は必要なしとの論理で1328年ローマ貴族の手によって戴冠した。ウィリアムは「必要でないなら仮定は少ないほうがよい」という「オッカムの剃刀」という命題で有名となり、その後の科学の発展を主導する論理をつくった。
下は中世映画「バラの名前」ショーン・コネリーの演じた探偵修道士のモデルがウィリアム・オッカムと言われている