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砕け散ったプライドを拾い集めて

雪虫

2018.10.23 02:58


【ショート・エッセイ】

北海道は空知平野。

随分寒くなったなと思う10月末前後のある日、米粒ほど小さくて青白い綿毛をまとった「雪虫」がそれこそウンカのように突然集団発生する。
通学の自転車で速度を上げて走っていると目といわず、鼻といわず飛び込んでくる。服にも点々と綿毛がついている。その狂乱の日が過ぎて、一、二週間後に本当の初雪になる。だから、「雪虫」。子供のころは“雪の妖精”って信じて疑わってなかった。
  
調べると、「雪虫」の本名は「トドノネオオワタムシ」だという。可愛いお嬢さんの名前を聞いて、「百々目鬼(ドドメキ)です」と答えられたほどに目を剥いた。「雪虫」というメルヘンな愛称と「トドノネオオワタムシ」というこのごつごつした響きの本名との絶望的な落差。

「トドノネ」はトドマツの根という意味で、この根から養分を吸って生きているアブラムシの親戚らしい。人々が「雪虫」として見ているのはすべて処女生殖によるメスばかりで、これが雪の降る直前に羽化しヤチダモの木へと決死の飛行をする。(なぜ、ヤチダモでなきゃいけないのか?)
セレンゲティの大サバンナのヌーの大群がライオンにもめげず、大河のワニにもへこたれず目的地をひたすら目指すのと同じだ。
ヤチダモにやっと辿り着いたメスはここではじめてメスとオスの子虫を産む。そのオスには生殖器だけはあるが、樹液を吸う口はない。メスとの生殖を終え一週間で死ぬ。この虫のオスは“注射器”としてだけの生を受けたワケだ。メスもヤチダモに卵を産みつけたら死ぬ。なんとも切ないものだ。
「人間を含め動物のオスというのはいつも儚い存在でしかない」と司馬遼太郎は言ったが、とりわけこの虫のオスの儚さ加減はどうしたものだ……。 


当たり前のことだが、「雪虫」はわれわれにイリュージョンとか、ロマンチシズムを与えるために、乱舞しているのではない。自分たちのDNAの継続のためだ。いずれにしろ、世に「風物詩」とか呼ばれるものの「ナマの現実」はいつも酷薄であり、やるせない。

石狩平野でも十勝平野でも根釧原野でも間もなく雪虫が蜚ぶ。乱舞する。
それが前触れ。すぐに雪がやってくる。