運命
おはようございます。
高槻市にある、民藝の器、暮らしの道具、食
に関する古書のセレクトショップ、お味噌や
発酵食品中心のカフェ、テマヒマ
12/24〜1/3年末年始休み
プロデューサー、バイヤーの太田 準です。
昨日でテマヒマは2023年最終営業日でした。
例年クリスマスイブはお客様も極端に少なく
て、それならいっそ休んじゃえ!と今年は早々と23日を最終日としました。最終日とい
うこともあって常連のお客様も沢山お越し下
さって賑やかな店内でした。ご夫婦、カップ
ルの方が多かった印象でしょうか。お越し頂
きました皆様ありがとうございました!
昨年に引き続き経営数字的には厳しい一年で
したが、終わりよければなんとやらということで。
明日12/25で51歳になります。年齢を聞かれ
て、夏ぐらいからは、年末に51歳になります
みたいな言い方をすることが多かったので、
半分51歳のような気持ちで50歳の半分を過ご
していましたが。
2年前、49歳の時に天命というタイトルのブロ
グを書き、50歳になった去年も、51歳になろ
うとする今日も同じことを書きますが、五十
にして天命を知るどころか、四十にして惑わ
ず、の四十歳のステップもクリアしないまま
50歳を終えようとしています。色々なことが
起こり辛いこともありつつ惑いっぱなしの50歳。
昨日に続き若松英輔さんの連載コラム、12/2
付のものからですが、運命という言葉につい
て要約抜粋して。
運命というものは、偶然と決定的に異なって
、無視することが出来るないもの。何をして
も既にどうなるかは決まってる、という貧し
い決定論では無く、人生に託された神聖なる
義務のようなもの。孔子の時代から「天」と
呼ばれるものが、自分に何を託してくるのか
問い続けた。ここに真摯に向かうとき、天命
の姿が明らかになる。
そう言えば、星読みの出来るスタッフから、
なんか近いことを言われた気がしてるのだけど何だったかな。また今度聞いてみよ。
この偶然と運命について〜九鬼周造の思索と
いう文章の中で、
生きるとは、「私」すなわち我意を生きることなのか、「命」というべき神聖なものを開花させることなのか
という一節がありました。ちょうどその前日
に始まった、倍賞千恵子さんの「私の履歴書
」の中で倍賞さんが知り合いの住職さんに
死ぬってどういうことか?と尋ねた時に、
「死ぬとは、即ち生きることです」と言われ
ハッとした、というエピソードが紹介されて
いました。それに対しての倍賞千恵子さんの
解釈にハッとしました。
そうか。死ぬとは、死ぬまで生きることなんだ。死があるからこそ生がある。生と死は密接につながっている。。。ならば最期まで精いっぱい生きればいいじゃない。
父親のことがあったり、KANさんが亡くなら
れたりで、「死」ということをよく考えた年
でもありました。最期まで精一杯生きる、
KANさんの最期の様々なエピソードもそんな
メッセージを伝えてくれてる気がします。
精一杯生きる、本当そうだなぁ。
いつにも増してまとまりのない文章を新幹線
の中で書いています。あまりまとめようとし
てない気もしますが。。。
やっぱり惑う50歳最後の日。
テマヒマは今日から1/3まで年末年始のお休み
を頂いています。1/4〜1/8は初売り蔵出し市
です。
それでは、好いクリスマスイブをお過ごし下さい!