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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

新王朝誕生7-皇帝破門でカール4世誕生

2018.10.24 03:46

ルートヴィヒ4世は皇帝戴冠と共に、ローマに対立教皇ニコラウス5世を擁立した。フリードリヒ1世時代のごとくまたしても教皇Vs皇帝。ところがこのニコラウス5世は人気がなく、イタリアで反乱が起こると逃げ出し、アヴィニョンの教皇から破門されるや、あっさり降伏して、修道服のままアヴィニョンへ出頭した。

1337年にはドイツ騎士団にポーランドやリトアニアを征服することを許すが、このことはかえってポーランド=リトアニア同盟を生み出し、やがてドイツの北方十字軍の敗北につながってゆく。38年には、皇帝の即位に教皇の戴冠は必要なしと決議を行い、強気の路線をとった。

ところがやはり国内が統一されていなければ、強気も空威張りにすぎない。42年に就任した教皇クレメンス6世は、46年に皇帝を破門し、新皇帝カール4世を擁立するという逆王手をかけた。ちなみに教皇クレメンス6世は派手好きで名を残し、世人は教皇の贅沢三昧のゴシップのネタとなったようだ。

対立皇帝カール4世は、前皇帝ハインリヒ7世の孫である。ルクセンブルク家は、皇帝位を横取りされたと、ルートヴィヒ4世を恨み、アビニョンと結託したのだった。ルートヴィヒは、教皇との和解を模索したが、1347年狩猟中の事故で急死してしまい、結局カール4世が皇帝位を継ぐことになってしまった。