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無垢なわたしへ Purification✩.*˚

母が他界しました。

2018.10.25 14:00

それは予想もしない別れだった。

ある日の1本の電話。

「お母さんが亡くなったよ。」

「は?????」


何度聞いても全く理解出来なかった。

一昨日家族で一緒に食事をした。私より沢山食べていた。最近動きにくかった手が高くまで上がるようになったと喜んでいた。

亡くなった日は父の死後仲良くなった彼と映画に行っていた。老後を彼と楽しむ母が好きだった。

映画を楽しんで帰宅後にぽっくりと旅だった。


私は一人っ子。

私と母の関係は長い間泥沼だった。

家族全体がそうだったが、中でも私と母は最悪だった。私は幼少期から母に指一本触れる事も触れられる事も出来なかった。怖くてたまらなかった。母との物語は書ききれない。


そんな2人の仲が徐々に改善したのはほんの数年前。スピリチュアルな学びを始めた私が自分の本心を見つけてからだった。

「お母さんに甘えたかった。」

ずっと憎んでいた母、その母に対して初めて自分の本心を見つけた私は物凄く勇気を出して伝えた。

「お母さんこれから一緒に旅行に行ったり食事に行こうよ!」


元々自分の気持ちを人に伝えるのが苦手な私、本心を伝えたからさぁ何でも話しましょう!って話せるわけではなかった。


それでも一歩一歩、母の肩に触れたり、マッサージをしたり、日常会話をして、更にお母さん大好きだよ。長生きしてね!って伝えられるようになった。

(最後の文は手紙だったけど。(´▽`;) '`'`)


なのに、なんでこんなお別れだったんだろう。

亡くなる直前、みんなで食事をした時、珍しく私は母の言動にイライラしていた。元気でいて欲しいのに母が介護施設などを探していたからだ。

帰りはいつも家族全員玄関にでて見送っていた。忘れると母も「見送りに来なさい!」って子どもたちに声をかけた。

なのに、なのに、その日は出かけて家にいない子、ゲームをやめれない子で見送らなかった。何故なのか母も呼ばなかった。私はまだ少しイライラしたまま。

こんな事は結婚して18年間で初めてだった。


母が帰って私はイライラの原因をみつめなおした。

そして母の選択を受け入れる事を決め、触れるのも嫌だった母と今なら穏やかな心で同居できると感じた。


あー、やっとここまできた。私、成長したなー。

明日、母に伝えよう。

「同居するから心配しなくていいよ。施設の前に同居しようよ。」

なのに、その明日は来なかった...。


大切な一言を伝えられなかった。

なんで今なんだろう。 

何故こんな別れ方なの?

元気だったのに何故?

私の成長が遅すぎたの?

自分が宇宙を創造してるなら私が母を殺したの?

何度も自問した。


亡くなる数日前、実家に立ち寄った私に

「あんたを産んで良かったと思っとうよ。」と母が言った。

日頃そんな事を言う母ではなかったので

「どうしたと、お母さん。気持ち悪いやん。」

と笑った。


死後、母が私に遺した様々な体験に

亡くなっても尚降り注いでくる母の愛の深さを体感した。


別れには後悔が残った。

私は毎日夫や子どもたちを見送る時でさえ、見送る時は笑顔で!を守ってきた。

なのにたった1度の苦い別れが最後になってしまった。


それでも尚母の愛は降り注ぐ。

それはまるで「完璧でなくても大丈夫。全ては伝わっているし、私はそれでもあなたを愛しているよ。」と母が言っているようだ。



お母さん、本当にありがとう!

大好きだよ。

もっと話したかった、もっと身体に触れたかった。

もっと一緒に出かけたかった。

数年前まで母が亡くなっても絶対泣かないなーと感じていたけれど、今は涙が止まらない。

それはこの数年で心を繋げられた証だよね。

ここまで来れた自分を認めてあげよう。

この世界の体験は果てしなく深い。





死と生、月と太陽の統合。