和紙が繋ぐシルクロード
あまり知られておりませんが小鹿野町には和紙漉きの会があります。
大々的な会ではありませんが毎年冬には会の皆さまで切り出し煮出し皮剥ぎ…和紙づくりを繋げて頂いてます。
文化の継承とはよく言うところの技術継承などが考えつくところでしょうか。
私は最近になって違う見方をするようになりました。
それは、「教えてくれてありがとう…教わりに来てくれてありがとう」の継承から繋がっているのかなぁと。
もちろん技術継承は大事な事です。でも始まりは思いの継承なんだと。
さて、本文に入ります!
小鹿野町には耕作放棄地が増え続けてます。原因は様々ですが、元々は桑畑だったと思います。小鹿野町は養蚕が盛んでしたそのためお蚕さんのエサとして桑畑がたくさんあったのです。しかしながら肝心の生糸産業が細くなる(秩父事件)につれ養蚕も姿を消して行き桑畑も放棄されたのでした。
さて、時は過ぎ充分に休憩した畑がまた働ける兆しが見えてきました。キーワードは”和紙”です。
なんだか養蚕と同じような過去をたどったニオがしますね。
そうです、ご想像通り和紙も大量生産の波にのまれ静かに衰退した産業の一つです。しかし、今また和紙の価値がみとめなおされて来ました。
特に海外からは引き手数多!
隣村の東秩父村では細川紙がユネスコ無形文化遺産に登録されさらなる需要がある状態です。
その勢いのあるなか一つの重大な問題が浮上してきたそうです。それは、国産の材料が足りないという問題で、非常に深刻です。ユネスコ無形文化遺産の細川紙は国産材料が基本であるためこれは死活問題!これを解決するには生産量を増やすほかありません。
そこで色々と調べたら小鹿野町はもともと東秩父村や小川町に材料を輸出していた歴史がありました。そうなれば話は簡単、難しい事は考えないで桑科の楮を放棄地の桑畑に栽培して需要がある先に卸せば持続性のある小鹿野町らしい産業が復活する。
さて、次なる段階は生産者に声かけして一つの稼ぎ口を示して行かなければならないので関係各所と話し合いながらもやるならばスピーディに行かなきゃ、何せ最初の出荷には苗から二年から三年かかるので…そこからは毎年恒例の冬季の産業となります。
とにかく先方は全て買い取る準備と苗などの協力も頂ける約束なのでしっかりと進めて行きます!
町の雑草だらけの耕作放棄地がまた陽の目を見てそれが産業に繋がってくれたら最高〜(o^^o)