きのこの季節
奈川でガイドを始めた友達のお家で連休2泊。
小さい子たちとのゆっくりした時間と、畑作業。翌日は、きのこツアーの食事の準備と子守をしにフォレストへ。きのこ、色んな種類が生えててかわいかった。ジコボウがいっぱい採れててツアーも無事終了。
秋の森は紅葉はまだだけど、お散歩が楽しい季節です。
奈川のおばあちゃんが、奈川村の閉村記念文集を見せてくれました。
【南支那海に・・・】
「人生、生きちょるだけで、まるもうけ」
去年、十月からのテレビドラマ、「若葉」のバアさま役の南田洋子がよく言うセリフである。本当にその通り、人生、生きているだけで丸儲け。古宿に、海軍軍医で戦死した青年医師がいた。その人の名は、長瀬長太郎氏。
奈川尋常小学校を終え、松本中学校(深志高校)、東京慈恵医科大学へと進む。昭和十八年春、念願の医者になり、結婚して間もなく海軍軍医として召集されました。
南海院忠山成功居士
故 海軍軍医大尉正七位勲六等功五級
昭和十九年八月十九日 於南支那海戦死
長瀬長太郎 行年二十八歳
山村のへき地、奈川村の古宿に生まれ、医者になりたいが故に、二十年近くの歳月を勉強に励み、夢を叶えて医師になり、さて、いよいよという時に戦争という渦の中に引き込まれて、南洋の深海に投げ出された無念の青年医師の死、その魂はいま、いずこに・・・。
魂は、生家の屋根棟に宿るといいます。私の父方の身内にあたるこの青年医師と家族の魂をお盆には生家の前で香を焚き、その煙にのせて迎えてきます。
古宿という集落名は、その昔、旅籠や牛方、旅人に甘酒などを売る店もあったとのこと、屋号はかどや、たつみや、よしだや等・・・。
青年医師の生家屋敷は、その昔はかどやという旅籠であり、庭先は野麦街道である。
近くの井戸から清らかな水が絶えまなく、あふれて小川になっていました。セリや水草の茂るその流れにホタルが舞い、それこさ・・飲める水が豊富に流れていました。
夏の或る暮れなずむ夕、尺八の音色がどこからともなく風にのって聞こえてきて、音にさそわれてみれば、真白なズボン姿の大学生が長い笛を吹いている。医学生の夏休みだったのです。
私は鼻たらしの子どもだったが、眉毛が濃く、髪の剃りあとの青々とした長身の青年に恥じらいを感じていた。
あのセギのほとり、夏ゴミの実の色、水草のみどり、蛍のほのかな光、尺八の音色、白いズボンをはいた大学生の端正な姿は七十年近くも昔のことですが、いまも私の瞼の中に収まっている。
平成十七年弥生三月、ひなまつり・・・
もしも、長太郎兄さまがお元気で生きていたとしたら・・・。
奈川生まれで、大正・昭和にわたり松本東京方面に出て、医学への長い道のりをめざして、突き進んだ新年の青年、長瀬長太郎氏、その努力に頭が下がります。
戦死せずに生きていたら・・・。
あの時、戦争がなかったら・・・。
戦争とは、大きな大きな損失と深い傷跡を残すのみである。
平成十七年三月二十七日(日)、奈川村閉村式があり、「村」の字が消えることになった。これから十年後、「人生、生きているだけで丸儲け」・・・としみじみ噛みしめられる人で私はありたい。