じた
このあいだ、街を撮影する仕事を受けた。
帰り際、二人でお酒を飲んでいた。
「わたしは、気は強くも荒くもないですけどね」
なにかの話でわたしが言った言葉なのだけれど、相手は流れるような自然な肯定はしなかった。
「荒くはないけど、オシノさんは強いと思います」
自分なりの考えがしっかりあるんですよ、と一言足してくれるところに彼の柔らかさが見えた。
わたしは強いのかな。
弱いと思うことは多々あるけれど。
と、また、内側にいる相反する自分たちに困惑した。
自己評価と他者評価に、相違があったりする。
以前、親友二人と話していた。
(この二人)
「美春、けっこう他人に合わせてるほうだと思う」
またなにかの話でわたしがそういうと、一人が食い気味で「それはない」と言った。
ただ、こればかりは簡単に腑に落ちなかった。
わたしが他人に合わせず自分本位で動いていたら、秩序が破壊される自覚がある。
これでも寄り添っている、といったわたしの言い分に、一人は笑って全否定する。
彼女とのこういった会話は、いつもおもしろい。
「美春は他人に合わせはしないけど、他人を認める」
もう一人の分析に、なるほど、と思ったし、
もう一人の素直な主張にも、そう感じさせているのか、と思った。
わたしは合わせているつもりだったけれど、認めているだけで、合わせられてはいなかったのかもしれない。
そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。
二十歳なりたての頃だったかな、渋谷で帰国子女の男性に声をかけられた。
一緒にいた子は、いつの間にか知らない男性と消えていたので、数十分、彼の海外での話を聞いていた。
とっくに終電も過ぎた時間帯だった。
彼の武勇伝を聞くのも歩くのも疲れたし、眠いしで、「本当に寝たい」「ただ横になりたい」と言うと、男性は、「じゃあ、本当に横になるだけ横になろう。ホテルで」と言った。
これまで付き合ってきた男性こそが社会の男性像となっていたわたしは、安易だった。優しい人だな、紳士だな、なんて思っていたのも束の間、部屋に入るや否や覆い被さってきて、驚いて「話が違う!」と男性のお腹に両足で蹴りを入れた。思いっきり。
「寝るだけなんて常套句だわ!」「意味分からん!」「金払え!」と叫ばれたので、五千円札を机に置いて、ホテルを出た。
はぐれた子に連絡をするともうすでに致し終えていたようで、その知らない男と店で一服していた。
「ここいるから、おいでー」
ロッテリアの印象が強かったけれど、時間的にどうだろう。もう朝になっていたかな。
怒りに似た驚きが冷めやらぬまま二人に流れを説明すると、「美春が悪い」と潔く斬られ、さらに驚いた。
特に、その知らない年下の男から「やらないなら、ついていっちゃダメっすよ」なんて言われたりして。
今であれば、世界には暗黙の了解、空気、があるのは理解できる。
もし自分に娘がいたのなら、「世界にはいろんな人がいるから」という理由から、万が一の事態を想定した言葉を渡すと思う。
ただ、わたし自身が今でさえもそういう性質は消えていないから、正直なんとも言えないところもある。
わたしという人間は、暗黙の了解を理解したくない、というか、得意ではない。難しい。
もし、邪気なく無防備でいて傷つくなら、わたしは自分を変えぬまま素直に傷つきたい。
傷ついて、傷ついた。と言いたい。
賢くなくていい。馬鹿なままでいたい。
あちら側を知り尽くすのはいいけれど、かといって綺麗な世界を諦めたくない。
暗黙の了解を承諾する、が理解できないほど空気が読めない部分があるため、こればかりは「合わせる」「合わせられない」の話ではないのかもしれないけれど。
世界の一部には、暗黙の了解があることを理解する。わたしなりの歩み寄りだ。
ただ、それを承諾するかはまた別の話である。
とはいえ、それ以来、あのような状況には遭遇せず、回避した。
「わたしは間違っていない」という評価でも、「あなたが間違っている」という評価がある。
世間や社会からの善悪の評価なんて、たかが知れている。
気が強いと思われてもいいし、気が弱いと思われてもいい。
合わせられると思われてもいいし、合わせられないと思われてもいい。
あなたは間違っていると思われてもいいし、あなたは正解だと思われてもいい。
別に、どっちでもいい。
なんか本当に分からない。他人から見た自分については、なんでもいいや。