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お金持ちになりたい悩み お金持ちの悩み

2018.10.27 03:03

お金持ちになりたい、そのことが常に悩みです、というメッセージを

毎日のように受け取ります。


しかしながら、それまでのやり方、生き方を変えられる人は稀です。

「選択を変えてみる」

これを試す人はなかなかいません。


人は、「本当に必要のないことはしない」という原則があるからです。


このサイト、ブログは本当にお金持ちになりたい人は真剣に読み、試し、また学ぶことを選ばれますが、その必要のない人もきっとたくさんいるはずです。


人生、そこまでお金はなくても、高望みをせずに身の丈に合った暮らしをするかぎり、そうそう困るものではありません。


悪質な「拝金主義」をあおり立てる昨今の他ブログなどでは、老後の資金に何千万円も必要だと、人々を不安にさせます。

それは、実際にこれまでと同じように世間に言われるままの消費をしているかぎりは、可能性はあることですが、


・負債(居宅・車・月額でずっとお金がかかるものすべて)をかかえず

・無駄遣いをせず

・経験や学びに投資して(お金の勉強、心がうれしくなる経験すべて)

・消耗品などには極力お金を使わない


これらで解決できる場合もたくさんあるでしょう。


あなたの生きている場所が貨幣経済主体であるかぎり、お金は

「食べ物との交換価値」があるため、食べ物を得る手段の一つになります。


食べていけるかどうか。

いざというときの医療。


ここが解決できれば、あとは自由なことがほとんどです。


とはいっても、生活を見直せないことの方が多いのは、

人は変化を恐れる生き物だからです。


変化をしてみて

今より、つまらなくなったらどうしよう?

今よりも、不便だったら文句を言われないだろうか?


あなたの人生は将来を決める多くの選択肢に満ちています。


時々、「どうしてこんなに大変なんだろう?」

という出来事に遭遇しては苦しんだりします。


ほかの人たちが優雅に裕福そうにしてるのを見て、

なんで??

と不思議に思い、不公平に思うものです。



「富は、嘘である」


みなさんにこれをお伝えしたいと思います。

これを忘れないでください。

お金は、「交換価値」という概念です。


この概念は言葉でできています。


この概念、富に関する言葉を、エリート達が作り出して、現代の貨幣経済があります。


大金持ちの人の体と、貧しい人の体には、なんの違いもありません。


お金は、地域によっては、紙くずになるものです。

中東のある地域では、通貨に信頼が置かれておらず、ゴールドを持ち歩きます。

その方が交換価値がある地域だからです。


空腹を満たしてくれるのは、食べ物ですが、

あなたが餓死しそうなときに


「うちはお金と食べ物を交換しないが木の実とは交換する」


と言われたら、木の実の方が値打ちがあるということになります。


しかし、今お金で悩んでる人たちの実際の暮らしは


「あと数十万円が足りなくて、子どもを大学に入れる力が及ばなかった」

という世界に住んでいます。

あたかも、コンピューター上の預金残高の数字が、人間の人生を決めるかのように、残酷なことが起きています。


たとえば、アメリカ・カナダ・オセアニアなどの英語圏に日本人が留学生になる場合、

年間で数百万円の資金がなければ留学させてあげることができません。

ところがお金持ちは留学をさせたり合わなければ転校させたりしています。

教育に決定的な格差があるわけです。

そちら側に加担しつづけることで、ますますその隔たりは広がって行きます。


「留学して社会的ステータスを得られて自分は得したけど、世の中がよくなっていない……。
このまま子どもを産んでも同じことのくり返しになるんじゃないか?」


と、悩むようになります。


この人の人生はたまたま今、資金があってうまくいきましたが、

じゃあ、次の世代の子どもは?


”また競争に苦しみ、常になにかを生産しなければならず、成績で評価され、

お金のあるなしに翻弄され、行ける行き先には、おのずと決められたストーリーがある”

そんな人生が、何度も何度もくりかえし、やってくるのではありませんか?


もう一つの例は

アルバイトで日本で半年働いて資金をつくって、物価の安い東南アジアの国へ残りの半年間は移住して、のんびりと暮らす。

これについても

「いつまでこんなラクができるのか?

通貨のレートが変わったり、貧しい国が経済成長をして日本と同格になったら、もうこんな暮らしはできなくなる。
そのときに自分の子どもや孫はどうなるんだろう?」


という悩みがつきまといます。


ですから、

経済的な勝ち組として自分だけが安穏と暮らしていても、

経済的な優位組として海外でのんびりできても

世界の幸福と自分の幸福に、つながりがでてこないので、

本当の不安の払拭はできていないわけです。

そのせいで、悩みは尽きず、次の戦略、次の戦略と考えてるうちに、

「他者の幸福を考える自分」を忘れてしまい、

心が曇りガラスのようによどんでしまうことで、苦しくなってしまうのです。


ここで、人生の本当の価値について考えてみたいと思います。



本当の人生の価値とは?


人はなぜ生まれて死ぬのでしょうか?

死ぬ間に、どう生きればいいのでしょうか?

答えは人の数だけあるでしょう。


ただ一つ言えるのは


人生を無駄にしたくない。


後悔なく生きたい。


これが、自分、そして人生を大切にすることだと思います。


そして、そのことが他者を幸せにすることと繋がれば、ベストだと考える人は多いのではないでしょうか。


わたしたち人間には、生存欲求という本能があります。

食べて、眠り、生殖し、排泄するという生理的欲求を満たして、

安全や、社会から認められることを望み、ついには他者へ貢献することを望むようになります。


貧しいときには、自分のことで精一杯になり、生理的欲求を満たすことに終始しやすくなります。


ところが、貧しくても、喜びにあふれて社会貢献をしている人も、たくさんいます。

ここには、幸福があふれています。


お金は、何かを得る手段の一つに過ぎません。

しかし、幸福に直接つながるというものでもありません。


お金は、使いようによって、人を滅ぼし、惑わし、かえって人を不幸にすることもあります。

使いようによって、他者と自分を幸福にすることもできます。

達成や、経験の充実、獲得のようなことはお金の得意とすることですが、


本当の充足は、


真実の愛情や真心によって、