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偉人『100万回生きたねこ』

2023.12.29 00:00

今年最後の偉人の記事は人ではなく猫、それも絵本の中の主人公である。歴史上の登場人物を心待ちにしている方には大変申し訳ないが、年末最後は「えっ‼️人間じゃないの・・・?」と意表を突くブログで締めくくりたいが表の事情、では裏の事情とは・・・家族らの帰省により手抜きの大掃除を本格的にせねばならずあたふたしているので深く時間がかけられない。ならば頭の片隅にある絵本を引っ張り出して絵本の中の猫を偉人にしてしまえということだ。では時間もあまりないので15分で書き上げてしまおう。

『100万回生きたねこ』は谷川俊太郎氏の最初の妻佐野洋子氏の作品である。本屋や図書館に行けば必ず目にする作品であり、まだ読んだ事がない見た事がないという方は少ないであろう。1977年に出版された46年のロングセラーで初めて我が子に読んだ時には、子供が理解するにはまだ早いと感じた。行間を読み解くことがかなり重要で人生の経験値を積みげていなければ解釈し難い作品である。子供に読み聞かせをしつつ心に沁みた、泣きそうになったと大人の感情が揺さぶられる作品である。実際に読み終えると子供たちはきょとんとし何のこっちゃ?という様な表情をしていた。「大切に買われているのになぜ飼い主が嫌いなの?」「嫌いなら飼い主から逃げて自由に野良猫になればいいのになぜ寄り添っているの?」「嫌いなことをどうして自慢しているの?」「人間も猫のように生き返るの?」などなど返答に苦慮する質問をしてくる我が子に苦戦した作品でもある。しかし子供にとってこの疑問こそが人生を重ねていく上で重要な深い意義のあることだと思うのだ。この様な感情を子供の頃に持たせるこの作品を是非折に触れて子供達に読み聞かせ、親もまた深く様々な視点で物事を熟考することが人生の道標を示してくれるのではないだろうか。

輪廻転生を繰り返す猫は王様、船乗り、サーカスの手品師、泥棒、老婆、何でもない少女に飼われ、猫が死ぬたびに飼い主は大泣きをするが当事者の猫は一回も泣くことはなく、逆に飼い主が嫌いであるとの設定が何とも不思議である。この作品の前半は自己中心的で傲慢な主人公の猫が経験したことを周りのメス猫に語り自慢しこんな男性どこかで見た様な・・・と自分の人生と重ね合わせてしまうのだが、後半は誰かのために生きることの意味を深く考えさせる内容となっている。

自分自身が好きでたまらない猫の猫生を人の人生と照らし合わせると様々な見方ができる。例えば自分のために生きていた思春期から独身時代は、すべての行動が自分のしたいように謳歌しさかざまなことを経験してきた。そして家族を持てば自分自身が望むことが一時的に中断し自分自身のことは後回しにな理、時には自分のことはさておきまず家族のこと、特に子供のことに時間も労力も費やした。客観的に人生の流れを俯瞰すると自分自身お人生を謳歌できたからこそ、家族のために自分自身の時間を割かれても満足いく人生が送れた様に思う。多くのの我儘を言い自分の人生を選択する私を黙って受け入れた両親の理解があったからこそ、人生の前半生を有意義なものとして多くの経験をさせてもらえた。ある意味自分のしたい様にさせてもらえたということが自分のために生きることをやり遂げたのであると考えている。そして次のステージである家庭を持ち家族が増えると自分だけの時間はそこそこであっても楽しめた時間を送れたと言えるであろう。先日休みにでも入らないと視聴できない『徹子の部屋』を観ていると女優の後藤久美子氏が22歳で子供を産んだ人生を振り返って、自分の子供たちには早い結婚や出産をあまり勧めない。自分一人の人生を謳歌すべきだとの趣旨を話していた。彼女は若くして結婚し子供を産んだからこその想いがそこに含まれているのであろし決して後悔をしているのではないだろうが、もう少し自分の人生を楽しみたかったとの思いが隠されているのではないだろうか。人のために活動する生きるということはまず自分自身の人生を全うできていなければできないことだろうと感じている。

この作品の100万回生きたねこも飼い主たちを嫌ってはいたもののそこから逃げることをせず寄り添いながら猫生を全うし生まれ変わりながら多くの経験をし、やがて美しい白猫に会い家庭を築き白猫の人生を看取って100万回泣きそしてその生涯を閉じ生き返ることなく死んだというストーリーになっている。愛するものに巡り会うことだけが人生ではないが、もう一歩この作品を深読みするとするならば自分のために生きることを十分行った後には、どの様な形にせよ社会と繋がり活動すれば必ず人との関係性も生まれ自分を人のため社会のために生かすことができるものだ。生涯独身で過ごしても、家庭を持たずに子供を授かっても、同性間で子供を養子縁組しても、個性や体が不自由であっても少なからず小さなことでも自分を活かしてみようと考えるだけで自分以外のために活動することは可能である。

基本は自分を尊重しある程度自分のために生きる時間を持つことで心落ち着かせると、人のため社会のために働くことができるのではないだろうか。自分自身のために生きると出ないことも人のためならどこかしら力が湧いてくることを少しでもこの作品の100万回生きた猫から学んでほしいと考える。


しかし家族を持ち自分以上に愛し守るものを得るとそこを守ることにどうしても軸足を置くことになる。この作品は多くの経験をし愛する物ができると自分詩人よりも大切にするべきものを優先することが、永遠の命を守ることよりも尊い物だと教えているようだ。守るべきもののために生きることを全うしたときに輪廻転生することなく人生を終えることができると教えられている様に思う。

しかし一歩進めて考えると親が子供ために犠牲になるという愛の注ぎ方ではなく、親が自分自身を高めることに徹し自分を尊んで初めて子供に良い影響を与えることができるのだと考えている。ただその自分自身にかける時間や労力は子供の年齢や親の考え、環境によって比率を変えることが需要である。生まれたばかりの猫は数時間おきに授乳し排泄も親が促さなければならい。これは人間も同じことであるが成長と共に親離れする頃には親は自分自身を磨くための時間を作ることができる。そう考えると自分のために時間を費やしていた若い頃、そして家族を持ち自分自身を家族のために生かす時間、そして置いていくうちにまた自分自身の時間を得ることができる。その時々で自分自身を生かす方法は自らの心の持ち方でいかようにも幅を広げることができるというものだ。

偉人でもなく絵本の世界の主人公である100万回生きたねこから学ぶこととは人生において尊いというのは永遠の命でもなければ、自分自身の時間だけにいくる物でもなく与えられた人生の中でいかに自分らしく自らを尊び愛する人々に反映させるかということである。


今年一年の勝手に幼少期シリーズをお読みいただきありがとうございました。