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愛着障害 ≠ 愛情が無い

2018.10.28 06:47

   ※参考文献:愛着障害 子ども時代を引きずる人々 岡田尊司著 


『はてしない物語』『モモ』などの名作で知られるドイツの作家ミヒャエル・エンデは、愛着障害を抱え、それを克服した人でもある。

 エンデの愛着障害の源をたどると、おそらく母親が抱えていたと思われる愛着の問題にさかのぼることになるだろう。 

彼女が生まれて四ヵ月のとき、製鉄所で働いていた父親は、亡くなった。 

そして、母親も彼女が三歳半のときに病気で亡くなり、残されたルイーゼは孤児院に送られ、そこで育ったのである。


 愛着障害だったルイーゼは十五、六歳で孤児院を出る

 画家のエドガーは27歳、ルイーゼはすでに36歳になっていたが、やがて二人は恋におちた。

 そして、翌年の1929年2月に結婚したのである。

 十一月に、息子のミヒャエルが生まれたからだ。  

頼れる父も母もおらず、孤児として生き抜いてきた女性が、37歳でようやく幸せを手に入れたのである。

 その人生の軌跡には、ルイーゼという女性が抱えている困難とともに、愛着障害だった彼女の強さが表れている。  

37歳まで彼女が結婚せず、宗教的な教えに自分の支えを求めようとしたことは

愛着障害の彼女が、他人と親密な関係に踏み出せなかったことを示している。 

愛着不安とともに、強い愛着回避を抱えていたのだろう。  

それらは、結婚してからも、夫との関係にしばしば困難をもたらすことになった。 

その困難とは、大きく二つの問題に要約できる。

 一つは、相手の愛情を執拗なほどに確認することであった。

 少しでも、エドガーが他の誰かに親切にしたり、関心を示そうものなら、ルイーゼは、激しい不安と怒りに捉われたのである。

 もう一つは、相手の欠点や失敗に対して、容赦なく責め立てたことである。 

これも、愛着不安の強い人にみられやすい傾向である。  

しかし、こうした傾向は、二人の信頼関係を育てるより、傷つけることにつながってしまう。 

長く困難な日々を共に乗り越えながらも、後にエドガーが新しい伴侶のもとに走ってしまった背景には、

ルイーゼのそうしたネガティブな攻撃性に、嫌気がさしたということがあるだろう。

 どんなに我慢強い人であっても、責められたリ非難ばかりされながら、一生を終えたいとは思わない。 


一方、夫のエドガー・エンデは、妻に比べれば、ずっと平穏に育ち、気性も穏やかで、忍耐強い性格の持ち主だった。 

しかし、愛着という点においては、小さな傷を抱えていたようだ。 

愛着障害のルイーゼと知り合ったころのエドガーは、まだ駆け出しの画家であったが、すでに一度離婚歴があった。 


彼がガルミッシュ村にやってきたのは、実は交際中のユダヤ人の少女を追いかけてのことだった。

 少女の両親がこの貧乏画家を嫌って、娘を寄宿学校に入れてしまい、その学校がガルミッシュ村にあったのだ。


 こうした両親のもとに、ミヒャエル・エンデは生まれたのである。 

二人とも、ミヒャエルを非常に可愛がった。

 ことに、愛着障害だったルイーゼにとって、わが子をその手に抱くことは、半ば諦めかけていただけに奇跡のような出来事であった。


 ミヒャエルは愛着障害の彼女にとって、まさに「奇跡の子」であり、あまりにも特別な存在だったのである。

 しかし、父親のエドガーには、現実回避的なところがあった。

 生活が苦しくなり、妻との間にも諍いが多くなると、次第に子どもがいることが重荷に感じられるようになったのである。

 ある日、幼いミヒャエルは、父親がこう言うのを聞いた。 

「子どもなんか、作るべきじゃなかった」。 


エドガーにとって、好きな絵を描いて暮らすことが、何よりも大切なことだったのだ。

 夫婦の関係は、常に不安定なものであった。


 妻の傷つきやすさと攻撃に付き合ううちに、夫の方も傷つきやすくなり、すぐ罵り声をあげるようになっていった。 

 些細な行き違いも、たちまち大ゲンカに発展するのだった。  

クリスマスのような特別なイベントのときでさえも、例外ではなかった。  

クリスマス・プレゼントをもらっても、たいしてうれしくなさそうな我が子の姿に、両親は、「この子はあまり自分の感情を表さない子だ」と思ったというが、両親がケンカをしていたのでは、それも仕方がないだろう。 


過保護といっていいほど可愛がられる一方で、ミヒャエルは絶えず、父親と母親が、罵倒し合うのを聞いて育った。

ミヒャエルは、幼い頃から「自分が二人をつなぎ止めなければならないと思っていた」と言う。 


自分が良い子にしていなければ、父親と母親は別れてしまうという気持ちを、ずっと抱いていたのである。 こうした境遇は、反抗的な一面と、相手の顔色を見て相手を喜ばせようとふるまう性向の混じった、複雑な性格を育むことになった。

 

これは、愛着パターンの一つで、親を自分の力で何とかコントロールしようとする、統制型と呼ばれるものだ。 

 統制型の愛着パターン・三つのコントロール戦略 不安定な愛着状態におかれた子どもでは、子どもによっては、ほんの四歳ごろから、親の顔色を見て、機嫌をとったり慰めようとしたりという行動を示すのである。

親をコントロールすることで、保護や関心が不足したり不安定だったりする状況を補うようになる。 

①攻撃や罰を与えることによって周囲を動かそうとする

 ②良い子に振る舞ったり 

③保護者のように親を慰めたり手伝ったりする  


こうしたコントロール戦略は、年を重ねるごとにさらに分化を遂げて、特有のパターンを作りだしていく。 

 これは、その後の人格形成に大きな影響を及ぼすことになる。 それらは、大きく三つの戦略に分けて考えることができる。  

①支配的コントロール・・・暴力や心理的優越によって、相手を思い通りに動かそうとする 

②従属的コントロール・・・相手の意に従い恭順することで、相手の愛顧を得ようとする 相手に合わせ、相手の気にいるように振舞ったり、相手の支えになったりすることで、相手の気分や愛情を意のままにしようとする

 ③操作的コントロール・・・支配的コントロールと従属的コントロールが、より巧妙に組み合わさったもので、相手に強い心理的衝撃を与え、同情や共感や反発を引き起こすことによって、相手を思い通りに動かそうとするである。 


この三つは、比較的幼いころから継続してみられることが多い一方で、大きく変化する場合もある。 また、相手によって戦略をかえてくるということも多い。 それによって、バランスをとっているとも言える。 

そうした傾向は、自分の本心を隠す傾向にもつながりやすいが、サービス精神旺盛で、演技的にふるまう能力を育むことも多い。 

エンデが最初俳優として身を立てようとしたことには、そうした幼い頃の体験も与っていたのだろう。 


 愛着スタイルが親から子に伝達されやすいのは、具体的には、どういうことによるのだろうか。 

両親が揃っていて、ちゃんと養育を行っていたという場合にも、子どもが不安定型愛着を示すことは少なくない。 

なぜそうしたことが起きるのだろうか。

 それに対する一つの答えは、親の関わり方と関係があるのではないかということである。

 エンデの場合には、愛着不安の強い不安型の母親と、何事にも距離をおこうとする回避型の父親との間で育ったが、どちらかというと母親に近い不安型愛着の傾向が強く、それを克服するのに、周囲の気分をコントロールしようとする統制型を発展させたようにみえる。

 しかし、少なくともエンデには、母親の過剰とも言える愛情があり、母親との愛着自体は、比較的安定したものであった。 

 それが、彼の人生を守ったことは疑いない。 

 ※参考文献:愛着障害 子ども時代を引きずる人々 岡田尊司著 


愛着障害というほどのものなのか?

わたしの感覚では、ぐれーという感じがします。

しかし、モモにはミヒャエルエンデの養育環境や母親の行き方が

うっすら乗っかって見えるような気がするのです


ミヒャエルエンデが、主体的に選んだ統制型の愛着がここで存在を主張したのだとわたしは思います。

子どもが読むほのぼの系の物語を期待していたわたしには

そのリアリティがギャップとなったのだと思います。


モモは、ミヒャエルなのでしょう

愛されていないわけではない

社会に貢献もしている

優秀だし。。。

だけど・・・・


といった、憂いをわたしは感じるのです