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Pink Rebooorn Story

第5章 その7:「ドレーンを抜く」

2018.11.02 08:46




12月26日の朝は大騒ぎだった。




そう、いよいよ「ドレーンを抜く」日がやってきたのだ。
ドレーンというのは、手術によって溜まった体液や血液などを体外に排出するための管で、私の場合は術側の脇下に1本、自家組織再建で切り開いたお腹に2本、差し込まれていた。







体に刺さっているからといって常に痛みがあるわけではないけれど、脳の手術経験がある"ドレーン先輩"の母が「抜くのは痛いよ〜」としきりに言ってくるので恐怖心しかなかった。(母よ...そういうところやで...)




「もし、今日全部のドレーンを外すのが辛かったら、半分だけにしておくこともできますよ」と、やさしく看護士さんが言ってはくれるものの…それってつまり、「超痛いですよ」ってことでは!?!?
そんなに痛いなら抜きたくない。でも、一生ドレーンを体にぶっ刺したまま生きていくわけにもいかない。ここは覚悟を決めるしかない。




そしてついに、あの手術大好き(杏莉の勝手な妄想)な形成外科の田辺先生、登場!!







何やら傷口の近く(体感ドンピシャ傷口)でチョキチョキ!傷口の近く(体感傷口わし掴み)でグイグイ!ゴシゴシ!
まな板の上の鯉である私は、始終ものすごい言語を発していたと思う。「ぃぎぇあ〜〜〜」とか「ぅぬぉぁ〜〜〜」とか。




それほどまでに痛かったか?正確には未知の怖さと不快感が勝って痛さは不明。ぬるぬると管のような物体が体から抜けていく感じがもうなんていうか。
ドレーンと皮膚?は糸で縫合されているとかナントカ...前もってネットで下調べしなくて本当に良かった。知ってたら、耐えられなかったと思う。その日のうちに全部抜いてもらったのは、この感覚を知ってしまったら最後、後日に残すなんて考えられなかったからだ。その場の勢いを借り、なんとか終わらせた。




あまりにドレーンで疲れたのか、28日の退院日まで、日記にはほとんど何も書かれていません(笑)。いつもの「痛いの痛いのとんでけー!」すら、強烈すぎて、頭の中からすっかり抜け出てしまっていました…。




*   *   *




術後一週間、ついに退院の日が来た。病院で私をサポートして下さった先生方に感謝しながら、実家へ向かった。
病院を一歩外に出てまず思ったのは、「普通に歩くって大変」ということだった。車に乗り込んでからも、道路のわずかなデコボコに全身痛みが走り抜ける。思わず悲鳴が上がった。




実家では、みんなが、手術の日の尾田平先生のことをおもしろおかしく話してくれる。笑うと傷口が痛い…けど、みんな、うれしそうだった。




久しぶりのシャワー(下半身だけ)のあと、ガーゼの交換。母や姉がやってくれた。「うん、順調そうに見える」とか「きれいに縫合されているよ」などと聞きながら、まだ私は自分の目で傷口を見ていなかった。いずれ自宅に帰って自分ひとりでガーゼ交換をすることになるのだから、傷を見てあれこれ感じるのはその時にしようと思っていた。




この日、鏡を見て、下睫毛が生えていることにふと気づいた。
最後の化学療法から、ちょうど一ヶ月だ。




体はダメージだらけだけれど、一方ではちゃんと回復が進んでいるんだ。
ハッとした。そうだ、今やっと私は「回復期」に入ったのだ。
グラフで言うと、この先はきっと、右肩上がりなんだ。
小刻みに行ったり来たりは繰り返すだろうけれど、きっと全体的には上がっていく。







実家のリビングの、年末のテレビ番組が流れる空間で、みんなが笑っていた。ぬくぬくとあたたかい雰囲気に満ちていた。姉も私も結婚して家を出て以来、こんなふうにみんなが集まって笑うことってあっただろうか。




私はグラフを心の中に想い描いた。大きく右肩上がりの、回復線。