本当に大事なことで、格好をつけたままでやれることは一つもない
【wording】
ノーマン・メイラーは16歳でハーバード大学に入り20歳で卒業。卒業とほぼ同時の1944年に第二次世界大戦に陸軍兵士としてレイテ、ルソンに従軍している。この経験をもとにして25歳のときに書いたのが『裸者と死者』である。
日本の敗戦後、メイラーは、占領軍(進駐軍)として千葉県の館山、銚子、福島県の小名浜で駐屯している。彼はこの9か月の日本の駐屯の間で『裸者と死者』の構想を得たといい、(写真はちょうどその頃の23とか24歳の頃だろう。)「日本は私が見た国のうちでもっとも美しい国でした」と翻訳家に述懐している。
軍役を終え1948年、パリのソルボンヌ大学に入る前に、書いたのがその『裸者と死者』で、25歳にして一躍ベストセラー作家になった。
そして、84歳まで終生現役の作家だった。作家50周年の時、自分の作品を読み返して、「……作品のほとんどはアメリカに関するものだ。アメリカを愛していることは確かだが、同時にまったく愛してもいなかったということも分かった。……」と述べている。
事実、『裸者と死者』は“アメリカの作家によって書かれた太平洋戦争をネガティブに捉えた初めてのもの”といわれています。
(学生時代読んだが、とても25歳の筆になるものとは思えなかった。そして乾いていて難渋だった。)
このように、アメリカに対するラブ&ヘイトな感情を持ち、社会や制度に対する怒りを露わにしたノンフィクションや伝記が多いことから、彼の作品は「クリエイティブ・ノンフィクション」と呼ばれる。そんなことを含め、むしろ彼を〝箴言家〟として捉えている人が多い。彼の箴言は従来の価値体系や思考の枠組みに〝ゆらぎ〟を起こす。いやむしろ、「パラダイム・シフト」を起こすと言った方がいいと思う。
それらの「箴言」を……。
「私は民主主義とは大きな賭であり、非常に珍しい政治体制だと考えている。人間は子供の頃から命令されるのに慣れていて、ファシズムのほうがむしろ自然なのだ」
「日曜日には教会で清貧を祈り、残りの日はカネ儲けに狂奔だ」
「本当に大事なことで、格好をつけたままでやれることは一つもない」
「俺もこの年になってようやく、善人の考えることがわかってきた」
彼は84歳で死ぬまで終生現役の作家で、6回結婚しており、9人の子供がいた。