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鈴木桂一郎アナウンス事務所

9月28日(金)「BS句会、小島先生に秀作に選んでもらった、嬉しい」

2018.09.28 00:54


 夜七時からのBS句会に参加、5句だし、一句特選、一句は児島健先生に、秀作でとってもらった。以下、提出句

澄む秋や茜雲あり手酌酒、秋風がスクランブルを抜けて行く、テレビ見て文句重ねし夜長かな、無縁墓消えて黒土赤蜻蛉、立待ちの月の女もラブホ前

澄む秋や茜雲あり手酌酒  コーラル特選

 小島先生の席題が、「酒」であったので、句会の場で、作った句。手酌酒は、演歌のタイトルのようだが、気持ち良く晴れ渡った秋の夕暮れ、年金生活に入ると、酒を呑む時間が早くなり、夕焼けで、茜雲が綺麗に拡がっている景色を見ながら、早目の一杯と言う句である。コーラルさんは、追悼句ではないかと解説があったが、孤独の中で呑む酒を意識して作り、自分の時間も、そう長くはないなと、感じ始めた自分の今に合わせて作ったものだ。児島先生からは、三段切れで、リズムが良くないと指摘があった。

秋風がスクランブルを抜けて行く  小島健先生秀作

 今日は、朝から久し振りに晴れ渡り、気持ちのいい秋風の吹く日だった。渋谷のスクランブル交差点は、外人観光客に人気のスポットに、今やなっている。渋谷駅からBS句会の会場になっている奥渋のニュージープラットフォームに行くには、渋谷のスクランブル交差点を通らないといけないので、今日も通ったのであるが、気持ちのいい秋風が吹いていた。外人観光客は、交差点の真ん中で、写真を取り合っていたが、多くの日本人は、全く気にせず、何時もの様に、誰ともぶつかることなく歩いている。よくこれだけ大勢の人間が一気に渡りながら、ぶつかる人がいないものだと感心する。各自が持っている脳の働きで、周りの人間の進む方向、来る人の方向を、的確に認識して、ぶつからないように脳が命じているのだ。その大勢の人の間を、するりするりと秋風が抜けて行った。児島先生には、類句があると言われ、秋風と、スクランブルは、よく使われると評があった。でも秀作に選んでいただき、有頂天である。

テレビ見て文句重ねし夜長かな

 昼から夜、そして深夜に至るまで、テレビを見る事が多くなった。今日は民放各局のワイドショウで、大相撲貴乃花親方の引退届の話を延々やっていて、いささか飽きた。飽きたどころか、引退と退職の違いについて延々引き延ばし、司会者は、ゲストに、質問を振ってはいても、再度入り口に話を戻し、又同じような質問をする。貴乃花が大相撲を引退しようが、退職しようが、廃業しようが、どうでもいい事である。幕内力士3人を抱えながら、その育成を途中で放棄すると言う事が、どんな事なのか、核心部分を突かなければならない。日馬富士が、暴力を振るった事は悪い事で、日馬富士はすでに責任を取り、横綱を辞めている。貴乃花親方は、暴力事件を契機に、これをチャンスと見て、理事長の座を狙ったのかもしれないが、話の進め方が悪く、当初貴乃花と行動を共にした親方達も、次第に貴乃花を離れてしまった。貴乃花は、相撲協会に戦いを挑み、味方は離反し、結局闘争に敗れたのだ。結局今回の行動は、貴乃花が男の美学を貫いたように見えて、実は、敗軍の将が、部下を見捨てて、逃亡したと同じ事で、責任の無さは厳しく追及されるべきだ。こうした事に言及しないワイドショウーに文句を言いながら、それでもワイドショウーを見ている自分を詠んだ句だ。

無縁墓消えて黒土赤蜻蛉

 私の家の墓は、巣鴨の寂円寺にあるが、お寺では、古い墓が次々になくなり、更地になって行く。春のお彼岸、お盆の頃にはあった古い墓が、秋の彼岸にお参りに行った時には、すでになくなり、かつての墓の区画には、販売の値段が表示された黒い土の更地となっていた。無縁墓は、二年間管理費を払わないと、無縁墓地として整理されてしまうようだ。墓がなくなり、黒土を積んだ墓の予定地が、墓地のあちこちにあり、そこに赤蜻蛉が羽根を休めていた。蜻蛉に生まれ変わった霊が、以前の墓場に戻って来たようにも思えた。

立待ちの月も女もラブホ前

 9月26日、立待月の夜、買い物に、家の近くにある、日本初のラブホテル、目黒エンペラーの前を通った。ラブホの入り口の真ん前に、女性が一人立ち、メールを覗き込み、メールを打っていた、もしかしたら彼氏さんとラブホ前で、待ち合わせなのかもしれないと思った。買い物を済ませ、10分ほどたって再び目黒エンペラーの前を通ると、くだんの女性が、まだホテルの真ん前に立って、メールを打っていた。ラブホの入り口で、10分以上立ったままメールを打つ姿に、時代が確実に変わった印象を持った。空には立待月が光を放ち、ラブホ前には月の光を浴びて女性が立っている、不思議な光景であり、しかも余りにもリアルな光景に、世の中の変わりように驚いて作った俳句である。