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愛着スタイルに問題があったとして

2018.10.29 01:00

昨夜の一件が

子どもたちに及ぼす影響が

気になって仕方がない

YASUKOです



今朝

子どもたちをおくるために玄関に行ってみると

新しい一足の靴がありました


変化に敏感な子どもたちはすぐに気が付きました


息子は

お父さん買ったんだね

と ガッカリしたように言いました


娘は

結局 買うんじゃん

と怒っていました


これはわたしの主観ですが


買うのであれば

売り物であるお店の靴を 

投げつける必要はなかったのではないかと 感じます


そもそも買うために出かけて行ったのですから

買ってもらえることは初めから決まっていたことです


どうしても高価なものが欲しいのであれば

交渉するとか

説明をするとか

色々な方法はあったと思います


これは発達や愛着の問題ではなく

単純に気質の遺伝なのかもしれませんが


主人のお父さんも

主人のお母さんも

そして主人の子も

思い通りにならないと


そうやって癇癪を起こしたり

「要らない」という極端なことを言って 意固地になります


意地を張るのは勝手なので

張ってもらってかまわないのですが


結局、自分が困って 靴を買ってきてしまうのであれば


みっともないので

初めからそのようなことをしなければいいと

わたしは感じます


宗教的な考え方になってしまいますが 

物には人の念がうつると

わたしは考えています


現実に起こる現象としては

腹を立てながらお茶碗を洗うと

お茶碗が欠けてしまうということです


本来は欠けることのなかったお茶碗を

欠いてしまったその報いは

腹を立ててしまった本人に返ってきます


ものとはいえ本来の寿命を

不当に奪うことは罪だと思います


主人の怒りの念が入ったあの靴を後に買う人が いい気分がするとは思えません


もしあの現場を見ていた人であれば絶対にあの靴は買わないでしょう


話は変わりますが

昨夜主人は


 俺もあんなに大きな音がすると思わなかった

驚いてる俺を置いて、YASUKO

さっさと逃げていった


と恨み事を言い始めたのです


回避型愛着の一つの特徴なのかもしれませんが

 このコミュニケーションの取り方をされた相手は

たまったものではありません


そうは言っても言葉でさとして受け入れるような相手でもありません


本人がその迷惑行為に自覚を持ち

自分の生きにくさを克服しようと 思わない限り 

主人の周りから親しい人はどんどん離れていくと思います


どんなに付き合いたくない嫌な人間であったとしても

わたしの大事な子ども達の父親であることは変わりません


この結婚を否定したり父親を排除することは

そこに生まれた子ども達の存在を否定することへと繋がります


かといって 名案があるわけでもありません