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第1章(立ち読み4/4)

2018.10.29 07:25

 廃港通りはその名の通り、どこを見ても廃れていた。朝から酒に溺れ地べたに寝転がる者や現行の港から仕事をもらってきた者たちが作業をしている。

 

 人通りは少なくないが、小汚い男ばかりで知恵子に気づくと皆手を止め足を止め、舐めるように見つめる。目を合わせないようにしてもあちこちから視線を感じて気味が悪い。自ずと早足になっていた。

 

 知恵子が出て来た店と軒を連ねる先に、ワーッと盛り上がるのを何度も繰り返す騒がしい集団がいた。テーブルを五、六人の男が囲んでいる。皆汚い服をまとっていた。

 

 テーブルの上にカードと硬貨が数枚ずつ積まれているのが背中越しに見えた。知恵子は彼らに気づかれないよう遠巻きに通り過ぎた。ところが、

 

「おい、見ろよ」

 

 背後でそう話す声が聞こえた。

 

「あれ、昨日キリ助が拾った女だぜ」

 

 その言葉を知恵子は聞き逃さなかった。振り返り、言葉を発したであろう、小鳥に似た顔の貧弱そうな男に近づく。

 

「キリ助って?」

 

 鳥男は知恵子に食いつかれ戸惑った。また、何か失言をしたらしく、メンバーたちに一発ずつ叩かれる。

 

「あのギタリストさんの名前ですか」

 

「さあ、何のことだか」

 

 知恵子が食い下がると鳥男は今さらとぼけた。

 

「キリ助さんが次はいつ広場に来るか、教えてくれませんか」

 

 男はさらに無視を決め込んだ。

 

「教えてください」

 

 知恵子が一歩近づくと、体格のいい別の男が肩に手を回してきた。

 

「抱かせてくれたら教えてやってもいいぜ」

 

 知恵子は自分の顔ほどもある大きな拳を見て言葉をなくした。

 

「九車さん、やめたげなよ」

 

 巻き毛を逆立て、サングラスをかけた細身の男が半笑いで止める。それが逆に不気味だった。

 

「け、結構です!」

 

 知恵子は肩に回された手を押しのけ、早足でその場を離れた。男連中はおかしそうに笑っていたが、追って来ることはなかった。

 

 廃港通りを進むと、やがて前方に高さ三メートルほどの黒いゲートが見えた。陸地側に戸袋があり鉄格子が収まっている。外側にはぽつんと電話ボックスのようなものが設置されていて、顔の高さにある小窓を覗くと機械があった。これで扉の開閉を管理しているのだろう。

 

 奥の方で赤いランプが光っていた。小窓の下には『閉鎖時刻=夜十時~朝五時』と赤字で書かれたプラスチックの札が下がっている。廃港通りには門限があった。

 

 その先は店主の言っていた通り公園に続いていた。象牙色の敷石できれいに整備された歩道が網目状に入り組み、それぞれの島に色とりどりの花に囲まれた木が立っている。枝が重なり合い天然の屋根になっていた。

 

 葉の間から光が幾筋も差し込むのでそれほど暗くは感じない。歩道には小さな子連れの母親や犬の散歩をする若いカップル、ベンチで休む老夫婦などありふれた日常の風景があり、さっきまでいた廃港通りが近くにあるのが不思議だった。

 

 公園から続く港見坂の中腹、あるコインランドリーの裏手にひっそりと佇む築数十年の木造アパート。その二階、一番奥の一室が知恵子の住処であった。手前の外階段を上り、空き部屋だらけの不気味な廊下を通り、ようやく部屋に辿り着く。

 

 太陽は高く昇っているというのに、ここは薄暗い。生活感のない建物に、知恵子の足音と鍵を開ける音が響いた。

 

 未だに物のない部屋である。ずっと一人暮らしに憧れていたが、いざ始めてみると思うように物が揃わず、そもそも必要なものが少ない。駆け込むように小さな喫茶店でのバイトを決め、慌ただしく過ごしてはその日暮らしになっていた。

 

 日中は布団を巻いてソファ代わりにしたり、バイト先でもらった不要な木箱二つを、一つは服の収納に、もう一つはテーブルにしたりとそれなりに工夫は凝らしているが、何の愛着も湧かない部屋だった。

 

 部屋の隅に鞄を置きその上に鴇色のフルートケースを載せる。ソファ状態の布団に転がる。横になるとようやく頭に血が巡った。ぼんやりと窓の外を見てため息をする。

 

 

 フルートを続けるため、色々なバンドとのセッションを申し込むが、出来上がった空気に入ろうとしてもフィーリングが合わず、次回まで繋がらない。

 

 それぞれのバンドが演奏する曲もマンネリ化している。楽しめないのは、もう自分が諦めようとしている心の表れなのか。そんな風に感じている頃だった。

 

 同世代の大学生が続ける酒のコールで酔わされ、廃港通りに迷い込み、せっかくの取り分も打ち上げで散財し、手元に残っていない。昨日は散々だった。フルートにこだわっているからこんな目に遭うのかもしれない。

 

 もう潮時だろうか。そのことを薄々感じていた知恵子は、来月はバイトを多めに入れていた。フルートをやめて〝普通に生きていく〟準備を整え始めていた。

 

 寝転がったまま手探りで鞄を引き寄せる。手帳を開くとバイトの他に八ヶ所「ライブ」と書かれた日がある。昨日が八ヶ所目の日だった。しかし来月はバイトが多く、「ライブ」の文字は一週間後に一つだけとなっていた。

 

 

 

 

 

〔立ち読みはここまでです〕

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