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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

百年戦争3-オルハン、トルコ半島制圧

2018.10.30 02:12

オスマンの祖、オスマン・ベイは、1325年くらいに崩御し、息子オルハンが継いだ。彼は父が攻めていたブルサを陥落させ、ここが最初の首都となった。ブルサはシルクロード西端に位置した交易都市で、この地を制圧したことはその後の発展を保証するものだった。オルハンは、商人には課税せず、物品に関税をかけて商人を保護した。

1329年にはベレカノンの戦いでビザンティン正規軍に勝利、31年には古都ニカイアを制圧した。オスマンにはキリスト教徒も居たので、抵抗は少なかったのだ。オスマンは「啓典の民」つまりセム氏1神教のユダヤ教、キリスト教徒は信仰を許可されたが初期の事情による。37年にはニコメディアを手に入れ、晩年の52年にはコンスタンチノープル対岸のスクタリに迫った。

オスマンは国家としての体裁を整えねばならなかったが、この点イスラムは便利である。コーランには信仰や日常生活の規則や法律が一体化されている。遊牧民であるアラブ人には実に便利な経典であった。オスマンはイスラム法(シャリーア)を基として、アナトリアのイスラム法学者を迎えいれて、統治制度をつくっていった。

またオスマンの特徴となる宰相制度がつくられ、外来のイスラム法学者のアラエッティンが就任した。そして出自がさまざまな者達が加わってくるなかで、スルタン直属の親衛軍が必要となってきた。サラディンの頃のイスラムは、西欧と同じく封建騎士であった。イスラムも別の理由から常備軍を創設することとなった。

下は濃い赤がオルハンの初期で赤全体が末期