「フランス革命の光と闇」①「自由、平等、友愛」
幕末明治維新で活躍した薩長土肥。薩摩(島津家)、長州(毛利家)、土佐(山内家)、肥前(鍋島家)。いずれも、外様大名(関ヶ原の戦いののち徳川氏に臣従した諸侯)として幕末に至るまで幕政の中枢から除外されていた。つまり、譜代大名(関ヶ原の戦い以前より、徳川氏に臣従して取り立てられた大名)とはその出自のみによって制度的に差別されていた。
しかし、外様藩内部においても出自による差別は歴然としていた。上士と下士。特に土佐藩はその差別化が徹底しており、『龍馬伝』でも印象的に描かれていた(第1回「上士と下士」 龍馬は、ふとしたことから上士の少年を怒らせてしまい、上士に無礼討ちされそうになる。母の幸が決死の覚悟で上士を止め、龍馬はことなきを得るが、その事件がもとで幸の病気は悪化し、ほどなくして死ぬ。)。上士と下士では、身につける着物も違っていたし、下駄や日傘の使用は上士しか許されていなかった。坂本龍馬は下士身分。岩崎弥太郎はそれ以下の地毛(じげ)浪人だった。西郷隆盛も10階級に分かれていた薩摩武士団の中の下から三番目の御小姓与(おこしょうぐみ)という極貧の下級武士の出身だった。西郷も、新たな人材の発掘と育成にも力を注ぎ、藩士たちに向けて、藩政に対する意見書を求める布告を出した島津斉彬のような幕末一の賢公とも呼ばれた名君の下でなければ、生涯地方役人で終わっていたことだろう。
フランス革命と明治維新。フランス革命では、国王ルイ16世を処刑してまでも「国は国民のもの」「国民主権」という原則が確立されたのに対し、明治維新では、徳川幕府は倒されたが、「天皇主権」の原則が打ち出された。戦前の日本の「天皇制」は、君主にあらゆる権限が集中していたという点ではフランス革命前の「絶対王政」と似たようなものだから、君主に関してはフランス革命と明治維新とでは、現象的にはまったく逆のことがなされたのであった。それでも、生まれによる身分的差別が原理的に打破された点では両者は共通する。どちらも、革命前は生まれや身分で人間の一生が決まるような社会だったが、革命後は個人の才能・実力・努力によって生まれや身分に関係なくだれでも活躍できるような社会に切り替わったのだ。
先進資本主義国と言われている国はみな、フランス革命や明治維新のような革命を経験している。たとえば、イギリスの場合は清教徒革命と名誉革命、アメリカの場合は独立戦争(「アメリカ革命」とも呼ばれる)。こうした革命の中で、もっとも典型的だったのがフランス革命。革命闘争が最も大規模かつ熾烈に行われ、古い社会がもっとも徹底的に破壊された。このフランス革命を通して、明治維新の特徴、功罪、現在に至るまで持ち越された課題等を浮き彫りにしたい。
( カルル・ヴァン・ロー「狩猟の合間の休息」部分)革命以前の貴族の生活
(ル・ナン 「農民の食事」)革命以前の農民の生活 右の貧農は靴すら履いていない
(「アンシャンレジームの皮肉」) 「アンシャンレジーム」=旧制度=フランス革命以前の制度
農民が、貴族・僧侶を背負っている
(「アンシャンレジームの皮肉」) 農民が、貴族・僧侶に踏みつけられている
(貧しい食事をする都市の民衆)
(物乞い)