『私たちに残してくれた自叙伝』2018年10月21日 礼拝説教
説教:尾崎浩司 教育部長
題目:私たちに残してくれた自叙伝
み言:平和を愛する世界人より抜粋
〇感性を教え育むことは知識を養うことより重要です。自然を感じる心がなく、感性が乾いた子供であるならば、誰が教育したところで何が変わるでしょうか。 ・・・春の雨はぽつぽつ降り、秋の雨はぱらぱら降る、その違いを感じることができなければなりません。自然との交感を楽しめる人であってこそ正しい人格が身に付くと言えます。
〇神の道を行く人は、常に全力で事に当たり、心を尽くして、その目的地に向かっていかなければなりません。この道には執念が必要です。生来、頑固一徹な私は、元から執念の塊です。生まれつきの性質そのままに、苦難にぶつかっても執念で克服して、私に与えられた道を進んできました。試練に遭って翻弄されるたびに私を深いところで支えてくれたのは、「神様から直接、み言を聞いた」という厳粛な事実でした。
〇私たちはあらゆることに精いっぱいの誠を尽くすべきです。それも一日、二日ではなく、常にそうすべきです。刀は一度使っただけで磨かないと、切れ味が悪くなってしまいます。誠も同じです。毎日刀を鋭く磨き、刀を研ぐという心で、絶え間なく継続すべきです。どんなことでも誠を尽くせば、我知らず神秘の境地に入っていくようになります。 助け合うこともまた、天が結んでくれる因縁で す。その時はよく分からなくても、後で振り返って と悟るようになりました。ですから、突然私の前に助けを乞う人が現れたら、「天がこの人を助けるようにと私を送られたのだ」と考えて、心を込めて仕えます。天が「十を助けなさい」と言うのに、五しか助けないのでは駄目です。「十を与えよ」と言われたら、百を与えるのが正しいのです。人を助けるときは惜しみなく、財布をはたいてでも助けるという姿勢が大切です。
〇いくら小さなことでも、いったんお世話になったら生涯忘れることができません。年が九十歳になった今も、いつ誰が何をしてくれたか、また、いつ誰がどのようにしてくれたか、すらすら話すことができます。私のために労苦を惜しまず、陰徳を施してくれた人たちを生涯忘れることはできません。
〇ですから、人生いかに生きるべきか、ということに対する答えは簡単です。愛によって生まれたのですから、愛の道を求めて生きなければなりません。父母の果てしなく深い愛を受けて生まれた命なので、生涯その愛を返して生きなければならないのです。それこそが、私たちが人生において自らの意志で選択できる唯一の価値です。私たちに与えられた七年という時間の中に、どれほど多くの愛を満たしたか、ここに人生の勝敗がかかっています。
【平和を愛する世界人より抜粋】
〇説教
今日は「私たちに残してくれた自叙伝」というテーマでお話したいと思います。お父様の自叙伝が出版されて早いもので九年の歳月が経ちました。この素晴らしい自叙伝を自分の親族や地域430家庭に配布しましょうということで、皆さんも自叙伝を持って沢山の方を訪ねたことと思います。また、いま毎月行なっている『心の書写会』は、お父様の自叙伝から出発しています。心の書写会を全国的に展開され、全国の書写大会などで意欲的に講話をされる浅川勇先生が以前、和歌山に来られた折にこんな話をして下さったことがあります。
「心の書写会は、お様の自叙伝のみ言を書き写すところに意味があるのです。私たちは以前、自叙伝を一生懸命に配布しましたが、中身を読んでくれた人はほんの一握りでした。ですから書写を通じてお父様に出会えるようにしたいと考えたのです。お父様を知る人も知らない人も、自叙伝のみ言を書き写すことで、お父様の生き様に触れ、その真の愛の心情に出会うことができるのです」と。
さらに、先日行われた韓国忠清圏希望前進大会で、来賓の金奎煥(キムギュファン)国会議員が感動的な祝辞をされていました。証しを読んだ方もおられると思いますが紹介したいと思います。金氏は早くに母親を亡くし、小学校しか通えず、幼い妹を背負って物ごいの乞食生活をしていたそうです。重工業の工場前で物乞いをしていると警備員からむやみに殴られ、通りかかった社長が彼を可哀想に思って清掃員に雇いました。真面目に働いてきた彼はある日、納品の為に資材を積んだ荷車を押して統一重工業を訪ねます。すると偶然にもお父様御一行に出くわし、警備員が制するにもかかわらず、お父様は彼を見て呼びとめました。そして彼に「お前を見ると瞳がとてもキラキラしていて立派な仕事をしそうだ。会社でどんな仕事を しているのだ?その分野でお前は必ず第一人者になるだろう。第一人者を目標にして、最善を尽くしなさい。お前の夢は叶うだろう」と話されたそうです。それ以来、金氏はこの時のお父様の言葉を握りしめ、命がけで仕事をして最善を尽くしたそうです。
やがて彼は、超精密機器分野の国家品質の名匠となりました。歳月は流れ、お父様の自叙伝の出版記念行事があることを知った金氏は、再会したい希望を胸に、そっと会場の片隅に立っていました。数十年ぶりにもかかわらず、お父様は金氏の姿に気づかれ「おい、来たのかい。名匠になるとわかっていた。あんたの夢は何だい?夢は必ず叶う。その大きい夢、絶対叶う時まで最善を尽くしなさい。私の本の中に、どんな状況にも打ち勝つ方法がある。この本をみて頂上に立つ時まで最善を尽くしなさい。本をやろう」と言われました。金氏はお父様からいただいた自叙伝を羅針盤に、国会議員として活躍する今日まで来られ、今大会では来賓として、お父様の夢を叶えようとされるお母様を証しされたのです。
皆さんにとっても、お父様との出会いがそれぞれにあると思います。直接、お会いしたか否かは問題ではありません。皆さんがみ旨を歩んでいること自体が、真の父母と一緒に居る一瞬一瞬の連続なのです。間違いなく一人一人の中に、私が出会った父母様が生きておられます。原理のみ言が話せない、上手に説明ができないと言って足踏みする必要はありません。私が出会ったご父母様を私の言葉で伝えれば良いのです。
クォバディスという有名な映画の中に、イエス様の弟子ペテロが出てきます。イエス様の十字架後、ペテロは漁師だったので何の学問もありませんでしたが、彼はイエス様と一緒に生きて直接に感じ取ったものを自分の言葉で真摯に伝えたのです。イエス様からどれほど愛された自分であったか。イエス様を裏切ってしまい、己の弱さに打ちひしがれていた自分を心配され、必要としてくれたイエス様の愛を証したのです。彼は生きたイエス様を伝えました。ペテロ以降、このことができるのは誰でしょうか?そうです、真の父母と一緒に生きた皆さんしかいません。
お父様は創立以前の内的教会史の中で語られました。『「誰が、私が愛したほどに神を愛してくれるだろうか。私が死んだ後に、誰が私の神をみてくれるだろうか。親孝行してくれるだろうか」とそれだけが心配なのです』。お父様は私達に氏族メシヤの称号を与え、お母様と共にどんな荒波もこえていけるよう、自叙伝を遺してくださいました。「夢は必ずかなう」と言われたお父様の言葉が、皆さん一人一人の心の中にも、息づいているのです。