Okinawa 沖縄 #2 Day 255 (01/01/24) 旧中城間切 中城村 (13) Aragaki Hamlet 新垣集落 (2)
旧中城間切 中城村 新垣集落 (あらがき、アラカチ)
- 当間道 (トーマミチ)
- 新垣バンタ
- 赤坂 (アカヒラ)
- マギバルモー(真木原毛)
- 屋号前東道小 (メーアガリドーグヮ) のサーターヤー
- ナガタサーターヤー
- マージグワー、クチャガーサーターヤー
- トゥムルバシ
- トゥムルバシのサーターヤー
- 新垣川 (アラカチガーラ)
- 弁川井戸 (ビンガ-ガ-)
- タキヌグチサーターヤー
- アブヌメーサーターヤー
- 島原 (シマバル) サーターヤー
- 屋号前東道 (メーアガリドー) の前の坂 (ヒラ)、屋号前東道のサーターヤー
- 中城サンヒルズタウン
昨日は新垣集落の中心部を巡った。昨日は時間がなく予定していたスポット全部は見学できていない。連日になるが、今日の天気なので再訪して残りのスポットを見ることにした。
新垣集落訪問ログ
旧中城間切 中城村 新垣集落 (あらがき、アラカチ)
当間道 (トーマミチ)
県道35号線で字新垣に入った所に中城湾の当間集落に降る道が残っている。主に北上原の人達が利用していたが、新垣の人々もこの道を利用した。戦前は屋宜にあった中城尋常高等小学校 (中城国民学校) への通学には、この北側にあった坊主小道 (ボージャーグヮーミチ、学校道) を使っていたが、戦後、小学校が一時期、当間に移った時にはこの道を使っていた。以前は石畳道だったが、現在はセメントの階段になっており最近まで利用されていた。
新垣バンタ
集落の東側のガッコウミチから中城ハンタ道に合流する道一帯は、当間・屋宜にかけて急斜面をなし、崖地帯になっていることから新垣バンタと呼ばれている。ハンタ沿いには琉球松がたくさん生えていたといわれている。
新垣のはんた 里の村やしが ぬがばたるはんた みるきだちゅさ
(新垣のハンタ(険しい崖)は恋人のいる村に行く道ではあるが、崖をのぞくと恐ろしい。
赤坂 (アカヒラ)
集落の北側、ハンタミチ沿いで、トゥンの階段を下りた付近から大きなカーブを通り、
屋号殿とぅに根の前までの坂道のことをいう。土の色が赤みがかっていたことが名前の由来といわれている。また、この坂道沿いには琉球松がたくさん生えていたといわれている。
マギバルモー(真木原毛)
集落の東側にあった新垣のカヤモー(茅毛)。新垣のカヤモーはマギバルモーのみで、急斜面地ではあるが約 1500 坪と広大な敷地であった。茅は家の屋根等の材料になり貴重なものだったため、カヤモーでは自由に茅を刈り取りできず、字の役員によって管理されていた。カヤモーを利用できるのは家の屋根の葺き替えをする人や、台風で家が壊れてしまった人で、あらかじめ区長に申し出て、字の役員で話し合いをした後に希望者に均等に割りあてられた。そのため、希望者が少なければ取り分が多かったが、多ければ取り分は少なかったという。また、マギバルモーの一角には病気で死んでしまった家畜を埋める場所もあった。
屋号前東道小 (メーアガリドーグヮ) のサーターヤー
公民館から県道35号線は宜野湾方面には下り坂になっている。県道を進むと、小字井原に入った所に屋号前東道小の近くにはカーラヤー (瓦屋) のサーターヤーが置かれていた場所がある。
ナガタサーターヤー
県道35号線を更に宜野湾方向に進むと、県道35号線を挟んだ道向かいにある空地にはカヤブチ (茅葺) のサー ターヤーが1軒あった。 この辺りはナガタ地名からナガタサーターヤーと呼ばれていた。
マージグワー、クチャガーサーターヤー
県道29号線は県道35号線に接続して先に訪れた公民館に伸びている。県道35号線の東側のポンプ場付近のからマージグゥーイシにかけての斜面地一帯はマージグワーと呼ばれ、一帯の最頂部にはマージグゥーイシと呼ばれた大岩がある。ポンプ場の近くはクチャガーという地域で、ここにあった個人所有のカヤブチ (茅葺) のサーターヤーははクチャガーサーターヤーと呼ばれていた。
トゥムルバシ
新垣川 (アラカチガーラ) 沿いを南に進むと県道291号線に交差する所にトゥムルバシと呼ばれた橋がかかっている。現在では新垣川 (アラカチガーラ) は普天間川、トゥムルバシは「あらかきばし」とよばれている。
トゥムルバシのサーターヤー
トゥムルバシ (新垣橋) を渡った左側に畑があり、戦前、その近くにはカヤブチ (茅葺) のサーターヤーが置かれていた。
新垣川 (アラカチガーラ)
新垣の西側の沖縄自動車道にほぼ沿った形で南北に流れる川が新垣川 (アラカチガーラ) になる。現在は普天間川 (フテンマガーラ) と呼ばれている。この未舗装の道を上流に向かって進む。
弁川井戸 (ビンガ-ガ-)
小字弁川原 (ビンガーバル) に弁川井戸 (ビンガ-ガ-) がある。戦前から湧水は出ており、戦後すぐの時に本格的に井戸として整備された。飲料水や洗濯用水として利用されていた。新垣集落内には水が出る井戸を持っている家庭が少なかったため、近くて歩きやすい道のビンガーガーに水を汲みに行く家庭も多かったという。
タキヌグチサーターヤー
字新垣の北側、小字稲乾原 (イニフスバル) と杭地原 (クィーズバル) の境目付近はタキノクチと呼ばれる地域で、かつてはカヤブチ (茅葺) サーターヤーが置かれていた。その地名にちなんでタキヌグチサーターヤーと呼ばれていた。
アブヌメーサーターヤー
タキノクチの北の小字稲乾原 (イニフスバル) と島原 (シマバル) の境界線付近にもカヤブチ (茅葺) サーターヤーが置かれていた。屋号前ヌ上東道 (メーヌイーアガリドー)、新東新地 (ミーアガリミージ)、新屋伊保 (ミーヤイーフ) が使用していた。
シマバルサーターヤー
小字島原 (シマバル) には個人所有のサーターヤーが置かれ、この場所の地名からシマバルサーターヤーと呼ばれていた。
屋号前東道 (メーアガリドー) の前の坂 (ヒラ)、屋号前東道のサーターヤー
字新垣の北側、現在の沖縄自動車道を越え西方向の宜野湾市の野嵩、普天間への道があった。屋号前東道屋敷の前を通っていたことから、屋号前東道 (メーアガリドー) の前の坂 (ヒラ) と呼ばれていた。以前は新垣の人たちはここを通り、普天間まで野菜を売りに行っていたという。現在は通る人もなく山道になっており、通行は難しくなっている。
中城サンヒルズタウン
1993年 (平成5年) に字新垣の北の端の下川原と岡武座原と字登又にまたがって中城サンヒルズタウンの住宅地が開発されている。新垣集落の人口は戦前に比べて減少しているのだが、戦前には民家などなかったこの場所に開発された中城サンヒルズタウンで字新垣の人口は大きく増加に転じている。2009年 (平成21年) の中城サンヒルズタウンの人口 (字新垣と字登又) は 536人 (208戸) とサンヒルズタウンを除く字新垣の人口を上回っている。新垣山に向かって緩やかな坂道が伸びて、その両側に戸建て住宅が広がっている。
今日は正月なので、所々に本土から帰省した人たちなのだろう、小さな子供連れ家族を見かけた。
参考文献
- 中城村史 第1巻 通史編 (1994 中城村史編集委員会)
- 中城村の文化財 第5集 中城村の拝所 (2004 中城村教育委員会)
- 中城村地域散策 (中城村教育委員会)
- 戦前の中城 (2022 中城村教育委員会生涯学習課)
- 中城村 戦前の集落 シリーズ 7 新垣 (2016 中城村教育委員会)
- ガイドブック 中城村の戦争遺跡 (2020 中城村教育委員会生涯学習課)
- 百年の軌跡 (2009 中城村役場企画課)