小説ネタ
今考えてみればおかしい兆候は充分にあった
自民族中心主義的な発言、弱者を無視した発言
そういったものは、過激であったが、確かにどこか納得が出来る
耳触りの良い謳い文句だった
2000年に入ってからの日本は、リーマンショックを経験して、いくつかのバブルを経験した
それらは日本だけでは無く、世界全土に広がって、世界全土を経済的に八方塞がりにした
不景気
景気の停滞である
市民は給料が上がらず、上る見込みもない状況で将来を憂いながら、普段の生活をするのが限界であった
普段の生活は娯楽も少なく、寝て、起きて、食事をするので精一杯であった
ほとんどの時間は労働に搾取されて、慢性的に疲労困憊であった
洗脳をするには、まず対象を徹底的に攻撃し、暴力し、食事を与えず、睡眠を奪い、自分の頭でものを考えることを出来なくさせる
その上で、こちらの主張を徹底的に叩き込む
そうするとそいつは判断力がないため、その考え方が頭の中にするすると入っていく
昔、麻原彰晃がオウム真理教でやっていた手だ
慢性的に疲労した状態は脳のシステム1を機能させない
システム1は理性的な自我であり、自意識である
これが作動しないと、人間はシステム2、つまり今までの経験を元にしたり、反射的な考えで行動して、いわゆる思慮深い行動ができなくなる
朝から晩まで働いて、食事も貧しく炭水化物が中心で、睡眠の時間も短くなっていく
人という動物が壊れるのは自明だった
多くの人はうつ病になり、その後の経済を更に悪化させた
また、炭水化物の増加は肥満、生活習慣病を増大させて、糖尿病、高血圧、脂質異常症を増加させて、医療費の圧迫を増加させて、経済は更に悪化した
労働力は少子化に伴い減少し、労働人口はついに100万人単位で減るのが計算上明らかになった
政府はこの計算が出来上がった時からこのデータを逆手にとった
労働人口の減少による、求人の増加を、政府の政策のおかげで、求人数が増えたと報道するようになった
老人が貧しく、若者も貧しく、誰も彼も貧しい国で結婚をして、子供を作りたいと思う者が一体どれほどいるだろうか?
少子化は更に激化していき、高齢化社会に拍車がかかっていった
政府はこの状態を打開するには医療費を上げて、消費税をあげることにした
この消費税が決定的に経済の悪化を招いたのは過去の消費税導入や上昇後の経済状況を分析、及び、データの見れる人間には誰にでも理解できた状況だ
これにより、日本の経済は決定的に悪化、さらに労働条件の悪化、賃金が低くなることによって、国民は集団マインドコントロールが出来る状態になっていた
このスパイラルに陥った時にインターネット、テレビで娯楽として受け入れられたのが、他民族への排他的な情報、自民族中心主義的な情報である
テレビ、インターネットはヒトラーが涎をたらすほどの効果的なプロパガンダのツールである
政府の情報を一般人に精査する時間も体力も気力も技術もない
政府主導による情報の拡散は大衆に大いに受け入れられた
これらは一服の清涼剤となって、我々に心地よい時間と思想を植え付けるのにもってこいであった
日本の労働人口の激減に対して、政府は労働条件の向上ではなく、他民族、つまり移民を使って、労働力に当てた
この方法はその場しのぎの方法であるが、確かに労働人口は増えた
しかし、労働条件が悪化している日本人には恨みつらみの種ともなった
自分たちが働けないのにもかかわらず、外国人はのさばって働いてる
多くの日本人はこれに反感を覚えて、右翼的な発言、思想がのさばるようになった
そういう状況になると更に右翼的な政府は思う壺だった
なにせ、状況が悪化すればするほど、自分達に有利な選挙結果になるからだ
政府はこれにより、国民からの搾取を堂々と行い、更にエスカレートさせていった
これによって、日本にもいつしか、知らないうちに、戦前の日本とナチス・ドイツの台頭の頃と同じ土壌が出来ていた
そのせいで俺は今戦場にいる
なぜこんな世界になってしまったのだろうか?
俺は普通に生活していた大学生だ
専攻は哲学
この間まで何も、そう何もかもが普通だったのにもかかわらずだ
俺はいきなり赤紙が来て、知らないうちに名前まで失った
何月何日何時、〇〇駅の何番ホームに来い
指令はこれだけだった
持ち物も特に明記されてなかった
電車に満員に乗せられた俺たちは、気づいたら遠くまで運ばれていた
そこに俺たちは並ばされて、全ての荷物を没収された
一時的に預かるという名目でだ
もちろん、反抗した人間もいたが、必要なものは全て軍から支給されると言われて、抵抗したものはことごとく袋叩きにされた
圧倒的な暴力の前に、普通の民間人が何か太刀打ちすることが出来なかった
普通の人間は護身術とか言って何かを習うとか考えるが、相手を一方的に打ちのめす暴力の前には小手先の技術は全く役に立たない
ボクサーとヤクザが喧嘩になっても、喧嘩というフィールドではヤクザの圧勝である
僕らは恐怖に支配されて、全ての持ち物を没収された
そして、名前も剥奪された
それ以後の数年間、僕は番号で呼ばれることになった
想像してほしい
昨日まで学生だったのに、次の瞬間に身ぐるみ剥がされて、名前も奪われる苦痛を
僕らはそのあと大きな建物に入れられた
昔、小学校とかの時に健康診断を体育館とかでやった
こっちに並んで身長を測って、こっちに並んで体重を測る
そんな具合だ
その流れの中で僕らは肛門の中に指まで突っ込まれて、全身の隅から隅まで検査された
そして、髪の毛も皆坊主にされた
バリカンで数分で皆五厘刈りだ
そして、建物を抜けると荷物を渡された
使い古した服と靴
これだけが支給品だった
僕らはその後数ヶ月、みっちりしごかれた