ニューイヤーにはまだ遠い
12月31日、一年の終わり。
改革を目指す志を抱えているためか、始まりには執着しても終わりにはあまり頓着しないのがモリアーティ家の三兄弟だ。
大晦日であろうと普段と変わらない一日を過ごし、普段と似たような夕食を済ませた。
少し前に祝ったクリスマスの方がよほど豪勢であったし、普段との違いを無理矢理に見つけるのであれば、食後の紅茶に角砂糖が一つ多く入っていたことくらいだろうか。
末のルイスが「消費してしまいたくて」とそれぞれの紅茶に角砂糖を多めに入れていたおかげで、冷え込みが強い年の瀬の夜も甘く穏やかな気持ちになった。
「もう遅くなりましたね。そろそろ休みましょうか」
「はい。時計とランプの用意も出来ています」
「さすがだな、ルイス。では行こうか」
甘い食後茶を飲みながらしばしの歓談をしていると、徹夜の常習犯でもあるウィリアムから就寝の合図がかかる。
今日と普段との一番の違いはウィリアムの生活スタイルだろうとアルバートもルイスも思うが、口には出さない。
素直にウィリアムに続いてリビングを出て、一番広いベッドを有しているアルバートの部屋へと向かっていった。
「ウィリアム、ルイス。早くベッドにお入り」
「失礼します」
「お二人とも、時計とランプはベッドヘッドに置いておきますね」
部屋の中央に位置しているアルバートのベッドは両サイド共に空いている。
左右のどちらからでもベッドに入り込めるため、身動きが取りにくくなるとはいえ、中央を陣取る人間が一番温かい環境にいられることになる。
その環境を手にするのは決まってルイスだった。
病が完治し、背が伸びたとはいえ、ルイスの体温はウィリアムよりもアルバートよりもずっと低い。
冷えた場所に長くいればますます体が冷たくなってしまうというのに、ルイス本人にその自覚がないのだから、彼に過保護な兄達が気を配らなければならないのだ。
温かい環境で過ごさせなければならないという使命感が半分、自立しているようで自立出来ていない甘え下手な末っ子を構いたい兄心が半分。
そんな兄達の気持ちを知ってか知らずか、ルイスは促されるままベッドの真ん中に潜り込んだ。
奥からウィリアム、ルイス、そしてアルバートの順でベッドに並べば、ルイスはいそいそと持参していた物をベッド近くに置いていた。
「ルイス、今の時間は?」
「二十二時半です」
「新年まであと一時間半か…」
大晦日の二十二時半なのだから、日付が変わった瞬間から新しい一年の始まりである。
何をするわけでもないけれど、その時間を家族と共に過ごし迎えたいという人並みの欲求を叶えるため、三兄弟は決まって大晦日の夜は揃ってベッドに入るのだ。
そして最後、かつ最初の戯れとして、三人だけの遊びをする。
「今年は誰だろうね」
心許ないランプの明かりがベッド周辺のみを照らす中、ウィリアムが微笑みながら二人へ尋ねる。
三人は初めて兄弟になったその年から、時計を見ずに日付が変わったかどうかを当てるという他愛もない遊びをしているのだ。
初めて遊んだのは、ルイスがアルバートを兄と呼ぶことに慣れてきた頃だった。
孤児であったためか新年への概念が薄いウィリアムとルイス、周囲から浮いていたために新年に何の感想も抱いていなかったアルバートは、せっかくなのだから、と夜更かしをして年越しの瞬間を共に過ごそうと計画したのだ。
アルバートの提案に思いの外食いつきが良かったのはルイスで、見てすぐ分かるほどにワクワクそわそわしていた。
何かを楽しみにする機会が極端に少なかったのと、家族三人で過ごせるチャンスが嬉しかったのだろう。
もう新年ですか兄さん、そろそろ新年ですよね兄様、良い加減に新年になったはずです、時計を見なくては、と細かく尋ねてくるルイスが愉快で、それならばいっそ時計を隠して体内時計だけで新年を迎えてみよう、という遊びが生まれたのだ。
ルールは簡単で、見えない位置に時計を置いた状態で部屋を暗くし、新年までの時間をベッドに潜り込みながらただひたすらにのんびり話をして過ごす。
そうして新年だと思ったタイミングで一人時計を見て、まだであれば残りの人間が新年を当てるまで時計を隠し、最も新年に近い時間を当てた人間が勝利というだけのものだった。
「流石にウィリアムの首位は奪還したいところだね」
「えぇ。今年こそは僕が一位を取ります」
「ふふ、僕も負けるつもりはありませんよ」
三兄弟の中で、体内時計が最も正確なのはウィリアムらしい。
ウィリアムが余裕の表情を浮かべているのと同じくらいに笑みを見せるアルバートと、薄暗い中でも気合いの入りようがよく分かるルイスは、過去の一度もこの遊びにおいてウィリアムに勝てていなかった。
三人が兄弟になった年から始まったこの遊びは、今までずっとウィリアムの単勝なのである。
おそらくは徹夜が習慣になっているせいで染み付いてしまった悪癖なのだろうと予想は付けているが、言及したところで何も変わらないとアルバートは諦めており、ルイスは時折口に出すがやっぱり彼の行動は変わらなかった。
ウィリアムの次点はアルバートで、あらゆる感覚が正常かつ判断が的確であるためか、ウィリアムとは数分の僅差で新年を当てている。
ゆえに、万年最下位なのはルイスだった。
彼の場合は気質的にやや短気というか、いわゆるせっかちなタイプのようで、「もう時間が経った」という感覚があまりに短いのである。
食事を作る際にはきちんと時計を確認しているから失敗はない。
だが、時計がないのであれば感覚的に「もう十分だろう」と考えてしまうらしいのだ。
初めて遊んだときには一時間も前の時間を「新年ですね!」と宣言していたし、それから何度も年越しの瞬間を迎えて改善はしているけれど、去年ですら二十分も早く新年を宣言していた。
自信満々に「0時になりました!」と時計を見やり、「まだでした…」としょんぼりしながらベッドに戻る姿はモリアーティ家における年末最後の風物詩と言って良い。
「では、もう時計は置いてしまいますからね。ちなみに今は二十二時四十分です」
万年最下位のルイスは最後にしっかり時間を確認して、そろそろとウィリアムとアルバートの間に戻っていった。
両サイドに兄達を構え、厚い羽毛布団に身を包む。
寒さなど感じない空間の中、三人は今年一年をのんびりと振り返っていた。
「今年も色々なことがありましたね。僕としては三人でオペラを観に行けたのが良い思い出になっています」
「あれは素晴らしい曲目と歌声だったな。遠出して行ったというのも良かった。また来年もどこか旅行がてら行こうか」
「良いですね。次は美術館や博物館へ行くのも面白そうです」
「美術館か、興味深いね」
「芸術に浸る一年というのも悪くない。ルイスは何か見たい絵画や彫刻があるのかい?」
「いえ、特には」
ありません、と声に出さずともきっぱり否定するルイスは実にルイスらしい。
提案した割にあまり芸術分野には明るくないようで、楽器演奏の良し悪しも分からなければ彫刻の細工についても疎い。
けれど素晴らしい芸術で満たされている厳かな空間はすきなようで、それはもう真剣に美術品をじっくり見ているのだ。
目的を持って見るのではなく、興味を持つために見るのだろう。
そんなルイスを邪魔しないよう、ウィリアムとアルバートは己が持つ知識を丁寧に教えていくのが常だった。
「絵画や彫刻については兄さんと兄様が教えてくださると嬉しいです」
ルイスにとっての認識も同様で、兄に教えてもらうことが彼にとっての普通だった。
知らないことでもウィリアムとアルバートがいればきっと興味を持てるし、その分だけルイスが持つ知識は深まる。
自分が持つものは全て兄由来が良いのだと無自覚な欲が出ている弟に、兄としての自尊心が満たされていく。
ウィリアムとアルバートはすぐ隣にいるルイスの体を左右から抱きしめた。
「勿論だよ、ルイス。絵画でも彫刻でも剥製でも、僕が何でも教えてあげるから」
「早速来年の旅行計画を立てなければならないな。行きたい地方があればスケジュールに組み込むから早めに教えてくれ」
「お願いします」
左右からぎゅうぎゅうと抱きしめられても困る様子はなく、けれど少しだけ照れくさそうな様子でルイスは目を閉じた。
今年は穏やかな一年だったと思う。
来年も同じように心穏やかな日々が一日でも長く続いてほしいと思う反面、目指す理想のためには動き出さなければならない時期になる。
せめて最後の最後まで兄達と共にいられれば良いのにと、ルイスがそう考えてしばらくした頃。
閉じていた瞳をカッと見開いたルイスは、左右からの抱擁を振り切る勢いでベッドから起き上がった。
「る、ルイス?」
「どうかしたのか?」
薄明かりだけの空間で、目を鳴らすためなのだろう、ルイスは上下左右を見ては目を凝らしていた。
可愛い末っ子による突然の奇行にぼんやり感じていた眠気も一気に覚め、ウィリアムとアルバートは彼と同じように目を見開いては瞬いている。
三者三様に思うところはあれど、原因であるルイスがどう動くかが重要だ。
お互いの出方を探っていたために、寝室ではしばらくの無音が続いていた。
「…時間です」
その無音を破ったのはやはりルイスで、大きく息を吸い込んだ割には小さな声が辺りに響いた。
「え?」
「時間…?」
突然の奇行と突然の発言に着いていけていない兄達を待つこともなく、ルイスは後ろを振り返っては軽く半身を持ち上げたまま毛布に包まっている彼らを見た。
「時間です!ニューイヤーですよ!」
「…あぁ、0時か」
「もうそんな時間だったか?…いや、まだでは」
「そんなはずありません、今がニューイヤーです!」
そういえば年に一度きりの遊びをしていたのだと、気合いの入ったルイスを見上げて思い出す。
先程まで兄弟の絆を深めるべく仲良く抱き合っていたというのに、和やかな雰囲気を一気に壊していくルイスはあまりにもルイスらしかった。
だがルイスにしてみれば今までずっと負けっぱなし、万年最下位の立場なのだ。
ここらで勝たなければ男が廃る。
内容はともかくとして、勝負に負けてばかりというのはモリアーティ家の人間としてあってはいけないことだと、ルイスはそう認識しているのだ。
兄弟の親睦を深めていた中でもきちんと体内時計は機能していたのである。
ただし、その体内時計が正確という保証はない。
「良いですか、時計を見ますよ」
「構わないよ。僕はまだ先だと思うけど」
「私もまだ年は明けていない方に賭けよう」
「ふ…お二人とも、今年こそ僕の一人勝ちです」
ルイスは自信満々な様子でベッドヘッドに置いていた時計を手に持った。
そんな弟を見てウィリアムとアルバートもきちんとベッドに座り直し、その時計が指し示す時刻が目に入らないようルイスの表情だけを見る。
珍しくも口元に笑みを浮かべたルイスは勝利を意識しているのか、何故か時計を掲げては下から見上げていた。
「いざ!」
少し前に日本という島国の本を紹介した影響なのか、英国では聞かない勢いばかりの単語を口にしたルイスだが、その自信満々な様子はすぐさま変わっていった。
「……」
「……」
「……」
「…………」
「…まだ、今年だったんだね」
「…………はい…」
「では、今年も私とウィリアムの一騎打ちかな」
「………………はい…」
時計を掲げていた腕は段々と下がり、合わせてその肩も分かりやすく落ちている。
しょんぼり、といった効果音を背負いながら、あからさまに気落ちしたルイスは慰めるに慰められなかった。
本音を言えば可愛くて仕方ないのだが、それを言えばますます気を悪くさせてしまうだろう。
かと言って、下手に慰めればルイスのプライドに障ってしまう。
もうこれ以上は触れずにどちらが勝利かを決めるべきだと、ウィリアムとアルバートは互いに目を合わせては頷いた。
ルイスを憐れみつつも愛おしいという表情だけはどうにも隠せてはいなかったが、俯いている弟と空間の薄暗さに救われる。
ウィリアムとアルバートはベッドに潜り込んでからの体感時間から逆算して新年までのカウントダウンと始め、結局ルイスは風物詩通り一人しょぼくれたまま新年を迎えることになった。
(結局今年もウィリアムの勝ちか。さすが正確な時計を持っているようだな、ウィル)
(それほどでも。ですが、今年はギリギリでしたね。アルバート兄さんとは数秒しか違いませんでしたし、次も気を抜けません)
(…さすがお二人ですね、兄さん兄様)
(ルイスも去年より良かったじゃないか。十分ほどだったんだろう?誤差の範囲さ)
(今度はきっと良い勝負が出来るよ)
(…それはつまり、今回も今までも勝負にはなっていなかったと)
(え、そんなつもりはないよ、ルイス)
(ウィル、もう少し言葉に配慮を持ちなさい)
(良いんです、兄様。兄さんの言う通り、僕がまだまだ未熟なんです。もっと精進しなければいけないんです。甘やかさないでください)