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いちいち反応しないための練習

2024.10.07 04:39

Facebook船木 威徳·さん投稿記事【 いちいち反応しないための練習 】

せっかく新しい年を迎えても新型感染症の拡大とそれに関する社会の問題がメディアやネット、特にSNSを賑わせています。

なんらかのできごと、ひとつの事実があり、それについての誰かの個人的な意見、感情や

他者の対応についての批判などが記されることが多いと思います。そこで、ある問題が生じるのです。「感情をめぐる悩み」です。

心の動揺が感情であり、そこに生まれる悩みです。例えば、「政府が新型感染症の拡大を予防するために特定の業種を中心に、~時までに店を閉めるよう、一般のひとたちも外出を控えるよう指示する」というひとつのできごとが起こると、それを聞いた人の立場や居住地、年齢、職業や政治に関する思想、原因となった感染症に関する知識、経済面で普段かかえている問題などによって、まったくバラバラの感情を持つのはあたりまえのことです。

自らの意見、考えにともなう「感情」です。

腹が立つ くやしい どうしたらいいのだ 許せない などという感情もあれば

うれしい 安心だ 信頼できる 期待できるという感情をもつ人もいるわけです。

私が何度か読んでいる本の著者によるとこの「感情をめぐる悩み」を整理するためには、

悩みを2つに分ける必要があると言うのです。

ひとつは「感情そのもの」の問題で、対応として 不快いな感情が生まれるのを防ぐ、わいてしまった感情は早めにリセット(解消)することが必要であり、もうひとつは「関わり」の問題であって、相手とどう関わるかを考える必要があるのです。実は、多くの人が、私もそうでしたが、この2つをごちゃまぜにしているのです。

「腹が立った」(怒りという感情が湧いた)ときにはもう一瞬のうちに相手への反応、つまり「あいつがこう言ったじゃないか」「あの人はこんなことをした」という思いでいっぱいになります。あとは、怒りの感情と「自分が正しい」「相手はこうすべき」という判断をぶつけ合うだけの終わりの見えない闘い(悩み)に突入してしまいます。

結局のところ、職場であれ、学校やSNS上でも「人間関係が悩みの種だ」と言いますが、これは著者の考えに照らせば不正確だと言うのです。

というのも「感情に悩まされている」ということと「相手にどう関わればいいか」は別の問題だからです。

いったん、

●「感情」という自分の側の問題と●「相手との関わり方」を分けて考え、まずは、「感情」についての解決策を学びたいと思います。

「ムダな感情が生まれるのを防ぐ」上で一番重要なのは、最初から「反応しない」という前提にたつことです。こんなエピソードがあります。

~ブッダは、その名の通り「目覚めた人」として、当時のインドで日増しに有名になっていきました。何百人もの弟子を抱える高名なバラモンでさえ、ブッダの弟子になる者たちが出てきました。

インドでは現在でもカーストが絶対的な意味を持っていますが、ブッダのカーストはバラモン(司祭階級)よりも下のクシャトリア(武士階級)でした。

そのブッダに、最上位のカーストのバラモンが弟子入りするというのは、当時は非常にショッキングな事件だったわけです。

あるとき、ひとりのバラモンが、自分と同じ姓を持つバラモンがブッダの弟子になったと聞きました。

プライドの高いバラモンには、これは許せないことでした。ものすごい剣幕でブッダのもとに押しかけ、弟子や訪問者たちが大勢いる眼の前で、ことばの限りを尽くしてブッダに誹謗中傷を浴びせました。

あたりには並ならぬ緊迫が走りました。ところがブッダは、静かに、こう返したのです。

「バラモンよ、あなたが自宅でふるまったごちそうを客人が食べなかったら、それは誰のものになるか?」

質問されれば、答えざるを得ません。バラモンは「それは当然、私のものになる」と答えました。「あなたは、その食事をどうなさるか?」「それは自分で食べるだろう」とバラモンは答えました。

すると、ブッダはこう言ったのです。「もし、罵る者に罵りを、怒る者に怒りを、言い争う者に言い争いを返したならば、その人は相手からの食事を受け取り、同じものを食べたことになる。私はあなたの差し出すものを受け取らない。あなたのことばは、あなただけのものになる。そのまま持って帰るがよい。

(罵倒するバラモンとの対峙 サンユッタ・ニカーヤ)

ここでいう「食事」とはバラモンがぶつけてきた非難のことばです。もし、相手のことばに反応して言い返すなら自分も同じ反応をした~食べた~ことになってしまう。だから決して受け取らない。つまり「反応しない」というのです。

苦しみのない心を人生の目的とする以上、反応して心を乱されることが無意味だと、はっきり知っていたからでしょう。どのようなときも、決して反応せず、ただ相手を見据えて、理解するのみ、という立場に徹していたわけです。

このブッダの合理的な態度から学べるのは「反応しないことが最高の勝利である」という理解です。

もうひとつ、このエピソードから学べることがあります。

「相手の反応は相手に委ねる」という考え方です。

このバラモンには「自分の方が上のカーストだ」という傲慢と、名を知られたブッダへの嫉妬と、「この男を打ち負かせてやろう」あるいは、「自分のコントロール(支配)下にあるのだと思い知らせてやりたい」という思いがあったはずです。

これらは、職場や学校の人間関係にも親子や夫婦、友人関係でも頻繁に見られます。

これに対して、普通なら「なんて失礼な」「それは違う間違っている」「そういうおまえこそなんだ」と言い返したくなるところでしょう。人間同士の喧嘩にはどちらにも「正しい」(と本人は思っている)言い分があります。その言い分を押し通して、自分の正しさを確認する、というのが言い争うときの心理です。

しかし、先のブッダは違う考えをすると言うのです。

まず、「正しさ」は、人それぞれに違うものだと理解します。「正しい」という判断は、本人にとっては間違いなく「正しい」のですから、相手の言い分は否定はしません。「私の方が正しいのだから、分かったか?」という説得もしないのです。「あなたにとっては、それが正しいのですね」と、ただ、理解するだけです。

「そうは言っても、白黒つけないといけないときもある」と思うかも知れませんが、それは次回取り上げる、「相手との関わり方」の問題です。ここでは、まず「反応しない」心の作り方を考えましょう。

そもそも人は、持っている脳が違います。ですから、同じできごと、同じ事実を見ても考え方が異なるのは当然のことです。人は、「相手は自分と同じ考えのはず(同じ考えを持てるはず)」と、心のどこかで思っているものですが、この期待・思い込みは、残念ながら「妄想」でしかありません。

その上、「自分は正しい」という思いには、「慢」(自分を認めさせようという欲)も、常に働いています。

ですから異なる意見をぶつけられると、自分自身が否定された気がして、怒りで反応してしまうのです。

実際、自信がない人ほど怒りやすいのです。

こうした精神状態は、妄想と慢という「非合理な発想」にとらわれた状態です。リセットして「正しい理解」に立ってみましょう。それは「相手の反応と、自分の反応とは、まったくの別物なのだ」という理解です。

●相手と自分の反応を分けて考える。

●相手の反応は、相手に委ねる。

・・・これが、人間関係で悩まないための基本だと説かれていますし、私もまったくそう思います。

いかがでしょうか?特にSNS上で繰り広げられるさまざまな事実についての「正しさ」についての言い争い、「~論」の真偽の論じあい、果ては、覚醒している、していない、などという「知識」の押しつけあい・・・は実にこっけいな「妄想」に原因があるのかも知れないという気がしてきませんか。

先に述べた「相手との関わり方」については次回、詳しくお話しします。

おそらく明日、1月6日、日本時間では7日には米国・上下院議会の大統領指名に

関する話題で持ちきりになるでしょう。

単なる話し合いなら良いのですが、世界は各地で明らかな戦争の準備を進めているようです。

いまいちど、「反応しない」ことを考えるよい機会なのではないでしょうか?

参考にしたのは「反応しない練習」(草薙龍瞬・KADOKAWA刊)です。

~王子北口内科クリニック院長・ふなきたけのり