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マインドコントロール

2024.10.07 04:43

Facebook山地 弘純さん投稿記事 【新年法話1】

 昨今、強引な勧誘、高額献金の強要、マインドコントロール、同調圧力、脱会しようとする者への脅迫や嫌がらせ等、カルト宗教による問題が顕在化しています。

 安倍晋三元首相の銃撃暗殺事件から霊感商法による深刻な被害が浮き彫りになった「統一教会」。

 信者の9割が打ちに鞭打ちよる児童体罰を受けていたという報告書が提出された「エホバの証人」。

 その他にも、まだまだ多くの宗教が問題を隠していると思われます。

 さらに過去に遡ると、地下鉄サリン事件で世間を騒がせた「オウム真理教」もありました。

 実は私も自分で理解しきれない仏教の語句をインターネットで検索していた時、たどり着いたのが元オウム真理教幹部の上祐史浩氏のホームページでした。

 とてもわかりやすく、且つ真理を突き詰めるストイックな姿勢の文章に思わず引き込まれてしまった記憶があります。

 多分、オウム真理教だけでなく、どの宗教教団の教えも論理的に素晴らしいものであることが想像できます。

 人々の心の苦しみや痛みを取り除くための納得できる回答がしっかりと整備されているはずです。

 とはいえ教えでは心を解放すると言いながら、逆に支配していくという矛盾した事が巧妙に行われているのが実態です。

 日本脱カルト協会によると「カルト団体」をこう定義しています。

 「カルトは人権侵害の組織です。組織に依存させて活動させるために、個人の自由を極端に制限します。つまり、全体主義的集団です。

 そして、

①各メンバーの私生活を剥奪する。

②集団活動の中に埋没させる。

③メンバーからの批判はもちろんのこと外部からの批判も封鎖する。

④組織やリーダーへの絶対服従を強いる。

といった特徴がみられますが、これらの特徴は表面的には隠されていますので、集団の外部から見ても区別がつかないことがふつうです。

 カルトは、こうした人権侵害の正体を隠すためにマインドコントロールを用いることが多いです。

 つまり心理操作のことですが、基本的に情報を操作して、個人の抱く

①自己観

②理想とする自分、家庭、社会、世界の見方

③人生の目標

④非科学的な自然や宇宙の因果法則や歴史観

⑤善悪や正誤の基準となる情報源

などが歪められて、今の社会を否定して見きってしまうように仕向けられます。」

 ではどのように一般の人を勧誘してくるのでしょうか。

「コンサートに参加しませんか」「パーティーをやるんですけど参加しませんか」

「ボランティア活動を一緒にしませんか」「自分を変えるセミナーに参加しませんか」

そのような誘い文句を入口に、一人でいる人をターゲットに断りにくい雰囲気を作って引き込んでくるというのです。

 またどのような時に勧誘してくるのかも知っておくといいでしょう。 ある方が供養で来寺された時に教えて下さったことがあります。

「そういう奴らは人が弱ってる時を狙って来るんですよ。病気になってしまった時とか事業に失敗した時とか。私がお店がうまくいかなくて畳んだ時にもすぐに嗅ぎつけて勧誘にやってきました。なんとか押し返しましたが、メンタルが弱っていた時だったので、フラっと流されそうな感覚になりました。」

 また別の方もおっしゃいました。

「目の調子がすごく悪くなった時に、某新興宗教の幹部の人が来て、正しい宗教を信仰していないからこうなるんだ。あんなお寺だかなんだかいうもんを信仰しとるからそんなことになるんだ!って言われたんです。」

 では昔からある仏教や神道などの宗教なら大丈夫かというと一概にそうとは言えません。住職や神主などの指導者がカルト的な性格を持っている場合には同じです。

そう考えると、やはり大切なのは人と人との一対一の関係性なのだと思います。

 風通しがよく、対等な関係性の中で話ができて、あなたの思いを潰さず聴いてくれる存在。

 もちろんそこに他宗への攻撃的な雰囲気もなく、お説教臭くもない人。

 どうか皆さんそういう人とご縁を結んで下さい。

 では、どういう方がカルトにハマりやすいのでしょうか。

 人生は選択と決断の連続です。そのたびに人は迷い悩み、満足したり後悔したりします。

 その決断はどれだけ決め難くても、自分が責任を取らなければならないのです。

 しかしカルトでは「与えられる正しい答え」によって、決断の責任を自分で取らなくてもよくなるのだそうです。

 自分の人生の決断を他人に明け渡してしまいがちな人、絶対的な正しさへの憧れが強い人、そういう人はどうかカルトにお気を付け下さい。

「誘惑っていうやつは、どこかでそれを待っている人にやってくるもんだ」っていうのも心に留めておくといいでしょう。

 最後にお釈迦様の言葉を贈ります。

「自らを灯火とせよ。法を灯火とせよ」

(自らの人生の選択決断の責任は自らが取りましょう。自らの決断の上で、教えと照らし合わせながら進みましょう。)

 あくまでも自灯明が先に立ち、教えがあなたの決断を奪うものであってはならないのです。 合掌

※スピリチュアルの世界も、セラピーの世界も、ネットワークビジネスの世界も一緒です。気をつけて!


新年法話2

『般若心経セラピー ~執着を空(ゼロ)に還す~』

 「苦を抜き楽を与える教え」として伝えられてきたのが『般若心経』です。

 今日はその般若心経がどのような素晴らしいお経なのか、そしてどう使えるかということをお話したいと思います。

 十五年ほど前のことでしょうか。檀家のおじいちゃんから「副住さん、ぜひ般若心経を講義してください」と言われた際、「今の段階では自分自身も理解できていないので勘弁してください」とお断りをした過去があります。

 いつかその心髄を語れるようになりたいと思いながらここまできました。

 そして今自分自身が心の相談や、スピリチュアルなケアをする中で、ようやく般若心経の内容をリアルに生かし、その悩みを読み解けるようになってきたと感じています。

 般若心経の中では「空(くう)」という言葉がたくさんでてきますが、これは数学でいう「ゼロ」のことです。

 「五蘊皆空」という一節を意訳すると「所詮あなたの思い込みがあるだけですよ」と訳すことができると思いますし、その苦しみを生む自分の価値観や固定観念の蓋の下にある感情を味わい昇華し、思い込みをゼロに還していくことが、般若心経セラピーの醍醐味です。

 そうやっていくつかの相談を受けていたわけですが、ある女性とのお話がとてもわかりやすい例になると思いますので紹介したいと思います。

 仕事上の愚痴が聞いてほしいということで、彼女は職場の同僚との関係性を中心に起こった出来事やそこで感じた自分の腹立たしさなどをいろいろと話してくれました。

 そこで私なりに話のポイントを整理すると、「感情的になるのはやめるべきだ。」

「 感情を態度に出してはダメだ。」「 すぐ泣いて自分を被害者にするのは許せない。」

「 子供みたいにして大人気ない人はほんと大嫌い。」という怒りの発火スイッチが浮かび上がってきたのです。 これが他者を通じて自分の内側から浮かび上がった「こうあらねば」「こうあるべき」という執着です。

 私はわざとその逆のことを言ってみました。「感情的になってもいいじゃない。」

「感情を態度に出してもいいじゃない。」「すぐ泣いて自分を被害者にしてもいいじゃない。」「子供みたいにして大人気ないふるまいをしてもいいじゃない。」

 すると彼女は「え~、それは許せない」と言いました。

「その許せないって思いはどこから来るんだろう」と尋ねているうちに、いつしか彼女はぽつりと大切な過去の思い出を語り始めました。

 お父さんの虐待。 いっぱいいっぱいなぐられまくったこと。

 それでもお父さんもいろいろあってかわいそうだからって自分がそれを無表情で受け入れてきたこと。お母さんはすぐ泣いて被害者ぶっていてそれが嫌だったこと。

 どうやら子供のころから大人びていて、他者への共感力が高く、自分の思いよりお父さんの思いを大切に生きてきたのだということが想像できました。

 「そっか、その同僚の女性はあなたの真の望みを教えてくれたのかもしれないね」と私は彼女に伝えました。「自分がやりたいのに抑圧しているから、他者がそれをやっている姿を見ると、うらやましくて腹立たしくなっているのかも。」執着は本心の上にかぶせている蓋なんですね。「こうせねば」というねばねばの感情を「納豆感情」と言うそうですが、蓋をしたままだと本心が発酵して「ねばねば」が他者をも絡めとろうとしてしまうのかもしれません。

「ほんとはかなしかったんだよ~。」「ほんとはそれを態度に出したかったんだよ~。」

「ほんとはお父さんのせいでってすぐ泣いて言いたかったんだよ~。」

「ほんとは大人ぶっていたけど、子供らしく表現したかったんだよ~。」

 そんな彼女の心の奥からの叫びが聞こえるような気がしました。

 「泣くことを我慢して感情を凍らせることで心を守ってきたんだろうね。悲しいって表現したかった、お父さんのせいだって泣きたかったっていうのが、本当にやりたかったのに抑圧してしまったことじゃないかな」私はそう彼女に語りかけました。

「そうか。やっぱりこの時のことがまだ影響してるんだ。傷ついてないし、過去はもう癒せてるって思ったけど違ったのかな。」ととまどう彼女でしたが、やっぱりそういうメッセージもたくさん受け取っていたようで、だんだんと腑に落ちてきたようでした。

「たしかに楽しいっていう表現はすごくしてきたけれど、悲しいっていう表現は抑え込んできたのかも。これからは両面を表現していきたいと思う」

 こうして行動からのアプローチを決めた彼女のことは、これからも大切に見守っていこうと思います。

 このように、一つの出来事があり、それを皆が同じように体験したのに、「あの人は大して気にしていないけれど、自分はなぜかものすごく怒りが収まらない。」「みんなはほっとくことができているけれど、自分はどうにも一言言ってやらないと気が済まない。」というようなこともあると思います。

 それは自分の中に怒りの種となる傷があるからです。

 怒りの下層部になにがあるのかを丁寧に傾聴し、その蓋を外していくことで抑圧された感情と本当にやりたかったことを見つけることができるのだと知っておくといいですね。

 その傷を癒し、やりたかったことをやりきった時、ゼロになって流れていくのだろうなと思います。

 するともうそのことで他者にイライラすることもなくなるでしょう。

 過去の傷つきを癒すことができる記憶書き変えのヒントは「不増不減」という一節にあります。

 得たものの影には必ず失ったものもあり、失ったものの影には必ず得ているものもあり、増えるも減るもないというプラスマイナスゼロの「空」の視点です。

 スピリチュアルケアの講座の時にもこのようなワークがありました。

「あなたは病気で健康というとても大きなものを失いました。しかし失ったものが大きければ大きいほど得ているものも大きいはずです。失ったものと引き換えに得ているものに意識を向けてみましょう」と。

するとやっぱり見つかるわけですね。

「家族の温かさが身に沁みました。」

「食べ物がなんでも食べられなくなったからこそ喉を通るもののありがたさがわかりました」

「実は仕事が嫌で嫌でやめたいと思っていたのに実はそれが病気になったおかげで叶っていました」などなど。

 その時には、まさにプラスマイナスゼロの般若心経の世界観だと感動したものでした。

 彼女に問います。

「あのような体験があったからこそ得ることができたということはなんですか?」

 答えはまだ聞いていないのですが、きっと見つかりますね。

 ほんとに不思議なのですけどね、マイナスが大きければ大きいほど、プラスも大きいというのは私自身でも体験済みです。

 合わせてプラスマイナスゼロ。滞りが流れていき、心が空になります。

 この世界はどんな世界でしょうか。

その世界は自身の捉え方によっていかようにでもできるのだということを「般若心経」は教えてくれます。

 「五蘊盛苦」つまり「思い通りにならなくて苦しい」という時にこそ、般若心経の文言の如く、片寄った心を解き明かしゼロに還していくチャンスであることを知っていていただければと思います。

 皆さんの世界が、大きく広がっていきますように。

                合掌

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