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純情ヒエラルキー

「MELLOW JEALOUSY.」:/ 本編沿い/付き合い始めたばかりの刹フェルと、フェルトに恋をしているモブ

2024.01.05 11:52

 きみは覚えているか? 自分が恋に落ちていることに気付いた瞬間のことを?

 ……覚えてないよ。一〇代のガキの頃だったら、別かもしれないけどな。

 そうか。ぼくははっきり覚えてる。彼女に恋をしたあの日のことを。

 それは結構。……もう今日はやめとけよ。酒、そんなに強くないんだろ。

 明日が何の日だか分かって言ってるのか?

 知ってるよ。

 トレミーが着艦する日だ。彼女がここに来るんだぞ? 興奮して眠れたものか。

 来ても話ができる保証もないだろうに。

 何?

 いいや、なんでもないよ。

 とにかく、彼女に会えるんだ。夢にまで見た彼女に。プトレマイオスを整備するチームに入れてもらえるよう、ミセス・ヴァスティに頼んでおいた。

 そいつは結構。……ところで、彼女はお前のことを認識しているのか?

 知っているはずだ。三ヶ月前にトレミーがここに寄った時、

「ごめんなさい、ブラッド」

 サーバールームで肩がぶつかった。

 ……。

 なんだよ。

 それだけか。

 名前を知ってくれてる。

 そりゃあ名前くらい名簿を見れば分かる。狭い部屋で丸一日いっしょに仕事する相手なら、あらかじめ調べておくかもしれない。彼女のことをちゃんと分かっているか?

 フェルト・グレイス。プトレマイオスのオペレーター。

 仕事ができる。昔からソツがないんだ。十代の頃からそうだった。

 何が言いたいんだ。

 お前が思っている以上に、彼女は忙しい人間だってこと。

 隣に座るダグを睨みつけながら、震える手でバーカウンターのビールの缶をひっつかむ。数年先に組織に入ったからと言って先輩風を吹かせて。お前に彼女の、フェルトの何が分かるって言うんだ? あの天使のような優しい眼差しを受けたことがないんだろう。

 まあ別に知らなくたっていい。明日からの整備期間で、彼女にこの想いを伝えることができれば、全ては自明のものとなるはずだ。


MELLOW JEALOUSY.

 

『プトレマイオス、着艦しました』

 スピーカーから聞こえたその声に、ラボにいる多くのスタッフが安堵の息を漏らした。組織の技術者たちが「完璧」を自負する隠匿性を誇る、資源衛星を模した秘密ドッグ。互いの位置情報を伝達する簡素な暗号文のやり取りの後で、ソレスタルビーイングの技術の粋を集めた唯一無二の旗艦が、淀みなく到着した。

 先のアロウズとの戦いで半壊したトレミーが、『プトレマイオス2 改』と呼称されリニューアルしたのが三ヶ月前。今回の彼らの停泊は、実際の航行を経たトレミーの微調整と、開発中のガンダムの起動テストが目的である。

「さっそくとりかかるぞ」

 と、鼻息も荒いイアンに続いてトレミーにぞくぞくと入っていく隊列に、件の彼、ブラッドも加わっていた。

 トレミー内部に入るのは初めてである。情報の漏洩を防ぐ目的で、技術工員でも入る人間は制限されている。高い精度を求められる仕事に緊張した面持ちの同僚たちと同じように、ブラッドも硬い表情で見慣れぬ艦内を見渡す。整備道具を詰め込んだ大きな黒い鞄を小脇に抱えながら。

 ブラッドの今回の仕事は、センサー類が正常に機能しているかのチェックとその整備である。システムルームは艦の最上部にある狭い部屋で、工員たちが集中するブリッジや兵器庫とも離れている。平時から人気のない場所で、ガンダムマイスターを始めとするプトレマイオス2の乗船員たちも、おそらく用がなければ滅多に立ち寄ることのない場所だ。

 運が悪かった、とブラッドは思う。作業そのものは二日もあれば終わるだろうが、その間このやたら狭い艦首にたった一人で缶詰だ。先ほどイアンがプトレマイオス2の指揮官である女性戦術予報士と打ち合わせをしている場にも、お目当てのフェルトの姿は見えなかった。きっと久々に会った顔見知りのスタッフたちと、旧交を温めている頃なのだろう。

 これでは彼女と二人きりになるどころか、姿を見ることすら一苦労、なんてことになりかねないな……。そう考えると憂鬱で、コンソールパネルを叩く手がふと止まる。誰もいないことを良いことに大きなため息をついたブラッドに、声をかける人影があった。

「あの」

 まさか人がいるとは露とも思わず、彼は慌てて顔を上げる。見れば、部屋の細まった入り口に、彼女、フェルト・グレイスが立っていたのである。

「お疲れさま。何か手伝うことはありますか?」

「か」

 あまりの驚きと歓喜に、素っ頓狂な声がブラッドの口から飛び出した。

「か?」

 彼女がきょとんとした顔をした。

「か、かみを……」

 顔に血が上っていく熱を感じながら、彼は続けた。

「髪を、切ったんだね。すごくよく似合ってる。すごく」

「え? あ、……ありがとう」

 突然の賛辞に驚いた様子で、フェルトが自らの髪に触れた。三ヶ月前はふわふわと宙に浮かんでいた彼女の豊かなピンク色の髪は、今は肩よりも短く切りそろえられている。形の良い頭の形と、露わにされた清潔な白いうなじが眩しい。まるで別人のように大人びて見える。仕事中だということを忘れて、しばらくぼんやりと見惚れてしまうほどだ。

「えっと、その、私、午前の仕事が早く終わりそうで……」

 気勢を削がれたフェルトのたどたどしい説明は、恋の谷底に落ちている男の耳に届くわけもなく。

 ブラッドはすぐそばに置いていた大きな鞄から「ある物」を取り出していた。

「フェルト、話がある」

 彼女のそばに歩いて行き、男はその足元に跪く。

「どうかこれを受け取ってくれないか。僕の気持ちの証だ」

 そう言って彼女に差し出したのは、高さ30センチ程度の、六角柱の透明なケースだった。ケースの底部は白いプラスチック樹脂で作られており、そこには3Dホログラムを投影する精密機械が内蔵されている。手先の器用な技術者である彼が作り出したのは、実態のない一本の紅い薔薇のホログラムだった。

「僕の心はすでに君のものだ」

 本物の生きた花は、タネから手間暇かけて栽培しない限り、この宇宙空間では決して手に入れることができない。

 この実体のない真っ赤な薔薇は、宇宙で働くブラッドが恋しい彼女に捧げることのできる、最大で最高の愛の証だった。

 愛の告白に等しいその言葉を受けて、当然、フェルトは目に見えてたじろいだ。そもそも他人に跪かれ好意を表明されたことなど、今までの経験の中でないに等しい。

 戸惑いの中、フェルトが差し出されたそのホログラムの花を見下ろしていると。

「フェルト」

 彼女を呼ぶ別の男の声が、静かなシステムルームに響いた。ブラッドとフェルトが弾かれたように顔を上げると、部屋の入り口に濃いブルーの制服を身にまとった青年が立っていた。

「スメラギが呼んでいる。ブリッジへ」

 無駄のない伝達を済ませた青年は、一瞬その表情に不思議そうな、顔をしかめるような色を差した。けれど瞬時に乱れのない平然とした様子に立ち戻るのは、さすが数多の戦場を駆け抜けてきたパイロットらしい振る舞いと言えるだろう。

 その姿を見て、大きく動揺したのはブラッドのほうだ。

( せ、刹那・F・セイエイ……! )

 どうしてガンダムマイスターがこんなところに、と身を硬くする。

 ブラッド自身、四人いるガンダムマイスターの誰とも親しく会話をしたこともないし、同じ空間に居合わせたこともほとんどない。けれどラボのスタッフたちが皆そろって彼らに仰望と崇敬の念を抱いているのは知っているし、彼とて最前線で闘う彼らに同様の気持ちを持っている。特に、二機のGNドライブを積んだ特別な機体『ダブルオーライザー』のパイロットとなると畏敬の念もひとしおだ。先の月での戦いの際も、敵の首領を打ち破ったのは彼と、彼のかつての愛機であったエクシアR2だったと噂に聞く。

 精悍に整った目鼻立ちに、モビルスーツのパイロットらしく端然として引き締まった体つき。こちらを見つめる大きな赤茶色の瞳は、無遠慮なほど鋭敏にブラッドを観察しているように見える。感情の読みにくいその視線からは、なぜか奇妙な圧迫感を感じ得ない。

「せ、刹那……」

 ブラッドの頭上で、フェルトが震えた声で彼の名を口にする。

「……先に行っている」

 そう言ってひらりと身を翻して去っていく若きマイスターの背を、彼女は慌てて追いかけた。

「わ、私も行きます! ……ごめんなさい、ブラッド。もう行かなくちゃ」

「フェルト、僕は、」

 ブラッドの言葉を遮って、彼女は悲しげに眉尻を下げた。

「受け取れないの。……ごめんなさい……」

 そう言ってブラッドに頭を下げると、フェルトは刹那と同じようにひらりと身を返して、システムルームから走り去っていった。

[newpage]

 エレベーターに乗った刹那は、扉が閉まる直前に飛び込んできたフェルトにわずかに瞳を見開かせた。『取り込み中』のようだったから、てっきり後から来るとばかり思っていたのだ。

「……いいのか」

「うん」

 エメラルドグリーンの瞳が、どこかばつの悪そうに刹那を見る。あのノーマルカラーの制服を着た技術工員が捧げていたホログラムの紅い薔薇、……不思議なことに、刹那がラグランジュ1での戦いの前にフェルトにもらった花のケースによく似ていた……は、彼女の手の中にはない。彼女はあの薔薇を受け取らなかったのだろう。

 少しぎこちない動きで、フェルトは刹那の隣に立つ。狭いエレベーターが階下に向けてゆっくりと下降を始める。さっきの話、とフェルトが口を開く。

「聞こえてた?」

「全部は聞いていない。だが、おおよその検討はつく」

 淡白に答える刹那に、フェルトは居心地悪そうに髪をかき上げた。センサー類の整備は複雑で根気のいる仕事だ。一人でこなすのは大変だろうと手伝いに出た先で、まさか愛の告白を受けるだなんて、彼女にとってもとんでもない想定外だった。

 だが、彼女にはあのホログラムの薔薇を受け取る理由もなければ、ブラッドの好意を受け入れる資格もない。それは、今無表情で隣に立つ刹那・F・セイエイ、彼が彼女の秘めやかな恋人であるからに他ならない。

 長らくガンダムマイスターとオペレーターという間柄に過ぎなかった二人の関係が急速に進展したのはわずか三ヶ月前のことだ。スメラギを始め、他の乗組員たちには感づかれ様子を窺われている節もあるが、基本的には秘事として通している。

「……断ったよ。ちゃんと」

 どこか弁明するような口調で、フェルトはぼそぼそと呟いた。わずかに赤らんだその横顔を、刹那は見下ろしている。

 フェルトが気まずい思いをする必要などないはずだと、刹那は思う。あの見知らぬ男のフェルトに向けた気持ちは間違いなく本物だった。イノベイターとしての能力が、その好意に嘘偽りがないことを刹那に教えていた。

 ……だが。

 なぜか唐突に、刹那の胸中に暗澹とした黒い雲がかかり始めた。「僕の心はすでに君のものだ」と滑らかに想いを伝えていた、あの男の台詞が脳内にリフレインする。驚いたように見開かれた彼女の大きな瞳。驚きに震えていた細い指先。

 思わず眉をひそめる。不快と呼ぶべき感情に近しいものがそこにある。

 エレベーターはするすると音もなく、ブリッジのあるフロアへと降下していく。狭いエレベーターの中、刹那は彼女の方へと向き直る。気持ちを落ち着かせようと両手を胸の前で重ねていたフェルトが、不思議そうに恋人の顔を見上げた。

「刹那?」

 その細い腰に手を伸ばし抱き寄せ、男は胸の中に恋人を閉じ込めていた。

「ちょ、ちょっと!」

 驚いたフェルトが非難を込めた声でそう言うが、刹那は何も言わず腕の力を強めただけだった。その勢いに押されて思わず壁際へと後ずさったフェルトは、たしなめるように指先で優しく彼の背中を撫でる。

「……ダメだよ刹那、こんなところで……」

 息も絶え絶えにそう言って見上げると、彼の整った顔がすぐ目の前にある。鼻先と鼻先がわずかに触れ合い、思わずフェルトの顔が赤くなる。

 いつも『こういうこと』をするのは夜の時間、どちらかの部屋で、明かりを落とした状態の時がほとんどだ。白昼堂々、しっかりと制服を着込んだ業務中、しかもエレベーターの中でとは、平時とあまりに状況が違いすぎる。いつも冷静な彼らしからぬ行動だ。

「刹那……」

 凛々しい赤茶色の瞳に、激しい熱情が灯っているのが分かる。暗い部屋、ベッドの中でフェルトを見下ろすあの瞳と同じものだ。薄い唇に深く口付けられ、彼の匂いで胸がいっぱいになる。

 気持ちいい、とフェルトは思う。刹那はいつもと違う。このキスもいつもと全く違うもので、ここがエレベーターということも忘れて、しっかりと彼を抱いてしまう。もっと強く抱いて欲しいと思ってしまう。

 そう、エレベーターであることも忘れて。

「それでさあ、ブラッドのやつ……」

 間の抜けた電子音とともにエレベーターの扉が開き、その先の廊下から響いてきた明るい話し声に、文字通りフェルトは固まった。

 それは、エレベーター内で抱き合う二人を目の当たりにした技術工員たちも同じだった。五、六人の彼らは直前までしていた談笑の名残そのままに、口を半開きにしてブルーの制服の若きガンダムマイスターとピンク色の髪のオペレーターを凝視していた。先頭に立っているのはダグという名の技術主任だ。フェルトも昔から顔をよく知っている。

「し」

 凍りついた空気の中で、声を発したのはダグだった。

「失礼しました………」

 彼の操作に従順に扉が閉まり、エレベーターは再び淀みなく降下を始めた。真っ赤な顔で固まっているフェルトと、依然として彼女をしっかりと抱いたままの刹那を乗せて。

「………せ、刹那!」

 フェルトは弾かれたように自らの体から恋人を引き剥がした。

「すまない」

「こ、こんな、みんなに見られて……」

 全くなんてことをしてくれたのかと暗に責めながらも、フェルト自身うっかり流されていたのだからそう強くは言えない。混乱した頭を抱えていると、エレベーターはいつの間にかブリッジのあるフロアへ到着していた。

 扉が開いた先には、今度こそ誰もいない。刹那はわずかに乱れた制服の襟元を整えると、フェルトを一瞥しながら言った。

「嫉妬した」

「え?」

「……それだけだ」

 そう言ってまっすぐにブリッジへと向かって床を蹴る刹那の背を、フェルトは黙って追いかけることしかできなかった。

 その夜、秘密ドッグ内のバーラウンジが平時よりも大いに盛り上がったとされているが、それはまた別のお話である。