Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

キュンかわ❣️ハンドメイドクリエイターの アトリエはーとふる❤️

令和6年能登半島地震体験記

2024.01.05 06:42

富山県の氷見市は震源地から近く、海も近いため、かなり揺れました。


はじめは小さい揺れでした。

その時点で、お父さんが石油ストーブを切ってくれていました。


私はというと、ベッドで寝ていました。


2回目の揺れは大きくて長く、ベッドから出られませんでした。

地震に弱いお母さんがテンパりはじめて、一緒にベッドに入っていました。


その間、リビングにいたお父さんがヤカンの熱湯でやけどしました。

それがよかったのかもしれません。


2回目の揺れがおさまったころ、お父さんが外に出ようと言い、私たち家族3人は、早めに避難ができました。

テンパるお母さんに喝を入れてなだめました。


いい時代になったものです。

車のテレビで一生懸命アナウンサーさんが避難を促していて、津波警報も出ていて、高台に避難しました。

アナウンサーさんの一生懸命さが伝わってきて、感動しました。

「東日本大震災の時を思い出してください!!!!」



私たちの避難したところは穴場で、そこで親切な方がカロリーメイトを2箱くださいました。

その日の晩ごはんはカロリーメイトになりました。


その後のあたりは覚えていません。

なぜなら、私はまた眠ったからです。


気づいたらいったん家に戻っていて、水分や暖かい上着、私の薬を持ってきてくれていました。


その時点でもう何人か心配して連絡をくださっており、とても心強かったです。


一旦穴場に戻ったのですが、お父さんがやけどをしたので、落ち着いたころ、市民病院に向かいました。


病院は暖かく、しっかりしていて、布団も配給してくれて、私は午前2時半まで眠りました。


もう20回30回と揺れていました。


それから目が冴えて、起きていたのですが、寝ているたくさんの人が、まるで戦場の後のように見えて少し怖かったです。

この時がいちばん怖かったです。


もともと私はあんまり慌てないタチで、お父さんとお母さんが全てやってくれたも同然なので、私は落ち着いていました。

笑顔を見せる余裕もありました。


こんな時に弱音を吐く人は、1人もいませんでした。


家が心配で、早く帰りたかったのを覚えています。


朝、様子見がてら、お父さんが食べものをコンビニで買ってきてくれました。

些細なものでしたが気分が上がりましたヨ。


2日、午前8時半、お父さんの再受診が終わってから家に帰りました。


ヤカンのお湯でリビングの床がひよりましたが、私のものはビックリするくらい被害がありませんでした。

本当にありがたいです。


LINEやSNS、などでたくさんの方が優しい言葉をくれました。


私やお母さんも、病院にいた段階で、親戚や友達などと連絡をとっていました。


ひどかったところは本当にはひどくて、気持ちが落ち着かない方がたくさんいらっしゃいました。


2日の夜に、微熱が出ました。

もう6日になりますが、かなりつらいです。


私にとって、は避難生活よりも風邪の方がしんどいです。


本当に幸運でした。


いろいろなことが重なって本当に助かりました。


断水したところもありますが、この辺は水もお湯も出ます。


感謝の極みです。


本当にありがとうございます。


みなさんに幸運がなだれのごとく起きますように💫💫💫💫💫💫💫💫