たまには文化的っぽい余暇でも。
昨日ね、行ってきたの。
せっかくだからとじっくり丁寧に鑑賞していたら、あっという間の3時間超。
ぜんぜん知らない方ではあったけれど、かつて地元にはこういう人物がいたのだなと興味深く楽しめたし、鑑賞後には、街中を少しぶらぶらしている最中に「永見徳太郎通り」なる道に出くわし、ああ!これがあの方の!!へえ~!!と、点と点が繋がった時の爽快感を味わうなどして、とても良かった。
情熱の赴くまま人生を謳歌したぜ!というような活発な頃から、晩年も熱心に地元文化の研究や活動色々に精を出していた様子が伺えたところから一転、敢えてなのか特に意図無くなのか、なんだか非常にあっけない、急な尻すぼみ、簡潔にしか語られない最期に、侘しく物悲しい何とも言えない気持ちになった。
すばらしいコレクションの数々に、あんな活動やこんな活動、あの人とも交流があったんですよ、なんとまあ眩いことでしょう!てな具合のテンションのところに突如、
家を出てそれきり帰らず、妻に遺書のような手紙が届いた。
-完-
みたいな。
えっ?!?!ていう。
その遺書のような手紙がどういう内容だったのか知りたかったし、失踪間際まで普通に周囲との交流も行っていたらしいのに、そこからの失踪そして遺書のような手紙が出されるに至るまでの前段が一切なく、非常に唐突な展開に感ぜられて、その辺りもうちょっとなんか言及してもらえないんですかね...?と、もはやそれがこの展覧会一番の感想になった。
資産家としての姿に、写真家、劇作家、画家と様々な事に熱く動いていた姿、そういった光の部分に対して影の割合があまりに少なく逆に闇深...みたいな。
いや別にそんなことはないんだろうなと思うし、特に深い意味もないんだろうとわかっているけども、さ。「とある金持ちの末路」感をみせられたのか?なんて邪推をしてしまったり。絶対に違うとわかってるけども、さ。それくらい淡泊な終わり。
そんな気持ちを抱えつつ、同チケットで常設展も見れるというんでそちらも覗いてみたら、これがまた中々に面白く、つい長居をしてしまった。
ずらりと披露されたタイ古陶のコレクション、その一点一点に寄せられた持ち主のコメントが大変小気味よい感じで、100文字にも満たないほんの一言なんだけど、一人クスっと笑いながら見て回った。なんならそちらに惹きつけられたまである。
持ち主の経歴を見ると、元々出版社の方だったとのこと。
モヤモヤした気持ちで見終えることとなった永見氏展と違い、こちらはなるほど納得!とすんなりスッキリとした気持ちで会場を後に出来、よい後味でよかったね♡
と思いきや、その次にあった展示物でまたしても少し重たい気持ちになってしまう。
それは、潜伏キリシタン関連遺産の世界遺産登録五周年に因んだ展示物ゾーン。
その真ん中に展示されていた、島原の乱のキリシタン兵を模した銅像。
ゆらり...と今にも動き出しそうな恐ろしい存在感と佇まいで、怖いんだけど目が離せず、しばらくその前で静止してしまっていた。怒られそうだけど、まるで幽鬼...そう思った。
なんかね、島原の乱って本当になに一つ報われないっていうかさ。もうほんとになんなん...?っていう気持ちになる。語彙も無くなる虚無よ。殉教者とも認められない扱われないっていうのがまた最期の最期まで...あー...感。
このキリシタン関連を観光資源にするの結構無理ない???っていうのがここ最近の感想。重いのはまあそれはそれとして、一般的な日本人的宗教?信仰?感覚ではちょっと正直理解が及ばないっていうかさ(ちなみに私は分かるけど分からないと思ってる)。過去にそういうツイートしたなと思い出し自分の過去ツイ探しに行ったけど、見つけきれなかったや。
少々話がずれてしまった。
訳も分からず覗いてみたら、非常に良い時間、文化的余暇を過ごせたよ。
そんな三が日明けのなんでもない一日。
出かけた足でついでにと髪を切りに行ったら、それはもう酷い仕上がりにされてしまい、しょんぼりげんなり。
そんなオチまでついてきた、三が日明け初日の徒然日記。
おわり
月子