狗奴國(弐)
2018.11.03 09:15
其八年太守王頎到官 倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状 遣塞曹掾史張政等 因齎詔書黄幢 拝假難升米 為檄告喩之
「其の八年、太守、王頎が官に到る。倭女王、卑弥呼は狗奴国王、卑弥弓呼素と和せず、倭、載烏越等を遣わし、郡に詣り、相攻撃する状を説く。塞曹掾史、張政等を遣わし、因って詔書、黄幢を齎し、難升米に拝仮し、檄を為(つく)りて之を告諭す。」
ここに記されている狗奴国王其南有狗奴國 卑弥弓呼素の名を「ひめここ」と発音することにより混乱しますが、 狗奴国は島原を通じて呉の国と交易していた形跡があります。
また其官有狗古智卑狗(くくちひこ)と同様に卑弥弓呼素の名前も魏は掌握していたと考えられます。
阿蘇の神社でこの名の祭神で読むことが可能な祭神は
初代神武天皇の皇子と伝わる日子八井耳(海幸 建御雷之男神 天児屋命)であると考えられます。
卑弥呼の死後 倭の大乱の後 神武天皇の妻 吾平(あいらつ)媛を妻に迎えたことを考えれば、卑弥呼の死因が狗奴國との戦いが原因であったと考えざるえません。
その後 邪馬台国と同時期に狗奴國が歴史から消えたことを合せると倭とはこの国々の共和国であったのかもしれません。