自分の足で
久しぶりに、素晴らしく衝撃を受けたことを記録しておきたい。
数日前に友人の亜美と話す機会を得た。彼女はこの記事やこの記事などに登場している、私が心の友と呼ぶ人である。3年前、とある専門学校に通い出した。
初期には「〇〇(教科名)が全然理解できない・・・」とか「△△史なんてもうすっかり忘れてるから、全部一からだよ!」とか「でも昔嫌いだった××語は、意外と面白い」・・・など、久しぶりの学業の困難さを語っていた亜美だった。
夫を支え3人の育ち盛りの子を育てながら、地域で「こども食堂」を立ち上げていたり、得意な音楽を用いて支援が必要な人たちのためにボランティア活動までこなす人だ。多忙を極める毎日だというのに、合間を縫ってレポートだの論文だのテストだのに取り組むことが簡単であったはずがない。
そして一昨年の秋。亜美はついに全課程を修了し、卒業したのだった。本当におめでとう!
しかしながら、彼女の挑戦は終わっていなかったのだ。一緒に紅茶のカップを傾けたときの彼女の言葉はこうだ。「Yちゃん、私、春から大学に入学することにしたよ。」えっ、そうなの!???!
亜美は語ってくれた。
専門学校での3年間の学びが自身の人生に大きな影響を与えたこと。生まれて初めて、勉強することが楽しいと思えたこと。専門学校を卒業してから、約1年半、考えていたのだそうだ。この先の人生において自分に何ができるか、何をすべきなのかについて。そして彼女の下した結論は。
「誰かのために私にできることがあるのなら、そのために勉強を続けようって強く思ったんだ。」
私はここ最近では類を見ないくらいの衝撃を受けた。真夏にいきなりバケツの水を頭にザバーンとぶっかけられた感じ。びっくり。だけど、爽快。私も挑戦することは好きな方だけど、亜美の決断は私の想像の及ぶ遙か向こうにその翼を広げていると思った。そして、そんな前人未踏の地へ足を踏み出すと宣言した友人を、かつてないくらい誇らしく感じたのだった。
より良き明日を信じる人。夢を描くのみならず、強い意志をもって歩を進められる人。そのような尊敬してやまない人が、友として側近くにいてくれることは、何と幸いなことだろう。がんばれ、亜美ちゃん!大丈夫。あなたの進む道を信じる人はここにもいるよ。きっと素晴らしい未来が待っている。
2024年。新しい年が始まり、約2週間が過ぎた。
私は何ができるだろう、と自問する。大切な生徒、友人、家族のために。ささやかでもいい。自分にしかできない麗しいことを探求し、挑戦し、実現していく一年にしたいと心から願う。